「グリーン・ナイト」© 2021 Green Knight Productions LLC. All Rights Reserved

「グリーン・ナイト」© 2021 Green Knight Productions LLC. All Rights Reserved

2022.11.21

「グリーン・ナイト」デビッド・ロウリー監督のガイコツ愛:勝手に2本立て

毎回、勝手に〝2本立て〟形式で映画を並べてご紹介する。共通項といってもさまざまだが、本連載で作品を結びつけるのは〝ディテール〟である。ある映画を見て、無関係な作品の似ている場面を思い出す──そんな意義のないたのしさを大事にしたい。また、未知の併映作への思いがけぬ熱狂、再見がもたらす新鮮な驚きなど、2本立て特有の幸福な体験を呼び起こしたいという思惑もある。同じ上映に参加する気持ちで、ぜひ組み合わせを試していただけたらうれしい。

髙橋佑弥

髙橋佑弥

待ちわびた作品を大画面で見るという体験の恍惚(こうこつ)は、何ものにも代えがたい。この連載でも幾度か取り上げている監督デビッド・ロウリーの最新作「グリーン・ナイト」(2021年)が、来る11月25日にとうとう日本公開となる。
 

待ちに待ってスクリーンで初見

本作は、多くの国では昨年初夏に公開を迎えており、すでに映像ソフトもリリースされて久しく、私自身、発売後は待ちきれずに注文し、長いこと手元に置いていたのだが、それでいながらずいぶんと期待している待望の作でもあり、たとえいち早く見ることができるという優越感の甘い誘惑が手招いているとしても、やはりスクリーンで初見を迎える機会を捨て去る気にはとてもなれず、唇を嚙(か)みながら公開を待つことにし、せっかく届いたソフトは棚の奥深くにしまい込んでしまっていたのだった。
 
ただ、思い描いた通り、いざ試写室のスクリーンに映写された本作を見ることができた今となっては、決して短くはなかった待機も、それだけの価値があったと断言できる。なによりうれしいその事実を──物語にすら先駆けて──お伝えしておく。
 

「グリーン・ナイト」© 2021 Green Knight Productions LLC. All Rights Reserved

緑の騎士が誘う生きて帰れぬ旅

アーサー王伝説の登場人物であるガウェインを主人公とする、中世に書かれた作者不詳の頭韻詩「サー・ガウェインと緑の騎士」を材とした本作の物語自体は、至極シンプルなものである。若い男が、きっと生きては帰れぬと知りながら旅に出る──もはや、それのみを描いているといっていい。その旅は、題名にもなっている「グリーン・ナイト」=〝緑の騎士〟と交わされた取り決めによるものなのだが、きわめて魅力的な予告編を見れば、その一端は直ちに理解することができるのだし、このさい詳細はあえて書かずにおこう。物語の紹介ならば、山ほどあるはずだ。
 
むしろ、まだ幾分か公開日まで猶予がある状況とあっては、予告編にのみ言及を限定してみるのもよいかもしれない。このさきは、ぜひ一度、予告編を見てから読み進めていただけるとうれしい。


日本版予告編 


 

繰り返す骸のモチーフ

まず本作には、奇妙な斬首行為をめぐる緑の騎士との取り決めをはじめとして〝首〟のモチーフが繰り返し現れるが、それらをあるていど物語の要請によるものとして埒外(らちがい)に置いたとき、無視しがたいもうひとつの頭部、すなわち骸=ガイコツに思い至ることになる。日本版の予告編においては、中盤でサブリミナル的に一度、そして後半にわずかに姿を見せるのみだが、米国版の特報(Teaser Trailer)ではもう少し長めに使われているのが、森で縛られて身を横たえる主人公、次いでそのまま白骨化したとおぼしい亡骸(なきがら)のイメージである。

米国版予告編 


 
この場面が、どのような文脈で現れるのかについては本稿では触れない。しかし、これが特にミスリードなどではなく、予告に見られるまま、主人公の骨であるということだけは書いておこう。まぎれもなく、主人公が森で縛られ、そのまま長い年月が経過したという状況を示すショットだ(本編を見ればわかるが、興をそぐ「ネタバレ」はしていないのでご安心いただきたい)。旅が見据える死の運命を明示するためのモチーフであるかもしれない──だが、そうではないかもしれない── ガイコツは(特報に限っても)もう一度、水中で砂に埋まった状態で登場し、何者かの手で拾い上げられる。ここでは明かせないものの、上に述べた亡骸のイメージは、本作が備えた原典にはない創意あふれる終盤の場面ともほのかに響き合うことになる。
 
「以後の自作すべてに、最低ひとつはガイコツを登場させたい」と並々ならぬ愛着を隠すことなく明かしているロウリーは、じっさいこれまでも少なからずガイコツを登場させているのだが、本作は現時点での骸骨偏愛反映の集大成といっていいだろう。
 

「未来惑星ザルドス」©1974 TWENTIETH CENTURY FOX FILM CORPOLATION

忘れられない白骨化「未来惑星ザルドス」

前述の白骨化場面を見たとき、即座に思い浮かべたのが、はからずも4Kデジタルリマスター版が現在公開中の「未来惑星ザルドス」(1974年)。巨大飛行石像ザルドスが神とあがめられている世界で、それに仕える戦士の奇妙な解放の旅を描いているとひとまずは言える本作の、忘れがたいラストシーンである。有名な場面ゆえ、作品を見たことがなくとも既に知っている人も少なくないかもしれない──私自身、初めて見る時にはあらかじめ知っていた──が、いずれにせよ48年前の作品なのだから、結末ではあるものの触れさせていただくことにする。
 
虐殺の場から洞窟へと逃れた男女に子が生まれたあと、場面は転じて、男女と生まれたばかりの赤子が座って、まるで家族写真のように正面=カメラを見つめるさまが映し出され、構図はそのまま、画面は三者の経年を示し、赤子は育ち、男女は老いていく。成年した子が男女のもとを去り、画面には2人が残される。なおも2人は年を重ねて、白髪となり、白骨化したのち、最後は消える──この場面だ。


「未来惑星ザルドス」
 

立ち込める霧、緑色の光

いつもながら、これらの場面に明確なつながりがあるわけではなく単なる連想にすぎないのだが、ことによるとこの2本に関しては、ほかにも相似が見いだせるかもしれない。
 
「グリーン・ナイト」の野外場面の多くで立ちこめる霧は「未来惑星ザルドス」の画面の端々でも漂っているのだし、主人公の赤い衣装がひときわ印象に残る後者において前述のラストのみ装束はなぜか鮮やかな緑に変化する。両作ともに、大きく異なる印象ではあるが、ひとりの男による外界の旅、ひいては個人的解放を描いているとも言え、〝死〟が重要な主題にもなっている。
 
作品を見た印象は異なっていても、書き出してみると根底で似通っているように思えてくるのが不思議なところではあるが、おもえば「未来惑星ザルドス」の監督ジョン・ブアマンは、デビッド・ロウリーが製作時に影響を受けたと語る「エクスカリバー」(81年)の監督でもあり、あながち気のせいでもないのかもしれない。これもまた、ガイコツが登場し、画面に霧がかかり、緑色の光が鈍く輝く、そんな映画なのだから。

「グリーン・ナイト」は11月25日公開。
「未来惑星ザルドス」は全国順次公開中。

【関連記事】
・優れた続編に〝予習〟はいらない 「トップガン マーヴェリック」:勝手に2本立て
・再見して気付く「トップガン」の魅力 友の死とアップライトピアノ:勝手に2本立て
・残業、ダメ絶対。オフィスの悪夢 「地獄の警備員」:勝手に2本立て

ライター
髙橋佑弥

髙橋佑弥

たかはし・ゆうや 1997年生。映画文筆。「SFマガジン」「映画秘宝」(および「別冊映画秘宝」)「キネマ旬報」などに寄稿。ときどき映画本書評も。「ザ・シネマメンバーズ」webサイトにて「映画の思考徘徊」連載中。共著「『百合映画』完全ガイド」(星海社新書)。嫌いなものは逆張り。