「十一人の賊軍」 

「十一人の賊軍」 ©2024「十一人の賊軍」製作委員会

2024.11.14

<ネタばれあり>山田孝之が〝英雄〟ではない「十一人の賊軍」 原案・笠原和夫とは何者か

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勝田友巳

勝田友巳

「十一人の賊軍」で山田孝之が演じる農民の政は、〝命をかけて藩の危機を救ったヒーロー〟なんかではない。徹底した反逆児である。妻を陵辱した新発田藩士を殺害し、死罪を言い渡された。侍に刃向かえば命はないと分かっていたのだから、覚悟の上の復讐(ふくしゅう)だ。武士階級にも藩にも憎しみしかなく、大義や忠誠はかけらもない。赦免を条件に藩軍に加わったものの、藩のために命を捨てる気など毛頭ない。隙(すき)を見て脱走することしか考えず、ほかの藩兵を平気で裏切り何度も脱走しては失敗を繰り返す。だからこの映画、よくある分かりやすいヒーローアクションではないのである。


60年前に葬られた企画が復活

こんなに扱いにくい主人公、行儀がよくなった昨今の日本映画には珍しい。それもそのはず、「原案」としてクレジットされている笠原和夫は、「仁義なき戦い」の生みの親、権力や体制を問う骨太の娯楽作を次々とヒットさせた、昭和を代表する脚本家なのだ。「十一人の賊軍」は、笠原が1964年に書き上げながら、日の目を見なかった作品である。

笠原和夫(1927~2002年)は、第二次世界大戦末期に海兵団に入団、終戦後、東映に入社して50~90年代に日本を代表する脚本家として活躍した。「日本俠客伝」や「仁義なき戦い」のシリーズ、「二百三高地」「大日本帝国」といった戦争大作など多くのヒット作を手がけた。緻密な取材に基づいた物語にアクションや人間ドラマをたっぷりと織り交ぜた娯楽作だが、その根底には、戦前から戦後、高度経済成長期にかけて、日本社会の価値観や倫理観が無反省に激変したことへの批判と怒りが込められていた。白石和彌監督が映画化した「十一人の賊軍」にも、その背骨が貫かれている。

「十一人の賊軍」は、64年ごろに企画されながら、実現しなかった。そのいきさつが、笠原へのインタビューをまとめた「映画脚本家 笠原和夫 昭和の劇」に書かれている。当時東映は「十七人の忍者」「十三人の刺客」などをヒットさせ、〝集団抗争時代劇〟を押し出そうとしていた。それまでの、スターが演じるヒーローと敵が対決する勧善懲悪の時代劇と異なり、敵対する勢力や組織内の闘争を、1人を主演とするのではなく、多くの俳優が入り乱れる群像劇として描いたのが特徴だ。「十一人の賊軍」も、その潮流に乗って書かれた。


「⼗⼀⼈の賊軍」©2024「⼗⼀⼈の賊軍」製作委員会

「全員、討ち死に」に「何考えとるんや!」

笠原は幕末の戊辰戦争で、北陸の小藩である新発田藩が朝廷から幕府軍への参加を求められ、恭順の姿勢を示しながら官軍に寝返ったという史実に注目した。ここから、新発田藩城下で官軍と幕府軍との戦闘が起きるのを防ぐため、幕府側の勢力が藩内を通過する2日間、11人の罪人にとりでを守らせて官軍を食い止めろと命じたという物語を創作、350枚のシナリオを書き上げた。

この頃東映では、企画会議の席上、撮影所長だった岡田茂の前で脚本家が原稿を音読し、判断を仰ぐのが常だった。「読んでいるうちに岡田さんが大あくびをして『ちょっと待て』と。『最後はどうなるんだ?』と言うから、『全員、討ち死にで負ける話です』と言ったら、『そんな負ける話なんかやってどうすんのや! 何考えとるんや!』とドヤされて、一遍にアウト」。原稿は「頭にきて破って捨てちゃった」という。このエピソードを知っていた白石監督が企画を復活させ、残っていた梗概(こうがい)を元に、「孤狼の血」などの池上純哉が脚本を書き上げた。「全員、討ち死に」という結末こそ変更されたものの、笠原が仕込んだ鋭い刃は健在なのである。


「仁義なき戦い」「大日本帝国」視点は抑圧された人々に

日本は戦後、国民を戦地に駆り立てた国家と天皇の責任をうやむやにしたまま、あっけなく民主主義へと看板を掛け替え、犠牲になった命を忘れて繁栄と平和を享受した。笠原は「大義」「報国」を掲げる国家や権力者の横暴を身をもって知り、使い捨てにされた庶民の怒りと悲哀に目を向けていた。暴力団元組長の手記を元にした「仁義なき戦い」は、日本映画史を画すバイオレンスアクションだ。しかし菅原文太が演じた主人公は、悲惨な戦場から身一つで生還したものの行き場は裏社会しかなく、そこでのし上がるものの、再び組織の論理に翻弄(ほんろう)される。

第二次世界大戦の開戦から東京裁判までを2部構成で描いた「大日本帝国」は、戦場や軍の内情をリアルに描きつつ、激しい戦闘場面が見せ場のスペクタクル大作。タイトルから〝反動的〟との声もあったが、実際には天皇の戦争責任にまで踏み込んでおり、むしろ〝左翼的〟と評価されもした。当時としても大胆な内容で、笠原は「映画の中で天皇批判をやるというのは会社もいやがるし、生々しくは言えないんだけども、間接的に自分の思想というか見識を出すために……一種の高等手段を使っていた」(「昭和の劇」)と語っている。


令和の集団抗争時代劇

アナーキーな映画で知られた若松孝二監督の元で映画を学んだ白石監督は、笠原の遺志を受け継ぎつつ、大活劇に仕立て上げた。11人が立てこもるとりでの大セット、そこを舞台に大暴れする山田孝之をはじめ、新発田藩の剣豪役の仲野太賀ら、若手俳優の気合の入ったアクション、その迫力を倍増させる火薬とCG。昭和の集団抗争時代劇を令和にアップグレードしてみせた。

11人のアウトローが獅子奮迅する大活劇としても存分に楽しめるが、阿部サダヲが演じた新発田藩の狡猾(こうかつ)な家老、溝口に、藩、つまり国家の非情な論理を見、11人の罪人たちに大日本帝国軍に使い捨てにされた〝皇軍兵士〟の怨念(おんねん)を重ねることもできるだろう。目を転じれば、世界は今も、「大義」を掲げて庶民を犠牲にしている。政と笠原の憤怒は消えていないのである。

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ライター
勝田友巳

勝田友巳

かつた・ともみ ひとシネマ編集長、毎日新聞学芸部専門記者。1965年生まれ。90年毎日新聞入社。学芸部で映画を担当し、毎日新聞で「シネマの週末」「映画のミカタ」、週刊エコノミストで「アートな時間」などを執筆。

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  • 第37回東京国際映画祭のレッドカーペットに登場したオープニング作品「十一人の賊軍」の出演者ら
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