高倉健

高倉健提供:高倉プロモーション

2024.11.11

高倉健、没後10年の節目に 「 艱難汝(かんなんなんじ)を玉にす」高倉プロモーション代表取締役小田貴月

2021年に生誕90周年を迎えた高倉健は、昭和・平成にわたり205本の映画に出演しました。毎日新聞社は、3回忌の2016年から約2年全国10か所で追悼特別展「高倉健」を開催しました。その縁からひとシネマでは高倉健を次世代に語り継ぐ企画を随時掲載します。
Ken Takakura for the future generations.
神格化された高倉健より、健さんと慕われたあの姿を次世代に伝えられればと思っています。

ひとしねま

小田貴月

「もう、僕は高倉健なんだよね」
映画デビュー作「電光空手打ち」がソフト化されていないころ、ようやく手に入れられたVTRを見終えて、高倉がぽつり。70歳を過ぎ、芸歴は45年を経たときのこと。実は本人、主演デビュー作「電光空手打ち」の役名、忍勇作(しのぶゆうさく)が気に入って、会社に芸名として掛け合うも「なぁに言ってるんだ。君は、高倉健!」と、一笑に付された話も聞かせてくれました。主演デビュー後は苦戦の連続。任俠映画の代役がはまり役となり、〝健さん〟と呼ばれるまで9年の歳月が流れていました。その間、最愛の人との結婚。その後、自宅が全焼。ホテル暮らしを余儀なくされ、離婚に至り、45歳で東映を退社。
与えられる役柄から、自ら役を選び、一作ごとに全力で演じることへかじを切ったのです。とは申せ、「南極物語」で死に直面する2度の遭難事故に遭い、「海へ See You…」でのロケハン時、当時、死の病とされたエイズ罹患によりパリでの死亡説が流布されるなど、心ざわめく出来事に翻弄(ほんろう)されながらも、58年間で205本の出演作を残し、2013年映画俳優として初めて文化勲章受章者となりました。
昭和、平成、令和の時代の風雪に耐え、「生き方が映る」という信念と、地に足のついた生活を貫きました。〝魅せる〟生業(なりわい)、映画俳優高倉健の誇りです。
〝我が往(ゆ)く道は精進にして忍(しの)びて終わり悔いなし〟 静かに旅だったのは、14年11月10日。享年83。
没後10年、高倉健とは何者だったのか。残された映画に浸る時が来ています。

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ライター
ひとしねま

小田貴月

おだ・たか 株式会社高倉プロモーション代表取締役
東京生まれ。女優を経て、海外のホテルを紹介する番組のディレクター、プロデューサーに。96年、香港で高倉健と出会う。13年、高倉健の養女に。
著書に、「高倉健、その愛。」、「高倉健の美学」、「高倉健の想いがつないだ人々の証言~私の八月十五日」。

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