2021年に生誕90周年を迎えた高倉健は、昭和・平成にわたり205本の映画に出演しました。毎日新聞社は、3回忌の2016年から約2年全国10か所で追悼特別展「高倉健」を開催しました。その縁からひとシネマでは高倉健を次世代に語り継ぐ企画を随時掲載します。
Ken Takakura for the future generations.
神格化された高倉健より、健さんと慕われたあの姿を次世代に伝えられればと思っています。
2024.3.30
本日廃駅幾寅駅、「鉄道員(ぽっぽや)」の舞台について高倉健が語ったこと「幌舞駅の余韻とじゃがいも餅」
北海道に住む方々のぬくもり
1999年公開の映画「鉄道員(ぽっぽや)」の主なロケ地となった北海道南富良野町の幾寅駅を、私が初めて訪ねさせていただいたのは、高倉他界後2016年11月7日のことでした。
映画撮影時に、炊き出しなどをお引き受けいただき、大変お世話になりました当時幾寅婦人会長の佐藤圭子さんから、「(高倉の)ご命日11月10日に(幾寅=劇中では「幌舞」)駅を訪れてくださるファンの方々に、健さんがお好きだったコーヒーを振る舞いたいんです。せっかくなら健さんが飲んでいらしたのと同じコーヒーがいいかしらと思って。教えていただけないでしょうか。同年8月31日の台風被害で根室線の東鹿越(ひがししかごえ)と新得(しんとく)間が不通で、今は幾寅駅に代行バスが来るようになっています」というお便りをいただいたのがきっかけでした。
佐藤さんは、映画の公開後も四季折々の駅舎の様子を伝え続けてくださった方で、そのお気遣いは、高倉が日ごろ話していた北海道に住む方々のぬくもりそのものに思えました。
34作品で北海道を訪れ
高倉は「鉄道員」以前、映画では56(昭和31)年、苫小牧市で撮影が行われた「夕陽と拳銃」(東映)に始まり、「網走番外地」「八甲田山」「南極物語」「海峡」「駅STATION」そして、夕張市で撮影が行われた「海へ See You」までの34作品で北海道を訪れています。JRAのCM撮影では、92~93年にかけて安平町の吉田牧場に足繁く通い、俳優を始めて間もない頃は、プライベートで狩猟をしに北海道に通っていた時期もあるのです。
別れに慣れていない
高倉は、第二の故郷ともいえる北海道の印象を、「旅人の往来の頻度が本州とは違うんだよ。何だろうなあ。損得じゃないんだね。北海道の人たちは別れに慣れていないんだなって思ったよ。撮影でしばらく世話になって、気心知れたと思ったら、大勢いた撮影隊はその土地を離れてく。見送られるときなんか、こっちも涙が出そうになるほど、一生懸命手を振られて」と話してくれました。
高倉が好んでいたカナッペ
佐藤さんたち婦人会の方々の思いにお応えしたい……。
早速、高倉の命日に間に合うように佐賀県の珈道庵のドリップパックコーヒーを幾寅にお送りし、コーヒーケトルと、カナッペ用のクラッカーとチーズ、オレンジマーマレードを150人分くらい携えて、単身、羽田空港から旭川に飛び南富良野に移動しました。
婦人会の皆様へごあいさつし、駅隣の情報プラザの一室で、ドリップパックコーヒーのいれ方のちょっとしたコツや、高倉が好んでいたカナッペ作りの簡単なレクチャーをさせていただきました。
想像を膨らませていた場所
私が高倉と出会い、伴走をはじめてから最初の映画の仕事が「鉄道員」でした。高倉にとって仕事場、ロケ先は神聖な場所。同行することなく、家でアンカーを務めていた私にとっては、ロケから帰ってきた高倉の報告を頼りに想像を膨らませていた場所の一つが、幾寅=幌舞駅でした。
駅舎内を通り、ホームへの階段を一歩一歩上りました。日は山あいに隠れはじめていて、大空は優しいオレンジ色にかわってきていました。高倉が立ったホーム。端から端まで歩いてみました。「鉄道員」の劇中、ホームに立つ佐藤乙松駅長役の高倉が、空を見上げて吹いた笛の音色が響いて……。もちろん錯覚です。
幾寅駅舎からホームへの階段
幾寅駅ホーム
幾寅駅ホーム 駅名行き先案内板
年月の哀愁
〝 立っているだけで生きる悲しみを表現できる役者になりたい〟
晩年、〝 どんな役者を目指していますか〟とのインタビューに答えた高倉。
駅長役の高倉の立ち姿、吹く笛の音色は、役者をまっとうしてきた年月の哀愁。
幾寅駅での数分は、既視感をともなう貴重な体験でした。
開業から121年4カ月
2024年3月31日、「鉄道員」の舞台、幌舞駅となった幾寅駅は、1902(明治35)年12月6日開業から121年4カ月、列車が通過する駅としての役目を終えることになりました。
「後悔はしてねえよ。」
それはまるで「鉄道員」のストーリーをなぞるかのよう……。
劇中、駅長・佐藤乙松に一本の電話が入ります。
廃線の期日が予定より早まることを知らせるものでした。
思い出が次々フラッシュバックするなか、降る雪に包まれている幌舞駅に高校の制服姿の少女が訪ねてきました。鉄道クラブに入っているというその少女は、駅長が収集していた鉄道グッズを喜々として手にしていたのですが、ふと、遠くをみつめ幌舞線がなくなってしまうさみしさを問うのです。
駅長は、その憂いをこらえつつ、これまでの人生を振り返り語りました。
「後悔はしてねえよ。(深い吐息)どうすることもできねえだけだ」と。
幾寅駅舎内
駅舎の行方
「鉄道員」公開から、25年。
映画を通してご縁をいただき、国内に限らず、海外からも訪れるファンの皆様のために、駅舎を守ってきてくださった町の方々に、心からの感謝の思いをお伝えするとともに、駅舎の行方を見守っていきたいと思っております。
幾寅駅舎 出入り口の扉に差し込む柔らかな日差し
小田家のじゃがいも餅
「鉄道員」のロケから戻った高倉からの食のリクエストは、「じゃがいも餅って食べさせてもらったんだけど、おいしかったんだよ。今度作ってみてくれる?」でした。高倉が伝えてくれた感想を元に何度も作ってみましたが、あくまで自己流でしたので、何度目かに南富良野町を訪ねたとき、佐藤さんにこのエピソードをお伝えて、作り方を教えていただきました。
じゃがいも餅は、「それぞれの家の味があって、少しずつ作り方が違っているんだけど、うちの味、食べていって」と。有塩バターで焼いた、香ばしさを感じる味を教えていただきました。
その味を確かめてほしい人は、もう旅立ってしまったけれど、佐藤さんから受け継がせていただいた味に、自分なりに少しアレンジして、じゃがいも餅はいまでは私の定番メニューの一つになりました。
今度、佐藤家にお伺いしたとき、小田家のじゃがいも餅を試食していただけることを楽しみに、雪解けを待っているところです。