誰になんと言われようと、好きなものは好き。作品、俳優、監督、スタッフ……。ファン、オタクを自認する執筆陣が、映画にまつわる「わたしの推し」と「ワタシのこと」を、熱量高くつづります。
2024.6.07
音声ガイド制作者が見た「違国日記」 心の風景を表すような映像の数々がとてもいい
私の職業は、映画の音声ガイド制作です。音声ガイドとは何かといいますと、映画を見るお客さんの中に、視覚障害のある方、つまり視力が弱かったり、視野が欠けていたり、全盲の人がいたりした時に、映像だけで見せている部分を把握できず、リラックスして楽しめないということがあります。その際の鑑賞ツールとしての役割を担っています。昨今では、目が見えている晴眼者もリピート鑑賞の際に使ったりしているので、文字通り、映画鑑賞ツールですね。制作手順に関しては、前回の記事に書きましたのでそちらも併せてお読みいただけますと幸いです。
音声ガイド制作の仕事「悪は存在しない」私は分からせる係ではなく、見たままを描写する係
ここでは、私自身が音声ガイド制作に携わったことで映画を読み解いたことに焦点を当てながら作品案内を書いています。今回の映画は「違国日記」。私自身、原作のヤマシタトモコさんの漫画の大ファンなので、映画「PARKS パークス」(2017年)」、「ジオラマボーイ・パノラマガール」(20年)と音声ガイド制作を担当して、瀬田なつき監督のファンでもあったので、お仕事をいただいた時には大変うれしかったです。音声ガイド制作はチームで作業をしていますが、ナレーション原稿はメインの書き手と客観的にチェックする監修とで組みます。今回、私は監修という立場で関わりました。
瀬田なつきマジック
まず、いつも通り、ごく普通に鑑賞しました。映像ならではの表現部分もたくさんありますが、難しいという印象ではなく、すごく感情が伝わる映画だと感じました。瀬田監督らしくティーンエージャーと音楽やその周辺のカルチャーがちりばめられていながら、人間の感情を動かす。前作の2作品でも同じように感じたので、これは瀬田なつきマジックなのかもしれません。
この人と一緒に暮らしたい
冒頭からの感情の引き込みが素晴らしくて、原作でどういう展開になるのか十分知っているにもかかわらず、両親を亡くした中学生の朝(早瀬憩)と叔母である槙生(まきお=新垣結衣)が一緒に暮らすことになるまでの間に、泣いてしまいました。と言っても、感動的なやり取りが展開されるわけではなく、朝主体で聞こえてくる少々デフォルメ気味の周囲のひそひそ話が、途中から何か不明な言葉が挟まることで、心情を伝え、その先に叔母からかなり強めの言葉が掛けられる。でも、だからこそうそがないこともよく分かり、私自身が、槙生と一緒に暮らしたいと思ったところで、朝も同じ気持ちであることが分かるという流れ。心をつかまれたまま、同居生活に入っていくのです。
心象風景の伝え方
この映画の中では、心の風景を表すような映像が度々挿入されます。音声ガイドは、スムーズに映像をイメージさせながら、何かを感じられるようにすることが重要です。余計な言葉を足すことで混乱を招いたり、心情を言葉にしすぎて白けさせてもいけません。どういう映像を見ているかをなるべくシンプルに伝えることが、結果、製作者の意図する形に収まりやすいということがあります。たとえば、朝が新しい同級生たちと話をしながら下校していたのに、ふいに周囲に誰もいなくなり、朝が一人たたずんでいる映像になる。そこに至るまでのさまざまなことがあるので、十分に伝わります。ただ、見たままを描写しますと言って、5時過ぎを指す時計や、グラウンドは緑の芝に覆われたグラウンドなど、とんちんかんなことを描写しないよう監修者が気を付けるのです。
亡くなったけどずっといる存在
あさの母、実里(みのり)は亡くなっているのですが、映画の中ではさまざまな形で、常にその存在が感じられます。卒業式の日に、学校で嫌な思いをした朝が、街角で母に「朝」と声を掛けられ、店の中をのぞくと、ガラス窓に、背後の横断歩道の向こうに立っている母の姿が映っている。振り返るとそこには誰もいないのですが、呼びかけの声音も、映っている姿も、神話的な「慈愛のある母」のそれではないところも絶妙です。恋しがる中学生の娘が作り出す幻想の中でも、調整されていない母の姿。とてもいい。
音声ガイドから2人の変化を見てみる
心象風景の中で、決して分かりやすく優しい母ではなかったとしても、朝にとっては大好きなお母さん。その感情を押し付けるなと言わんばかりの母の妹である槙生。母についてどう思っているのかをかたくなに話してくれない。でも、暮らしを通して、2人の間は自然な形に変わっていく。よく分かる部分をちょっと音声ガイドのテキストだけ抜き出してみます。
*中学卒業の朝のシーン
寝室のベッドで眠っている槙生。
寝返りを打ち、目を開ける。
制服を着た朝が立っている。
槙生が飛び起きる。
赤いチェックのマフラーを巻いた朝。
ちらっと振り返り、出かけていく。
廊下で見送る槙生。
ベッドに戻る。
*高校入学の朝のシーン
高校の制服を着た朝。
姿見の前でくるりと回り、スカートがふわり。
槙生が見ている。
中略。
肩にカバンを掛け、玄関へ向かう。
振り返る朝。
槙生がスマホを向けている。
朝がピースをして照れたように笑う。
実際は、上記の音声ガイドの合間にセリフが挟まるのですが、2人の行動描写だけを抜き出しても変化が分かります。どちらのシーンでも、槙生が一緒に行こうか?と尋ねて、朝が断るという会話はあるのですが、ニュアンスが違う。そういう変化を経て、日記を発端にケンカをした後、槙生の母であり、朝の祖母である京子の住む海辺の町で仲直りするシーン。ここがまたロケも含めてすてきなのです。
大事な会話を交わす
海の前の扇状の階段で、歩いたり振り返ったりしながら、大事な会話を交わす。槙生がかたくなに教えてくれなかったことも少し話してくれたりする。風や波の音、会話の間(ま)も含めて、聴き入ってしまう。今回の音声ガイド原稿の担当者はそれらを邪魔しないように音声ガイドはほとんど入れていません。もし、わたしが監修者ではなく、原稿を書く担当だったら、欲張りなので、ロケの素晴らしい部分も書いてしまうだろうなと思いました。今回の音声ガイドは、潔く会話に集中させている仕上がりになっているので、音声ガイド付きで鑑賞される方も、じっくり2人の会話を楽しめると感じました。
2人以外の魅力的な登場人物
音声ガイドを通して紹介していくと、朝と槙生にばかり焦点が当たってしまいましたが、やはりこれは、視覚情報だけでかわいさやすてきさや関係性が表現されているわけではないからだと感じています。朝の仲良しのえみりや、バンド仲間の女子、三森、槙生のおんな友達の醍醐、友達以上恋人未満の笠町くん、これからもお世話になっていく予感を漂わせている弁護士の塔野、それぞれ魅力を放っています。殊に終盤、槙生に子育てについて聞かれ、槙生の母らしい回答をする京子。瀬田監督の意図をくんで、その手に刻まれた年輪についても言及しました。とてもすてきな母と娘のひと時を見せてくれます。
ケンカの種となった実里の日記には、一体何が書かれていたのでしょうか。それは映画をご覧になって確認してください。