〝アジア最大級〟の第37回東京国際映画祭。国内外から新作、話題作が数多く上映され、多彩なゲストも来場。映画祭の話題をお届けします。
2024.11.15
綾瀬はるかが「無名の誰か」に転生するために費やした努力の跡を見よ「ルート29」
記憶の引き出しの中で眠っていた三つの場面。高崎映画祭の受賞者の控室、「ボーイッシュで可愛い」という紋切り型の形容詞では言い尽くせない少女がチョコレートを配っていた。「ありがとう」。普通に両手で受け取ったが、作品の中のさまざまな場面がパノラマのように頭の中をかすめ、言葉にならない気持ちになってしまった。数十分後、初主演作の「こちらあみ子」で最優秀新人俳優賞を受賞した大沢一菜だった。
東映東京撮影所、夏の出会い
もうひとつはその夜。特有のほんわかした口調でみんなを大きく笑わせた最優秀監督賞の杉田協士監督と、撮影現場での面白い経験を語りながら、午前1時を過ぎても、筆者を真昼のように目覚めさせ、なにかの映画で小説家として登場した吉岡秀隆を連想させた森井勇佑監督。それから3カ月後、彼らの映画は筆者が日本映画アドバイザーを務めていた韓国・プチョン国際ファンタスティック映画祭に招待された。推薦の言葉を書いたが、ゲストを呼ばないキッズセクションの性格上、2人と再会できなかったのは寂しかった。
最後は、長いトンネルのようだったコロナ禍が終わりかけ、希望が芽生えた2022年夏の東映東京撮影所。全く新しいジャンルの作品で映画人生のニューㆍジェネシスを迎えようとしていた盟友の行定勲監督と長谷川博己を応援しに差し入れを持って訪れた「リボルバーㆍリリー」のセットで、行定の紹介であいさつを交わした彼女。
「私の友人である評論家の洪さんだが、頭が良すぎてついていけない時がある」
「そう言われれば、賢さの感じられる目をされていますね」
真夏、照明いっぱいのセット。一瞬で汗が噴き出しそうな衣装とヘアセットをし、先ほどまで魂を入れた演技をしながらも優雅さあふれる優しい笑顔で礼儀正しくあいさつをしてきた、タイトルロールの綾瀬はるか。映画の公開を迎え「ひとシネマ」にレビューを書きながら、あの愉快で強烈な記憶が呼び覚まされ、知らないうちに笑みが浮かんだものだ。
「ルート29」©︎2024「ルート29」製作委員会
踊ることが目的の舞踊のような映画
今年の東京国際映画祭に感謝したいのは、この三つのシーンの主人公が巡り合い、ただそれを確認するために映画館に駆けつけたくなる想像を超えた化学反応を起こす作品に出会わせてくれたこと。そう。 ガラㆍセレクション正式出品作の「ルート29」である。
どちらかというと、この映画は詩的なのだ。それは原作が中尾太一の詩集「ルート29 解放」だという理由だけではない。フランスの詩人ポールㆍバレリーは、詩と散文の違いを論じ、前者を舞踊、後者を歩行にたとえた。散文は歩行と同じようにひとつの目指す地点があり、そこに到達することを目的とするが、詩は舞踊のようにある対象、すなわち一つの地点に向かうのではなく、行為そのものが目的になるのだという。1年ぶりに東京で再会した森井監督の「作意的な意味や方向性を与えず、不思議なものを不思議なまま描きたかった」という述懐は、(もちろん森井監督がバレリーの見解によって映画を作ったはずはないが)恐ろしいほどぴったりと当てはまる。
ただ、「ルート29」が持つ真の美点は、このような「ポエティック・ナラティブ」が、それが悲しみなのか、驚きなのか、憐憫(れんびん)なのか、あるいは愛なのか、定義しにくい感情となって胸に入り込み、その余韻が何日も続く珍しい映画体験につながることである。それだけではない。ひとつひとつがルネㆍマグリットのシュールレアリスム絵画か、ティムㆍバートンの初期作品を連想させるミザンセーヌで構成されている驚くべき場面は、その上にサウンドで水のイメージをかぶせる極めて新鮮な手法で観客を魅了し、まるで仮想現実の挿絵が続く絵本のようだ。
大沢一菜は世界に解放された
一方、映画に対する賛辞を超えて感謝までしたくなるのは、デビュー作が上映されただけでヨーロッパと韓国にマニアを量産した監督が、それに満足せず悩みに悩んで、大沢一菜という「日本映画の未来」を、「こちらあみ子」のおばけばかりの小さな部屋から出して、不思議でありながらも豊かな世の中の冒険へと導いてくれたこと。
またこれに加わるのが、今までの作品で演じてきた人物のイメージから遠ざかり「ただ、そこにいる」無名の誰か、つまり家具もない家でいつも同じように見える服だけを着て過ごすトンボ、あるいはのり子として生まれ変わった綾瀬はるかの存在感である。涙を流しながら脚本を読んだというものすごい吸収力と、同じくらいとんでもない情熱。あるシーンを演じるために、がらんとした部屋でわざとしばらく待機していたという努力の跡は、ランニングタイム120分の映画の随所で見られる。
照れ屋の2人が打ち解け合った
映画史的側面で強調したいのは、大沢一菜と綾瀬はるかの2人の女優のケミストリーが、今まで我々が見てきた映画史のどんな前例とも差別化されるロードムービーを誕生させたということ。筆者が森井監督にその秘訣(ひけつ)を聞いたところ、2人とも照れ屋で、わざとお互いを仲良くさせようとしなかったのに(無理に何かをさせないという彼らしい演出)、気がついたら親しくなっていたと。「なるほど」という感嘆のつぶやきが自然に漏れる。
ここまで来ると、日本の皆さんがうらやましくなる。たった2本だけで大ファンを確保する森井監督の映画を真っ先に見ることができるのは、どれほどぜいたくな環境だろう。ここに彼に一言お願いを付け加えたい。「製作費も出せないのに厚かましいですが、どうか続編を作ってください」