第79回ベネチア国際映画祭のレッドカーペットでポーズする(左から)木村文乃、深田晃司監督、砂田アトム=ロイター

第79回ベネチア国際映画祭のレッドカーペットでポーズする(左から)木村文乃、深田晃司監督、砂田アトム=ロイター

2022.9.29

リド島で流れた矢野顕子の歌声 「LOVE LIFE」世界へ ベネチア国際映画祭滞在記 深田晃司

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第79回ベネチア国際映画祭のコンペティション部門に出品された「LOVE LIFE」。深田晃司監督に滞在記を寄稿してもらった。


 

夜の風に潮の香り 世界最古の映画祭へ

俳優の砂田アトムさん、手話通訳の田村梢さんと乗り込んだ「タクシー」の室内はひっそりと暗く、手狭な空間には10人ほどが座れる椅子が並んでいる。同日の昼間に利用した同型の「タクシー」には、私たち以外にも赤ん坊を連れた家族連れの乗客がいてにぎやかであったが、今回は私たちだけであった。夜の暗闇から侵入した潮の香りが不在の椅子をそっと包み込んでいる。乗り込んですぐ目の前の椅子に座ろうと腰を屈めた私は気を変えて、入り口から最も離れた最後尾の椅子に腰掛けた。その意図をすぐにくんだ砂田さんも私の隣に座る。

 

「タクシー」が進み出し、私と砂田さんはすぐに立ち上がった。私たちが陣取った最後部座席の上部のみ屋根が途絶えていて星空が覗く。屋根の端からぬっと顔を出せば、前方へと向けられた私たちの顔は夜の風を目一杯受けることになる。それは、想像していたよりもずっと爽快で心地よいものだった。「タクシー」は真っ暗な海の波間を砕きながら大変な勢いで前へ前へと進んでいった。視線の先には、漆黒の海に並ぶ黄色い光。それはリド島の灯りだった。
 
ヴェネチア国際映画祭。世界最古の歴史を持つと言われる映画祭で、戦争による中断を挟みながら、今年2022年で90年となる。その映画祭に本年、拙作「LOVE LIFE」を出品することとなり、私はドバイの空港で乗り継いで、18時間をかけて日本からヴェネチアへとやってきたのだった。

 

=ロイター

獲れたての作品が並ぶ市場

映画祭と言うと人はどんなイメージを思い浮かべるだろうか。
 
多くの場合、華やかなレッドカーペットの映像や写真、そこに並ぶ着飾った映画スターたちの姿を連想されるのではないかと思う。それらはまったく間違っていないが、しかし映画祭の全体像からするとそれは氷山の一角でしかない。映画祭の担うもっとも重要な役割は、映画の市場、つまりは見本市である。
 
魚市場に例えて言えば、そこには獲(と)れたての新鮮な魚介類が並び、各地からその魚を求める業者が訪れる。それは寿司(すし)屋かもしれない、イタリアンかもしれない、小料理屋かもしれない。それぞれの業者は自分の店に合った最良の魚を探し持ち帰るのだ。「魚」を新作映画(あるいは作家)、「業者」を配給会社やプロデューサー、各国映画祭のプログラマーに置き換えてみればよい。
 

=ロイター

歴史感じる上映会場でワールドプレミア

一方で、そのショーケースにどんな作品を並べるかは、娯楽性の高さよりも作家性や芸術性が基準となることが多い。膨大な製作費が必要とされる映画表現はどうしても市場に受け入れられやすい作品、つまり商業性の高い作品が作られやすくまた流通することになるが、映画祭は市場の原理とはまた違う評価軸によって価値の曖昧で未確定な作品を選出し世に送り出していくことで、文化の多様性に貢献してきたのである。
 
滞在初日、サン・マルコでの夕食を終えた私と砂田さん、撮影現場から一貫してお世話になっている手話通訳の田村さん(砂田さんはろうの俳優である)は、冒頭で記したように3人並んで水上タクシーの心地よい夜風を受けながらそれぞれのホテルへと戻ったのだった。翌日、我らが主演俳優である木村文乃さんが到着し、いよいよ映画「LOVE LIFE」は本格的に「見本市」のショーケースに陳列されることとなった。
 
作品のお披露目となるいわゆるワールドプレミアは9月5日、メイン会場であるSala Grandeで行われた。レッドカーペットを歩いた先に到着した1000人収容できるそのホールは、歴史があるだけにやや古めかしい内装で、私たちは指定された席に座ることになるが、そこは2階席の先頭だったため、観客からの距離がやや遠く上映中の観客の反応が聞こえづらかったことは残念だった。


 ロイター

矢野顕子の歌声が流れ「ようやく完成した」

静かに映画を鑑賞する傾向の強い日本の観客と違って、海外の観客は反応が素直に溢(あふ)れる。笑ったり息をのんだりといった気持ちの動きを共有できる時間はとても楽しいものだ。1階席に座っていた映画スタッフに後ほど聞いてみたところ、お客さんのリアクションは大変よかったらしい(それは後日、トロント国際映画祭の上映会場で確認することとなった)。
 
映画も終盤に差し掛かり、この映画の主題歌である矢野顕子さんの「LOVE LIFE」が流れたそのとき、ようやくこの映画は完成したと思えた。20年前にこの歌に感銘を受けて、物語を妄想し、いかに最高の形でこの歌を映画館に響かせるかばかりを私は考えてきたのだった。
 
上映後、拍手が湧く。木村文乃さん、砂田アトムさんと目配せをして立ち上がり、スタンディングオベーションの時間が始まる。上映後に自然と起きる拍手の音はいつどこで聞いても格別にうれしいものであるが、スタンディングオベーションは少々苦手である。どのような顔をしてそこにいればよいのか分からなくなり、次第にみんな本当はもうやめたいんだけどやめどきが分からず困っているのではないか、と不安になってくる。儀礼的なスタンディングオベーションよりも、観客の声を直に聞くことができる質疑応答の時間の方が好きである。
 

「LOVE LIFE」上映後、拍手に応える=共同

「我が子」よ 遠くへ旅をして

さて、残酷にも上映翌日には世界各国のメディアの星取表が発表され、我が子は競争社会へと放り出される。賛否はもちろん相応に分かれるものの概ね好評で、星取表では高順位につけた。受賞こそ逃してしまったものの、映画祭での評判を受け、日本での公開日と同日に決定していた映画祭の地元イタリアでの公開は拡大することに決まったこと、各国での配給が順調に決まっていったことは、大きな成果であった。
 
映画の完成を受けて、矢野顕子さんは「行く先々で曲がいい経験をするんでしょうね」と語って下さった。かわいい子には旅をさせよ。「LOVE LIFE」には世界各国、できるだけ遠くまで旅をして多種多様な人々に出会ってほしいと願っている。

LOVE LIFE

福祉事務所に勤める妙子(木村文乃)は前夫との子供敬太を連れて、役所の福祉課の二郎(永山絢斗)と再婚した。二郎の両親を招いたパーティ―の最中、敬太が風呂場で溺死してしまう。葬儀に、行方不明だった前夫シンジ(砂田アトム)が現れ、妙子を平手打ちする。シンジは韓国籍のろう者で、ホームレスとなっていた。生活保護申請のために役所を訪れたシンジの担当となった妙子は、敬太の死に対する自責の念をシンジに打ち明ける。一方二郎も、昔の恋人と接近していく。ベネチア国際映画祭コンペティション部門に出品された。

©2022映画「LOVE LIFE」製作委員会&COMME DES CINEMAS

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