第75回ベルリン国際映画祭で「ミックスモダン」の上映後、質疑応答に参加した藤原稔三監督(右)と主演の井戸大輝

第75回ベルリン国際映画祭で「ミックスモダン」の上映後、質疑応答に参加した藤原稔三監督(右)と主演の井戸大輝2025年2月21日、勝田友巳撮影

2025.2.23

どん底転落でも「人生はやり直せる」 ベルリン国際映画祭上映「ミックスモダン」に込めた思い 

世界3大映画祭の一つ、第75回ベルリン国際映画祭の話題を現地からお届けします。日本映画の最新作も上映され、映画人が現地入り。ドイツや欧州を取り巻く政治情勢に揺れてきたベルリンは、今回からプログラムディレクターが交代し、新体制の船出となってそのかじ取りに注目が集まっています。

筆者:

勝田友巳

勝田友巳

第75回ベルリン国際映画祭で上映された日本映画「ミックスモダン」は、藤原稔三監督の自主製作映画だ。日本での公開は白紙の低予算作品だが、ベルリンでの上映ではその真実味に「自分も現場にいるようだ」という声もあったほど。少年院を出所した少年が保護司に支えられて再生のきっかけをつかむ物語には、藤原監督自身の人生が重ねられていた。


「ミックスモダン」=提供写真

更生を決意した少年 苦闘しながら支える保護司

「ミックスモダン」は大阪のお好み焼き店が舞台。恵まれない家庭環境から非行に走り、人を傷つけた勇人(井戸大輝)は少年院で更生を決意し、出所後、保護司の博之(藤原)が営むお好み焼き店で働き始める。昔の仲間の元に戻りそうになる勇人と、自身も困難を抱えながら勇人を支える博之の姿を描く。

藤原監督は映画演劇企画集団で活動している。「ミックスモダン」のきっかけは10年ほど前、大阪を中心とした企業が元受刑者の就労を支援する「職親プロジェクト」の取り組みを知ったことだったという。取材を重ね資料を読み込んで脚本を書き上げ、同プロジェクトの中心で、物語の元にもなった、お好み焼きチェーンの「千房」に映画化を打診した。同社は店舗での撮影を快諾。はじめは断られた少年院内での撮影も、同プロジェクトとの関連で実現した。セットを組まず〝本物〟で撮影できたことで、製作費を大幅に削減。藤原監督が出演と編集も兼ね、自己資金と協賛金など約1000万円の低予算に抑えた。「奇跡のような巡り合わせ」という。

映画祭への出品は当初からの目標の一つ。いくつかの映画祭に応募し、ベルリン国際映画祭の、個性的な映画を集めた「パノラマ部門」から声がかかった。「まさかベルリンのような大きな映画祭に呼ばれるとは、夢のよう」。ベルリンでの上映ではチケットが完売。上映後には客席に向けて「小さな可能性を信じて完成させ、ずっと夢見てきた場所に来られた」と感激を表していた。


手を差し伸べて救ってくれた人がいた

映画での勇人は自身の弱さや困難な環境に直面するが、博之は一貫して励まし続ける。その根底には、藤原監督が何度も転落と再生を経験して得た「人はやり直すことができる」という実感があるという。藤原監督の生家は裕福だったが、物心つくころには家業が傾き苦しい生活へと転落。母親の支えで大学に進み、俳優を志して「あの夏、いちばん静かな海。」「ミスター・ベースボール」などに出演して軌道に乗り始めるものの、舌がんで舌の再生手術を受けて演技者として挫折する。所属事務所も離れたが、事務所の社長から演技指導の講師に誘われ、創作を続けることができた。「どん底に落ちるたびに手を差し伸べてくれた人がいて救われ、ここまでこられた」と振り返る。

この作品をきっかけに4年ほど前に実際に保護司となり、元受刑者の社会復帰を助けている。「自分も仲間に恵まれ、失意の時に気持ちをくんでもらえた。誰かを更生させるとか世の中を良くするとかではなく、同じ目線で寄り添い、心の声を聞くのが仕事だと思っている」

日本での劇場公開に向けてはこれから働きかけるというが、ベルリンでの上映で、海外の配給会社や映画祭から声がかかっているという。そして、「少年院で上映したい」と希望する。これまで全国各地で保護司に向けた上映会を行ってきた。「やり直そうとする人たちと、彼らを支える人たちに見てほしい」と訴えている。

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