国際交流基金が選んだ世界の映画7人の1人である洪氏。海外で日本映画の普及に精力的に活動している同氏に、「芸術性と商業性が調和した世界中の新しい日本映画」のために、日本の映画界が取り組むべき行動を提案してもらいます。
2022.9.07
【ヘルドッグス公開記念】最新作に見る、止まらない進化/原田眞人監督論 「The present progress」
2022年9月16日「ヘルドッグス」の劇場公開を記念して、映画ジャーナリスト・洪相鉉氏による「原田眞人監督論(全3回)」をお届けします。
「なかなか終わらなければロビーで(Q&Aを)しましょう」
2022年7月12日19時10分。原田眞人監督マスタークラス本番。
時間が50分に限られているが、監督が非常に入念な準備をしてこられたので、Q&Aを少し減らそうかとアナウンスした瞬間に出た大御所の提案。彼の顔を眺めた。優しさとともに熱情に満ちた目つき。その瞬間、筆者の頭の中は彼が審査員を代表して登壇した開幕式のスピーチで皆をドキドキさせた単語「passion」で満たされた。
「偉大な作家の精神年齢は、いつも20代で止まっている。枯れない青年の心が創作のためのエネルギーになってくれるのだ」
ベルリンで映画評論家として活動しながらベルリン国際映画祭、ニューヨーク映画祭などの審査員を務め、筆者が映画ジャーナリストの道を歩むことにも影響を与えた叔父の言葉を思い出すと、1972年、ハワードㆍホークスを〝再発見〟して、映画監督としての理想の姿を『コンドル』を中心とするホークス作品の登場人物たちに見いだす。同年7月、サンセバスチャン映画祭に審査員長として招かれたホークスとの出会いを求め、ロンドンからベルリン映画祭を経てサンセバスチャンへ入る」(本人の回顧)青年、原田眞人が見えてきた。
「ヘルドッグス」がマスターピースたる理由
その後、世界映画史の新時代を切り開いた人々と肩を並べ、究極的にはアジアまでを網羅する巨匠に成長した彼の人生遍歴は、最新作の「ヘルドッグス」にも多大な美徳を残した。まず「映画の主人公たちは二度と同じコースを通らない砂漠のキャラバンのようだ」という映画評論家のマニーㆍファーバーの言葉を想起してみよう。英雄である個人の孤独な決断と彷徨(ほうこう)をジャンル映画の迫力ある簡潔な文法で描くホークスのスタイルは、「ヘルドッグス」の潜入捜査官・出月梧郎(岡田准一)から発展的に継承されている。闇の世界での梧郎のパートナー・室岡秀喜役で熱演した坂口健太郎も同様だ。狂人と少年の姿を持ち、破滅に向かって疾走する秀喜は、ホークスの「暗黒街の顔役」のトニーㆍカモンテ(ポールㆍムニ)を連想させる。他にも英雄主義と男性集団の連帯感を自ら否定し始めたホークスの後期スタイルの「アドバンスド・バージョン」を発見することも、同作の大きな魅力である。
これだけではない。 「ヘルドッグス」は現代映画に初めて「暴力」の話題を取り入れ、「暴力のピカソ」と呼ばれたサムㆍペキンパーを思い出させる。スローモーションや多様なカットで観客を熱狂させた編集の妙はもちろん、非典型的アクション映画としての吸引力はその根拠になる。 アーティストのようなメトロセクシャルのヴィラン(MIYAVI)とカラオケで革命の歌(「インターナショナル」)、さらにべルディの「行け、わが想いよ、黄金の翼に乗って」を歌うギャングスターの姿とイーゴリㆍストラビンスキーの変奏のようなリズムを感じさせるアクションシーンをペキンパーが直接見たら、嘆声を 上げるのではないだろうか。
ただし、その嘆声は決して原田監督がハリウッドの外見を日本映画で完璧に再現したためだけではないだろう。ストーリーテリング自体が「地球的普遍性(global universality)」を持ち、表現ではどの国のシネフィルも感動させるジョルジュㆍメリエスのレガシー、すなわち自由自在の「映像言語」の活用が実に恐ろしいほど巧みであるためであろう。だから、原田監督の映画では時空間の地域性区分(regional classification)は無意味なのだ。これは原田監督のフィルモグラフィーから如実に表れている。考えてみよう。まずキャストをハリウッドのスターで埋めつくし、「わが母の記」の舞台をイギリスのウィルトシャー、「駆込み女と駆出し男」の舞台を中世のフィレンツェの修道院、「燃えよ剣」の舞台をナポレオン戦争中のライプチヒに変えるとどうなるか。カンヌのプレミアに行けない作品があるだろうか。
原田監督と関連してさらに感動的なのは、彼がこのような自身の才能とノウハウを独占せず、次世代と共有しようとしていることだ。彼は352ページにおよぶ膨大な内容の著書「原田眞人の監督術」に、自身の映画ノートをぎっしりと書き、加筆まで収録している。3回程精読した読者なら、フィルムスクールの映画演出論講座を受講しなくてもいいほどだ。
――2022年7月12日22時。
長かった一日を終えてホテルに向かうとき、カリフォルニアの海を想像した。その中で筆者は何かにとりつかれたように海に近づき、水に手をつける。これはおそらく原田監督に初めて連絡を取った22年5月26日から7月14日までの筆者の経験を振り返らせるイメージだろう。「壁」ではなく「道」として島国と世界を結び、今この瞬間も「歴史」や「伝説」にとどまらず、現在進行形で日本映画に生命力を吹き込んでいる大洋のようだ。
たった一度のマスタークラスと3本の原稿で、原田眞人の作家世界について語れることではないことはすでに知っていた。筆者はただその無限の海に手をつけたのだ。
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第1回:原田眞人監督論 「The present progress」
第2回:原田眞人監督論 「The present progress」