誰になんと言われようと、好きなものは好き。作品、俳優、監督、スタッフ……。ファン、オタクを自認する執筆陣が、映画にまつわる「わたしの推し」と「ワタシのこと」を、熱量高くつづります。
2024.6.09
スポーツ記者が見た「バティモン5」は開催間近パリ五輪の〝非公式記録映画〟だ
フランス国旗の3色のスモークを出しながら空軍機がパリの上空を舞い、各国の選手たちを乗せた船がセーヌ川を行き交う――。そんな華やかな祭典の陰で、虐げられる人々がいる。オリンピックを取材してきた記者として、パリ五輪の開幕が迫る今こそ見るべき映画と言っていい。「バティモン5 望まれざる者」。パリ五輪のきらびやかな映像には決して映し出されない、開催都市のもう一つの顔を見ることができる。
五つの輪 登場しなくても……
舞台はパリ郊外、労働者階級の移民らが暮らす10階建ての団地。5号棟(バティモン5)の最上階には西アフリカ・マリにルーツを持つ主人公の女性アビーの家族が暮らす。冒頭のシーンがまぶたの裏に焼き付いて離れない。アビーの祖母が亡くなり、ひつぎを4人の男たちが担いで運び出す。最上階といっても、東京五輪の選手村跡地に整備されたタワーマンションとは大違い。エレベーターは故障して使えず、狭くて真っ暗な廊下は電気がつかない。あちこちにひつぎをぶつけながら、落とさぬよう、おそるおそる階段を下る。
「死んでも安らかに眠れないなんて」。そんな嘆き節が、彼らの生活の全てを物語る。断っておくが、この映画には青、黄、黒、緑、赤からなるあの五つの輪のマークはどこにも登場しない。にもかかわらず、五輪を強く想起させるのは開幕間近だからではない。五輪を理解する上で重要なキーワードが描かれているからだ。
それが「ジェントリフィケーション」だ。パリ郊外の実情に詳しい森千香子・同志社大教授(社会学)は耳慣れぬこの言葉を次のように説明する。「ジェントリフィケーションとは三つの変化が同時に起きること。再開発でまちの景観が大きく変わること、土地の値段、地価が急激に上がること、まちの住民や利用者の属性が大きく変わること」
「バティモン5 望まれざる者」© SRAB FILMS - LYLY FILMS - FRANCE 2 CINÉMA - PANACHE PRODUCTIONS - LA COMPAGNIE CINÉMATOGRAPHIQUE – 2023
ジェントリフィケーション 変わる開催都市
五輪とジェントリフィケーションは切っても、切れない関係にある。その証しとして、森教授は1冊の報告書を挙げる。国際人権団体「居住権・強制退去問題センター(COHRE)」(本部・ジュネーブ、2014年解散)が07年に公表したものだ。1988年ソウル五輪から12年ロンドン五輪までの七つの夏季五輪開催地を調査し、五輪による都市開発の影響をまとめた。
ソウルでは五輪準備のために72万人が家を追われた。続く92年バルセロナ五輪でも、低所得者は市外への移住を強いられた。その後も同様な例は続く。中国政府は否定したが、08年北京五輪ではその数は約150万人が見込まれると報告書は指摘した。21年の東京五輪では、主会場となる国立競技場の建て替えに伴い、都営霞ケ丘アパートが取り壊された。元住人に話を聞いたことがある。64年東京五輪を機に整備されたこのアパートに移り住み、半世紀の歳月を経て再び追われた者もいた。五輪に振り回された人生でもあった。
東京五輪が発端となり、競技場を含む明治神宮外苑地区の高さ制限が緩和された。高層ビルの建設が可能になり、建設ラッシュが進む。イチョウ並木などへの影響など批判の声が高まる神宮外苑の再開発も、その延長線上にある。
国家イベント口実に進む再開発
一方、パリでは21世紀に入り、人口が密集する中心部に変わって、パリ郊外のセーヌサンドニ県など周辺地区の再開発を求める声が高まった。グラン・パリ計画である。同県は19世紀半ば以降、工業地帯として発展。戦後は住宅難を解消するため、政府の方針で大規模な団地が建設された。アフリカやアラブ系など植民地からの移民が移り住み、貧困や差別の温床となった。
再開発を推し進めたい政府や自治体だが、老朽化した団地には貧しい人々が暮らす。簡単に取り壊すわけにはいかない。突破口として持ち出されたのが五輪だった。森教授はそう指摘する。同県では1万4000人が収容可能な選手村が整備されたほか、水泳の飛び込みなどの会場となるアクアティクスセンターが建設された。
映画の舞台はパリ郊外の架空の街だが、ラジ・リ監督が育ったモンフェルメイユも同県に位置する。団地から立ち退かされる移民家族の姿は、監督の実体験がベースにあるという。パンフレットのインタビュー記事で、ラジ・リ監督は「ジェントリフィケーションは東京を含む世界中の大都市すべてに関係する普遍的な問題」と述べている。
分断される世論 立ち上がるアビー
映画では印象的なやり取りがある。移民らの支援活動に取り組むアビーと幼なじみの男性ブラズとの会話だ。ブラズは「政治に手を出すな」と忠告するが、アビーは「政治家が変わらないなら声を上げなきゃ」と反論する。デモに参加し、市長選にまで出る。
疫禍の祭典となった東京五輪では、強引に開催を推し進める政府によって国民世論は分断された。SNS(ネット交流サービス)で相手を傷付けるような言葉が飛び交ったが、アビーのように立ち上がる人がどれだけいただろうか。
五輪では毎回、公式記録映画が製作される。まばゆいばかりのスポットライトを浴びて、躍動するアスリートの姿などを後世に伝える。だが、そこからこぼれ落ちる人々がいる。すみかを追われて暮らすアビーらの家族もそうだろう。光が強ければ影もまた濃い。パリ郊外の重苦しい現実の姿を伝えるこの作品は、非公式の五輪映画と言えるかもしれない。