第74回ベルリン国際映画祭は、2月15~25日に開催。日本映画も数多く上映されます。戦火に囲まれた欧州で、近年ますます政治的色合いを強めているベルリンからの話題を、現地からお届けします。
2024.2.21
永瀬正敏が27年越しでたどり着いた「箱男」ベルリンの晴れ舞台 「監督を思わず握りしめた」
海外の映画祭は何度も訪れたはずの永瀬正敏にも、第74回ベルリン国際映画祭は格別だったようだ。27年前に同じドイツの地で撮影開始前日に中止となった、「箱男」のワールドプレミア。エンドロールの拍手の中、隣にいた石井岳龍監督を「思わず握りしめた」。胸中に去来した思いを語ってもらった。
淡々と歩く背中に悲しみが
「箱男」は安部公房が1973年に発表した小説の映画化で、92年に石井岳龍(当時は聰亙)監督が映画化を託された。97年、日独合作、ドイツ・ハンブルクでの撮影と決まり、永瀬は先乗りして役作りにかかる。
「1カ月、ホテルの部屋でのぞき窓を開けた段ボールの箱をかぶって生活しました。監督からは『毎日目の写真を撮る』とミッションを与えられて」。箱男は全身を隠していて、のぞき窓から見える目だけが演技の要。「当時はデジカメがないですから、ポラロイドカメラで撮影して、監督に見てもらってたんです。なかなかOKがもらえず、自分でも『まだだな』と思っていたんですが、ようやく『これかな』と思う写真が撮れた。監督に見せたら『これだ!』と」
そして迎えた撮影開始の前日、ハンブルクの町中でスチール写真を撮影することになり、ロビーに集合。いざ出発という段になって、石井監督が呼び出されて姿を消す。しばらくして現れたプロデューサーから「この映画を中止にします」と告げられた。「ガラス越しにロビーの向こうに監督が去って行く後ろ姿が見えて、あれが忘れられない。トボトボではなく、淡々と歩いていった。それが余計に悲しくて」
こみ上げるもの抑えたファーストカット
その後石井監督とは、「五条霊戦記」(2000年)、「ELECTRIC DRAGON 80000V」(01年)、「蜜のあわれ」(16年)など何度も組んだ。その間も「箱男」は浮かんでは消え、「諦めてないぜ」と出演を依頼され続けてきた。ようやく条件が整って迎えた撮影初日のファーストカットを、27年前も担当するはずだった美術の林田裕至と並んで見たという。「監督が生き生きと『よーい、スタート』と声をかけるのを見て、2人で目を合わせて。こみ上げてくるものを必死で抑えていました」
ワールドプレミアの上映では監督の隣に座った。「上映後の拍手を聞いて思わず監督を握りしめてしまいました。手だと思ったら、脚だったんですけどね。27年前の中止だけでなくて、その後の曲折も知っているし、思いを共有してきた。ようやく映画を作って、しかもドイツに来られた。それを思うと、感慨が深すぎました」
箱から見た世界、体感して
小説の「箱男」は段ボール箱をかぶり自分の存在を消して暮らす男を通して、見る/見られることが存在に与える意味、社会とのつながりを断った果てのアイデンティティーとは何かを問い掛ける、メタフィクション的な構造を持った実験的小説だ。石井監督が映画化を諦めなかったのは、そのテーマが古びなかったから。「1人1台スマホを持ち、情報で武装する時代の匿名性の怖さ。その先見性を感じて、今撮るべき作品だという気がします」。27年前の脚本でも主役の箱男。ただ、趣は異なるとか。
「監督は安部さんから、エンタメにしてくれと求められたそうです。97年にはその要素が濃かったんですが、今回はより原作に近い解釈が入っているという印象です」。今回もやはり段ボール箱をかぶって生活したそうだ。「最初は暗闇で怖いんですよ。でも27年前も今回も、どんどん居心地良くなってきちゃう。危ないです。飼っている猫を中に入れてやると、猫も落ち着いちゃうんです。生き物の根底にある、動物的な何かがあるのかもしれない。皆さんにも、箱から見た世界を体感してほしい」
人との出会い 映画祭ならでは
ベルリンには01年のコンペに選出された「クロエ」(利重剛監督)で訪れて以来。国際的な知名度と人気で、舞台あいさつや観客との質疑応答、内外のメディアからの取材に追われるが、楽しみも。「01年には、若手監督のパーティーに参加して、めちゃめちゃ楽しかったんですよ。やっと撮れた、これからも撮り続けたいという映画への思いや熱気がすごくて。一番の思い出」
今回は台湾のツァイ・ミンリャン監督と俳優のリー・カーションと久しぶりに再会した。「映画祭はただの〝形〟じゃない。かかわったたくさんの人たちの人柄を感じるし、毎回学ぶことがある。文化が違うと反応が違うのも面白い。人との出会いも、映画祭ならではですね」