冨永昌敬監督 撮影=田辺麻衣子

冨永昌敬監督 撮影=田辺麻衣子

2023.10.05

インタビュー:分身の術みたいな形にしたかった「白鍵と黒鍵の間に」冨永昌敬監督が池松壮亮主演映画に望んだこと

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鈴木隆

鈴木隆

昭和末期の夜の銀座を舞台に、ジャズピアニストへの夢を追う男やバンドマン、歌姫、ヤクザの会長らが交錯する映画「白鍵と黒鍵の間に」。原作は現役のジャズピアニストでエッセイストでもある南博さんが、ピアニストとしてキャバレーや高級クラブを渡り歩いた青春の日々をつづった回顧録だ。映画化の背景、演出や時代設定へのこだわりなどを冨永昌敬監督に聞いた。


 
南は才能はあるが夜の世界のしがらみから抜け出せないピアニスト、博はジャズマンになりたいという夢に向かって自分を売り込もうと高級クラブのハウスバンドを目指す(池松壮亮の2役)。博はふらりと現れた謎の男のリクエストで、「ゴッドファーザー 愛のテーマ」を演奏するが、その曲をリクエストしていいのは銀座かいわいを牛耳る熊野会長だけ。演奏を許されているのも会長お気に入りの敏腕ピアニストだけだった。南と博の葛藤と選択、夜の銀座に生きる人たちの一夜の狂騒を描いた。
 

失敗を面白おかしく語る人

 「自分と似ている部分があると考えた。10代や20代のころに面白いことをやりたい、自分を表現したいと思った人には自分が見え隠れする気がした」。冨永監督は南博さんの原作と出会った時の感想、映画にしたいと思った理由を説明する。今回の作品に限らず「例えば、雑誌編集者の末井昭さんを描いた前監督作の『素敵なダイナマイトスキャンダル』(2018年)では本当にやりたかったことではないが、突き詰めて第一人者になった人。思った通りにいかず脱線したところに自分の人生を作れる人、南さんのように脱線しても一念発起して夢に戻った人も好きだし関心がある」。
 
「映画のモデルになっている人が原作の中にいた」。南さんはいろんな人を裏切っているのではないかと悩み、自分を応援してくれた人、バンドマスターや怖いだけではないヤクザの会長とかの存在に気付いたという。「若いころに、自分にはない南さんの無鉄砲さやたくましさがほしかった。少し大げさに言うと、等身大のヒーローのようなところ。少年漫画を読んでいるような気持ちになった。自分の失敗も含め面白おかしく語れる人に親近感を感じた」

 

〝 分身の術〟を実現

主人公を同じ時代の南と博の2人に分け、しかも一晩の物語として描いた。年代記の形を避けたのはなぜか。「若者が主人公で普通に描いたら青春映画になりがち。年代記の形だった前監督作の『素敵なダイナマイトスキャンダル』と同じことをしたくなかったから、年代記のスタイルをとらなかった。数年間の話にせずにビフォーとアフターの主人公を同時に画面に出す、言ってみれば分身の術みたいな形にしたかった」
 
それだけではない。高級クラブやキャバレーの中のシーンがほとんどで、夜のみ。しかも一夜の物語だ。「文章でいうなら段落分けがない映画。始まったら一直線に終わる映画を作りたかった。そういうジェットコースター的映画体験を味わってほしい。しかも地味な内容の映画で」。一晩の話は脚本の第1稿から決めていて、ビフォーとアフターの主人公を同時に出すアイデアは最近考えたようだ。さらに続く。「本当はモノクロの作品にしたかったが、製作サイドのOKが出なかった」
 
冨永監督の本作へのこだわりはまだまだ尽きない。1988年ごろの話だが「その時代を再現するような描き方はしたくなかった」と話す。「素敵なダイナマイトスキャンダル」は60年代後半から88年ぐらいまでを描いたが、装飾や衣装などその時代の空気をスクリーンに実現したところ「それほど作品の強度にはならなかった。本作では時代を描くということに画面的にもテーマ的にも興味がなかった」。モノクロにしようと考えたのは、時代は色を排すから。『エレファントマン』(80年)みたいにしたいと考えていた」。
 

熱演でなくバカっぽい芝居を

 クラブのオーナーやバンドマン、ヤクザの会長ら登場人物はクスッと笑ってしまうような言葉や動きを再三見せる。「例えば、ヤクザの会長役の松尾貴史さんには東京の噺家(はなしか)さんみたいな口調で話してください、とお願いした。役者さんたちには笑いを狙わないように演じてほしかった」。それでも、どの人物も緩い感じが作品全体のトーンにもなった。「俳優さんたちには、迫真の演技や体当たり、熱演とかを求めたことはない、そのかわり、特に男性には、リアルにバカっぽくなってくれるようお願いした」

 
その理由を聞いてみると「根本的な人間観みたいなもの。男性に関してはかっこつけてる人はすぐわかるし、無理している人もすぐわかる。僕の映画の登場人物は無理している人はわかりやすくして演じてほしい。ずれにしても、全員がスマートな感じにはなっていない」。確かに、緩さが目立つ人にある種の親しみみたいなものがわく。「そう理解してもらえるとうれしい。作品自体をかしこまった感じにしたくないから。作品全体のトーンにも反映される」
 
一方で、本作のようにジャズや高級クラブ、夜といった設定だと大人っぽい雰囲気が漂う。かっこいいようなイメージもある。「見てもらうと全然違うのは一目瞭然。かっこよく作ろうと思ったら角川映画の『キャバレー』みたいな世界。この映画は外見はそうでも、実際はバカっぽい人しかいないみたいな感じにした」。スチール写真や予告編の映像と、実際の映画のトーンはかなり違う。冨永監督のテイストがあふれている。
 

男女関係、時代性を排して

 この作品であえて挑んだことを聞いてみた。「僕の作品は男女の痴話げんかや恥ずかしいくらいいちゃいちゃしているシーンがよく入るが、今回は封印した」。男女関係の話は確かに皆無に近い。「ホステスやチーママと主人公の関係、といったたぐいの話は一切入れていない。ホステスを主人公の恋の相手とかにしたらおみずの映画みたいになる。ホステスの競争の世界にもしなかった。楽しんでバイトしているくらいの感じ。とにかく、血なまぐさい感じにしたくなかった」
 
夜の銀座、バブルのころ、水商売、ホステス・・・・・・。服装などもそのイメージに関わってくるのが常だ。しかし、時代やこれまでのイメージを取り除き「らしさを排除して人物に焦点をしぼりたかった」という。「脚本でも登場人物を当時の人のようには書いていない。ヤクザの会長などは今に近い。南さんが三十数年前の出来事を十数年前に書いて、それを今映画にした。人物は現在の人みたいにして、ここでも時代性を排した」
 
「ゴッドファーザー 愛のテーマ」のエピソードは実際に南さんが経験していて、弾かされたという。ヤクザのボスから手下まで好きな人は多かったらしい。冨永監督にも好みか聞いてみた。「映画は好きだが『愛のテーマ』は特別ではない。むしろ、オープニングの結婚式のワルツの方が好き」
 
最後に、南と博の2役を演じた池松さんにはどんな演出をしたのか。その一端を語ってくれた。「高級クラブは制服があって店を掛け持ちすると、着替える時間が少なく非常階段で急いで着替えて別の店に行く。その時、エナメルの靴は歩き方がやからっぽくなるから」と池松さんに話し、歩き方の参考にしてもらった。細かいが、リアルな指示をしていたのがわかる。

本日より公開。

ライター
鈴木隆

鈴木隆

すずき・たかし 元毎日新聞記者。1957年神奈川県生まれ。書店勤務、雑誌記者、経済紙記者を経て毎日新聞入社。千葉支局、中部本社経済部などの後、学芸部で映画を担当。著書に俳優、原田美枝子さんの聞き書き「俳優 原田美枝子ー映画に生きて生かされて」。

カメラマン
田辺麻衣子

田辺麻衣子

たなべ・まいこ 2001年九州産業大学芸術学部写真学科卒業後スタジオカメラマンとして勤務。04年に独立し、06年猫のいるフォトサロンPINK BUTTERFLYを立ち上げる。企業、個人などさまざまな撮影を行いながら縁をつなぐことをモットーに活動中。

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