音楽映画は魂の音楽祭である。そう定義してどしどし音楽映画取りあげていきます。夏だけでない、年中無休の音楽祭、シネマ・ソニックが始まります。
2025.1.30
氷川きよしの魅力の源泉をレコ大審査委員長が語る 劇場版「氷川きよし / KIYOSHI HIKAWA+KIINA. 25th Anniversary Concert Tour ~KIIZNA~ 」
2025年1月16日、東京・有明の東京ガーデンシアターで、筆者はこの映画とほぼ同内容のコンサートを観覧した。ちょうど5カ月前の24年8月16日、氷川きよしの活動再開を華々しく祝うはずだった「KIYOSHI HIKAWA+KIINA 25周年記念コンサートツアー」の初日に台風7号が関東に大接近した。日本列島は三宅島などで最大瞬間風速30メートルを観測し、岐阜県美濃市で40.0度を記録するほどの異常気象となり、このコンサートは延期された。「出ばなをくじかれる」とはまさにこのこと。氷川再出発に、文字通り暗雲が垂れこめたように想像する芸能マスコミも少なくなかった。翌17日の2日目は台風一過の好天に恵まれ、コンサートツアーは実質的にここからスタートした。
「氷川のこれから」を見せる
今年1月16日のコンサートは、その「初日」の振り替え公演であり、ツアーの「最終日」となった。まるでメビウスの輪のように、始まりと終わり、裏と表が重なり合い、演歌・ポップスのジャンル、男・女の性別など旧来の線引き価値観における分別概念は意味をなさなくなり、それはまさに氷川きよしという希代のアーティストを象徴しているようであった。このコンサートドキュメンタリー劇場版映画は、その8月17日の「歴史的事件」を余すところなく記録している。
2000年2月2日に「箱根八里の半次郎」という時代錯誤のような股旅演歌でデビューした氷川は、可愛らしい風貌、意外性たっぷりの楽曲、昭和30年代の歌手のように伸びと張りのある力強い声、驚くべき歌唱力と、つかみどころ満載で、瞬時にスターダムにのし上がった。その年の「日本レコード大賞・最優秀新人賞」をはじめ各新人賞を総なめにしただけでなく、NHK紅白歌合戦にも出場。22年まで連続23回の出場を果たした。この間に演歌の枠にとどまらぬ歌唱スタイルや楽曲を世に提示し、音楽界・歌謡界のイメージリーダーとなった。22年の紅白をもって活動を休止。その後ほとんど公に姿を現さず24年に個人事務所「KIIZNA」を設立。この「25周年コンサート」は、歌手活動の集大成というだけでなく、1年8カ月の雌伏の意味と「氷川のこれから」を見せる重要な意味を持つものであった。
張り詰めた危うさの魅力
この映像は、ただでさえ1年8カ月ぶりの大舞台なのに、前日の「初日」が飛んだことで2倍のプレッシャーがかかるスターの実像を捉える。明らかに自信より不安が先行する「美しい」スターは、そのことによってさらに「美」が増しているように見える。氷川は、自信と不安だけでなく、満足と不満、喜びと悲しみ、受容と抵抗、動と静……いつも相反する感情をローマ神話の双面神ヤヌスのように備え携えている。その張り詰めた緊張状態の危うさが、氷川の魅力の源泉になっていると感じる。
カメラは、舞台裏やリハーサル風景、打ち上げの乾杯まで捉え、その魅力を映し出そうとする。「氷川きよし」+「KIINA」というダブルネームを合わせたコンサートタイトルにしたのも、単に演歌とポップスを歌う人という二元性ではなく、過去と未来、洋と邦はじめ音楽の対立概念が溶け合う一つの人格を「+」で表現したと思うのだ。
すべてが想像の外にある
ことほどさように、このコンサートは「新しい」。見たことがないものだらけである。仕事柄、最先端のアーティストのステージはほとんど拝見するが、それらは「流行の展示会」であり、予定調和である。もちろん、それが求められているのだから結構である。
ところが氷川のこのコンサートはすべてが想像の外にある。ガーデンシアターという最先端の会場で「ズンドコ節」や「白雲の城」が歌われることこそ「新しい」。そこに交じって「ボヘミアン・ラプソディ」や「限界突破×サバイバー」が炸裂(さくれつ)することが「新しい」。自分の来し方や夢を正直に描くオリジナル作品を涙ながらに歌う姿も「新しい」。そんなコンサートは氷川きよし以外不可能である。また、その歌唱レベルが際立っているというのも特筆しておこう。
氷川きよしという「世界サイズ」のアーティストを確認するにはなるだけ大きな画面で見た方がいい。映画サイズになってこそ存在の大きさを実感できると言うものだ。