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2024.4.09

名作「ミリオンダラー・ベイビー」の三位一体の意味を考えてみた

Y2K=2000年代のファッションやカルチャーが、Z世代の注目を集めています。映画もたくさんありました。懐かしくて新しい、あの時代のあの映画、語ってもらいます。

堀真弓

堀真弓

映画「ミリオンダラー・ベイビー」の中で出てきた三位一体の意味を考えてみた。2005年公開、第77回アカデミー賞4部門(作品、監督、主演女優、助演男優)を獲得した名作である。劇中、教会でフランキー(クリント・イーストウッド)が「三位一体とは何か」と神父に問う場面がある。三位一体とはキリスト教を信仰する人にとって、大事な教養であるから知らないはずがない。この単語を強調する理由が何かあるのではないかと考えた。そして思いついたのが、フランキーがこの物語で三位一体を体現しているのではないかということだ。
 

師匠、父親、死に神

三位一体とは別々の三つが一つのものとして結びついていること、三者が一致協力するといった意味を持つ。フランキーが体現した三者とはボクシングの師匠、マギー(ヒラリー・スワンク)の父親役、そして死を導く死に神だ。このような考えに至った場面がいくつかある。一つは二人が契約を交わすところだ。
 

このシーンの違和感

それは、フランキーが初めてマギーと向き合う重要な場面である。にもかかわらず、フランキーの顔は彼が語り始めてから長い時間、影に隠して見せない演出を施している。この時、マギーはボクサーとしての寿命が尽き、何も残せず誰にも愛されることなく死んでいくのだと訴えかける。この言葉に自身の心残りを重ねみたフランキーは、彼女のトレーナーになることを承諾する。そこで、このシーンの違和感を考えてみた。
 影には暗く寒い、じめじめとしたイメージがある。これから栄光をつかむために手を取り合う場面においてふさわしいとは思えない。この演出は、マギーのボクサー寿命が尽きかけていることを暗示しているのではないだろうか。そこで見えてきたのが死期を悟った人の元に現れるという死に神だ。私は死に神がフランキーの体を借りてマギーの最期を導くために現れたのだと思う。戦いの中で窮地に陥った時、必ず彼女は「どうすればいい?」とフランキーに質問をし、それに対し彼は的確に返答をする。そして彼女は、その導きのままに勝利を収めていった。

家族と別れレモンパイを食べる

ついでフランキーはボクシングの実績を積むマギーに生活の質を上げるよう指導する。ボロアパートに住んでいた彼女は、それに従い引っ越しを考え始める。その最中、マギーは生活保護で生活をしている母親と妹家族を喜ばせようと家を買い与える。しかし二人は好意をむげにするばかりか、ボクシングをバカにするような発言をする。このことは彼女が家族との関係を清算するきっかけとなる。家族と別れた帰り道、フランキーとマギーは林の中のカフェでレモンパイを食べ、父親との思い出を語った。フランキーはここでマギーの父親役を引き受けたのだろう。
 

三位一体を体現

タイトル戦で全身不随の大けがをし、二度と動けなくなったマギーは死を望む。その姿に哀れみを覚えながらも彼女に生きてほしいフランキーは、その苦悩を教会で神父に打ち明け、今まで苦しみ続けてきたのだから肩の荷を下ろしてもいいのだと神父は応える。師匠としての仕事が終わったフランキーはマギーの病室に忍び込む。マギーとの最後の会話を終えた彼は彼女を永遠に眠らせる処置を施すと、静かに病院から姿を消した。その後、誰に会うこともなく姿を消した彼は、一人マギーとの思い出がある林のカフェでレモンパイを食べていた。かくして私は、三役でマギーを導いたフランキーこそが、三位一体を体現した存在なのだと思うにいたったのだ。

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ライター
堀真弓

堀真弓

1998年11月17日生まれ
京都芸術大学(元京都造形芸術大学)映画学科/俳優コース卒業
趣味:テレビゲーム・スマホゲーム・乗馬
特技:乗馬
資格:薬膳コーディネーター
【出演】
立命館大学映像展「GoodbYE」
卒業制作「纏う」
現在は173cmという高い身長を生かしてショーモデルを中心に活動中。