1984年の「ターミネーター」公開から40年!アーノルド・シュワルツェネッガーのブレークと共に世界的なヒットと続編の製作、そして2024年はシリーズ初のアニメ作品も配信になるなど、今もなお愛されるSFアクション映画の金字塔の「ターミネーター」シリーズを特集します!
2024.9.03
「ターミネーター」シリーズへのリスペクトが感じられる、シリーズ初アニメ作品「ターミネーター0」
「ターミネーター 0」が、〝審判の日〟8月29日(木)よりネットフリックスで世界独占配信開始となった。今作は1997年の日本を舞台にしたSFアクションであり、「ターミネーター」シリーズ初のアニメーション作品だ。
97年の日本が舞台。科学者の家族たちを中心にした物語
物語の中心にいるのは、97年の日本に暮らす一家。人工知能(AI)を扱う科学者マルコム・リーとその3人の子どもたち、そして多忙なマルコムに代わり子どもたちの面倒を見ているお手伝いさんのミサキ。マルコムは機械によって人間が蹂躙(じゅうりん)される未来(=映画シリーズと共通する、「スカイネット」の脅威)を〝夢〟として繰り返し見ており、それを回避するための施策に奔走するあまり、子どもたちのことをないがしろにしている。
そんな折、ターミネーターがマルコムの子どもたちを襲撃し、行く手を阻む警察官らを容赦なく殺害していく事件が発生。運命を変えるべく未来から送り込まれたエイコという戦士も物語に加わり、親と子、人間と機械、過去と未来をめぐる新たな物語が始まるのだ。
今作は一見、どことなく「新世紀エヴァンゲリオン」のような雰囲気や、王道といえるであろうアニメーションの画風など、アニメーション制作が日本のProduction I.Gなこともあって〝日本アニメらしさ〟を前面に打ち出したような作品に見える。しかし、ストーリーを追えば追うほど、これまでの「ターミネーター」シリーズがつむいできた物語を背景に据えながら、新たなテーマの打ち出しにも挑戦した意欲作であることがわかる。
アニメシリーズというフォーマットを生かして、テーマを追求
「ターミネーター」シリーズに共通するテーマ・魅力といえば、「運命との対峙(たいじ)」、そして「機械と人間の感情」の描き方。今回の「ターミネーター 0」はそれらの要素を軸としながら、新たな描き方でそれらに正面から向き合っている。
今作で印象的だったのは、アニメシリーズという長尺を生かし、これまでの「ターミネーター」シリーズでは具体的に言語化されなかった〝運命に立ち向かう理由や目的〟が言葉で語られる会話シーンが作られたこと。映画シリーズでも今作でも散々語られてきた〝運命〟という言葉を現実主義・実存主義的観点から明確に否定し、その上で未来を変えようと働きかけるマルコムの姿を通じて〝人間らしさ〟を描いた。
〝人間らしさ〟を描くにあたって重要だったひとつの要素が、未来と過去の扱い。今作では〝過去を変えれば未来が変わる〟という「バック・トゥ・ザ・フューチャー」方式ではなく、〝過去に戻れば新たな未来が生まれる〟という「アベンジャーズ/エンドゲーム」方式であることが明確に語られたのだ。これを知った上で過去に戻り、戦いに身を投じるエイコの物語を通じて描かれるのが、変えられない未来を知っても新たな未来(=希望)を作るためにあらがう〝人間らしさ〟だ。
マルコムやエイコの戦いを描くことによって、正義感・使命感・希望といった、機械が持たず人間だけが持つ素質の価値を改めて定義した。そこに、今作がアニメシリーズとして制作された意義を感じる。
シリーズを通したテーマ「機械が感情を持ち得るか」の描かれ方はぜひ本編で確認を
ただ、マルコムの家族へのあまりに理性的な対応を見るに、彼は〝人間らしさを描くカギ〟であると同時に、〝人間らしさの欠如〟も象徴していたように感じられる。そこで注目したいのが、〝機械のような人間〟であるマルコムと、〝人間のような機械〟として登場する<とあるキャラクター>の対比だ。映画シリーズから続く、〝感情〟を通した人間と機械の比較が今作でも行われることになる。
「機械が感情を持ち得るのか」という疑問は「ブレードランナー」から「ザ・クリエイター/創造者」まで多くのSF映画でも描かれてきた永遠のテーマであり、「ターミネーター」シリーズでも〝人間と機械の感情を通じた交流〟は描かれてきた。しかし実際のところ、「ターミネーター」シリーズにおいてこの疑問が明確にテーマとなるのは珍しいことだ。
基本的に「ターミネーター」シリーズにおいては人間が機械に感情移入することこそあれ(〝人間なのか機械なのかわからない〟というキャラクターが中心に存在した「ターミネーター4」<09年>は例外として)、T-800(アーノルド・シュワルツェネッガー)ら機械側が感情の存在を否定してきたため、その感情移入はある意味一方的だ。今作のように〝機械に感情が芽生えているように見える〟という驚き・戸惑いはあまり描かれてこなかったのだ。
人間と機械の違い、機械が見せる感情の最終的な描かれ方はぜひ本編で味わっていただきたいが、「ターミネーター 0」がこの問題を改めて考えさせる一作となったことは間違いない。
ほかにも、元祖「ターミネーター」のメインテーマをどこか意識していそうなテーマ音楽が流れていたり、容赦なく血が噴き出し身体の断面が見えるバイオレンス描写によって、アニメになろうと冷徹なマシンに感じるスリリングな恐怖は変わらなかったりと、シリーズへのリスペクトを感じられる点を挙げていけばキリがないが、兎(と)にも角にもこの「ターミネーター 0」はこれまでのシリーズと源流を同じくする、紛れもない「ターミネーター」作品として楽しめる作品だった。
「ターミネーター 0」はNetflixにて独占配信中。