ドキュメンタリーシリーズ「アーノルド」より

ドキュメンタリーシリーズ「アーノルド」よりNetflixで独占配信中

2024.8.30

「ターミネーター0」の原点 シュワルツェネッガーがかなえた米国の夢

1984年の「ターミネーター」公開から40年!アーノルド・シュワルツェネッガーのブレークと共に世界的なヒットと続編の製作、そして2024年はシリーズ初のアニメ作品も配信になるなど、今もなお愛されるSFアクション映画の金字塔の「ターミネーター」シリーズを特集します! 

勝田友巳

勝田友巳

Netflixで8/29(木)から配信されるアニメシリーズ「ターミネーター0」は、SF映画の古典的傑作「ターミネーター」(1984年)の前日譚(たん)だ。そして「ターミネーター」といえばアーノルド・シュワルツェネッガー。代表作にして代名詞、アニメシリーズへの出演はなくても、この人抜きに「ターミネーター」は語れない。そして彼自身も、そのイメージを最大限に利用してアメリカンドリームを実現した。シュワルツェネッガーの軌跡を振り返ってみた。
 

オーストリアからハリウッドスターへ

47年、オーストリアの警察官の息子として生まれたシュワルツェネッガーは、少年時代にボディービルダー出身の俳優、レグ・パークが出演した映画を見て夢を抱く。米国でスターになって大金を稼ぐ。厳格な父親に反発して故郷に嫌気がさし、米国に憧れていた。
 
パークと同じようにボディービルを始め、自ら課した厳しいトレーニングでめきめきと頭角を現し、やがて米国に進出。ボディービルの世界大会「ミスター・ユニバース」で5回優勝し、頂点を極め、俳優への転身を果たす。
 
69年「アーノルド・シュワルツェネッガーのSF超人ヘラクレス」でスクリーンデビュー(クレジット名はアーノルド・ストロング)するものの、結果はもう一つで、その後も鳴かず飛ばず。77年、シュワルツェネッガーらボディービルダーを追ったドキュメンタリー「アーノルド・シュワルツェネッガーの鋼鉄の男」がカンヌ国際映画祭に出品され、その知られざる世界と鍛え上げた肉体が注目を集め、彼の名前も知られるようになった。
 

大きすぎる体 役付かず

とはいえ俳優としては、大きすぎる体やオーストリアなまりが災いして役には恵まれない。そもそも演技力がない。当時のアクションは007シリーズや西部劇といったカーチェイスやガンアクションが主体で、スマートな二枚目がもてはやされた時代だった。
 
不遇の時期はつらかっただろうという同情は、大きなお世話のようだ。シュワルツェネッガーは、自身が抱くのは「夢ではなくビジョン」と説明し「ビジョンが浮かべば、必ず実現する」と自信満々で語っている。
 
役に恵まれなくても不動産投資などで財産を築き、ジョン・F・ケネディ元大統領のめい、マリア・シュライバーと交際を深め(86年に結婚、2021年に離婚)、虎視眈々(たんたん)と機会をうかがっていた。揺るぎない信念で成功に向かってひたすら前進、芸術家というより起業家の精神である。
 

まさかのT-800役で起用

転機となったのは「コナン・ザ・グレート」(82年)で、古代の剣士が神話的な活躍を見せる冒険活劇にシュワルツェネッガーの風体が合致し大ヒット。続編も作られてスターへの階段を上り始める。
 
この頃、ロジャー・コーマンの元で下積みをしながら監督への道を探していたジェームズ・キャメロンは「ターミネーター」の脚本を書き上げた。これがハリウッドで話題となり、映画化が決定する。当初ターミネーターは、アメフトのスターから俳優に転身した、O.J.シンプソンが演じるはずだった。
 
シュワルツェネッガーは俳優が決まっていなかったカイル・リース役を打診されてキャメロンと会ったものの、ターミネーターをどう演じるかについて熱弁を振るう。感心したキャメロンが「おまえがターミネーターをやるか」と水を向けると、「悪役は嫌だし、セリフが26しかない」といったんは難色を示したというが、「3日間考えて」引き受けた。
 
ハリウッドでは低予算のB級アクション映画だったが、公開するや期待を上回る大ヒットとなり批評家からも好評で、シュワルツェネッガーはキャメロン監督とともに時の人となって、輝かしいキャリアを歩み出す。少ないセリフの一つ「I’ll be back」は、脚本では「I’ll come back」となっていたのを「言いにくい」と撮影中にアドリブで変えたというが、映画史に残る決めぜりふとなった。
 
「ターミネーター」を大成功に導いたのは、どこまでも執拗(しつよう)に追いかけてくる無敵で不死身のT-800の、不気味さと強さを突き詰めた脚本や演出もさることながら、その恐怖を体現したシュワルツェネッガーの存在にほかならない。決して名演というわけではない。しかし寡黙で無表情、なまりのある英語も感情を持たないサイボーグにぴったりだった。

「強い米国」を体現

時代も彼に味方した。80年代初頭は、シルベスター・スタローンが「ロッキー」(76年)や「ランボー」(82年)でごつい筋肉を誇示したアクションをヒットさせて一足先にスターとなっており、ハリウッドの流れが変わりつつあった。それまでにも、肉体を誇示したスターはいた。30~40年代には、オリンピックの水泳金メダリストから俳優に転身したジョニー・ワイズミュラーがターザン映画で一時代を築いた。シュワルツェネッガーが憧れたレグ・パークも、鍛えた肉体を生かして神話的なヒーローを演じている。
 
しかし彼らは突然変異的な傍流で、メインストリームにはほど遠い。シュワルツェネッガーはスタローンとともに、超人的な肉体と能力を持ったヒーローが敵をなぎ倒す物語を大型化、過激化させてハリウッドの稼ぎ頭となるのである。
 
時あたかもレーガン大統領が「強い米国」を目指し、「レーガノミクス」やグレナダ侵攻など、世界に力を誇示していた。シュワルツェネッガーは「コマンド―」(85年)で元特殊部隊員としてテロリスト集団と戦い、「プレデター」(87年)では宇宙人も打倒する。米国の社会階層を駆け上がったオーストリア移民のシュワルツェネッガーと彼のアクション映画は、時代の空気と合致し「強い米国」の象徴となったのである。
 
日本での人気も絶大だった。ゴツい体格とすきっ歯がのぞく無邪気な笑顔のギャップ、自信に裏打ちされた余裕。80年代末、バブル景気にわく日本で、ハリウッド俳優が次々とCMに出演した時期に、栄養ドリンクやカップラーメンのCMで愛嬌(あいきょう)を振りまき「シュワちゃん」の愛称で親しまれる。

アクション大作の退潮とともに

キャメロン監督と再び組んだ「ターミネーター2」(91年)でT-800を演じるが、ここでは救世主に大転換。殺人マシンが「誰も殺さない」と約束する脚本にはじめは渋ったというが、前作以上の成功を収めた。ただ快進撃もこのあたりから勢いを失っていく。大型化したアクションは飽和状態となりストーリーは大同小異で飽きられた。大統領も父ブッシュに代替わりし、力でねじ伏せる米国の正義が揺らぎ始める。
 
巨額の製作費を投じた「ラスト・アクション・ヒーロー」(93年)が大コケ、「ツインズ」と同じダニー・デビートと組んだコメディー「ジュニア」(94年)、キャメロン監督の「トゥルー・ライズ」(同)は好評だったものの、フランチャイズの敵役として出演した「バットマン&ロビン Mr.フリーズの逆襲」(97年)は大不評。大病も患い、スターとしては低迷の中で21世紀を迎えることになる。
 

カリフォルニア州知事選で圧勝

ここでくじけないのがターミネーターたるゆえん。2003年、カリフォルニア州の民主党知事が財政赤字で共和党からリコール運動が起こると、知事選出馬に意欲を示す。3000万ドルと史上最高額の出演料が話題となった「ターミネーター3」が公開中の同年8月に出馬を表明、スキャンダルや政治的経験のなさを批判されながら選挙は圧勝。06年に大差で再選し、11年までの2期を務めあげた。「前進して、達成して、征服する」、ターミネーターさながらの人生訓を実現するのだ。
 
政界をひいた後は映画界に復帰。「エクスペンダブルズ」でかつての〝宿敵〟スタローンと共演し、「ターミネーター」シリーズにも特別出演的に顔を出す。配信中のNetflixのドキュメンタリーシリーズ「アーノルド」では自身の人生を自信満々で振り返っている。「ターミネーター0」にたとえ本人が出ていなくても、あの姿を思い浮かべずにはいられないだろう。

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ライター
勝田友巳

勝田友巳

かつた・ともみ ひとシネマ編集長、毎日新聞学芸部専門記者。1965年生まれ。90年毎日新聞入社。学芸部で映画を担当し、毎日新聞で「シネマの週末」「映画のミカタ」、週刊エコノミストで「アートな時間」などを執筆。

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