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2024.9.07
史実を熱く劇的に「ボストン1947」 走る美学に魅せられた カン・ジェギュ監督
朝鮮半島出身の選手と指導者が、1947年、アメリカのボストン・マラソンに苦難を乗り越えて挑んだ実話を基にした「ボストン1947」。胸が熱くなる感動的なスポーツ映画であり、政治や歴史に翻弄(ほんろう)された人々の物語でもある。監督は「シュリ」「ブラザーフッド」のカン・ジェギュ。作品への思いやエンターテインメントとしてどう見せようとしたかを聞いた。
36年のベルリン・オリンピックのマラソン競技。当時、日本の支配下だった朝鮮出身のソン・ギジョンとナム・スンニョンは、金メダルと銅メダルを獲得し日本代表(日本名)の孫基禎、南昇竜として表彰された。第二次世界大戦終結後、祖国は日本から解放されたがメダルの記録は日本選手のままで変わっていない。アメリカが朝鮮半島南部を統治していた47年、2人は有望な若き選手ソ・ユンボクをボストン・マラソンに出場させ、祖国の記録を取り戻そうとする。
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「炎のランナー」を見て「いつかはマラソンを」
「かなり前から、漠然とだがマラソンの映画を作りたいと考えていた」。本作の脚本が届いた時は「まるでプレゼントのように感じた」という。なぜマラソンの映画を作りたかったのか。「80年代に『炎のランナー』を見た。マラソンを直接題材にしてはいないが、走ることの美学を強く感じた。マラソンは華やかなテクニックを駆使することも道具も使わず、とても地味で愚直だが人の限界に挑戦している競技。単調で退屈そうに見えるかもしれないが、最も人間的で熱いスポーツだ」
カン監督自身も「炎のランナー」を見てから少しずつ走る練習をした。学生時代から長距離走は得意で「長い距離を走ることはとても楽しかった」と振り返った。その影響からか現在では「長男がマラソンにはまっていて、今もがんばって走っている」と明かした。
事実と娯楽性 さじ加減に悩んだ
映画は韓国の現代史を題材にしている。「実話に基づく映画は、基本的には史実に忠実にすべきだと考えているが、ありのままに再現してしまうと映画的な要素が欠けてしまう。エンターテインメント性のさじ加減をどうするかが、監督として考え抜いたところだった」
具体的にどんな部分に思いを巡らせたのか。「物語の中心となるソンとナム、ソの3人のキャラクターが、基本軸で骨組みになる。実在の人物をどれだけ反映させ、どの程度ドラマ化するか。事実に忠実すぎても、面白さやドラマ性が不足してしまう」。エピソードの一例を挙げて続けた。「ソ・ユンボクの母が亡くなるのは、実際はボストン・マラソンの数年前だが、映画では大会の直前にした。ドラマ部分を最大化したかったからだ」と話した。
シンプルな動き どう盛り上げるか
後半のマラソンシーンはこの作品で最も盛り上がるところ。だが、ほかのスポーツに比べ動きはシンプル。「どう見せるか、脚本を読んだ時からこだわりがあった。レース後半の心臓破りの坂が、ドラマチックな部分を作りあげてくれた」と表情を崩した。「ソ・ユンボクは子供の頃、いつもおなかをすかしていて、峠の向こうにあった祭壇の供え物を盗んで食べ、つかまらないように峠を走って駆け上ったり、下ったりしていた。この実話を、難所の坂で強みを発揮するエピソードとして挿入した」
走っているソ・ユンボクの前に犬が飛び出し、転倒してしまうシーンがある。こちらは創作のようだ。しかし何とか起き上がって遅れを挽回する姿が、トップでゴールする結末をいっそう感動的にした。「この二つを加えたことで、単調になりやすいマラソンをドラマチックにできた」と話した。
カン監督はインタビュー中も物腰柔らかく、穏やかな語り口だ。作る映画はスピーディーで豪快なアクションシーンが売り物でも、「撮影現場でもいつもこんな感じで、スタッフや俳優さんにお願いしていますよ」とにこやかに答えた。
過去と現在、未来はつながっている
オリジナル脚本だが、韓国の40代以上ならほとんどの人が知っている話という。「ただ、20、30代だと、知っている人は一部だけだろう」。その理由をこう説明する。「若い世代ほど歴史認識や教育を重要だと思っていないようだ。その結果、過去の出来事についての興味、関心が薄れているのではないか。韓国だけでなく日本でも、世界中で同じような状況と思っている」
カン監督自身の体験をもとに、現状に疑問を唱える。「韓国の高校生や大学生、20代の若い人向けに講演や対話をする機会があるが、若い世代は未来や自分の将来については非常に興味を示しても、過去についてはあまり関心がない。なるべく歴史を取り上げ、過去と現在と未来はばらばらではなく、一つの塊、一つの軸としてつながっていると話している。過去を客観的、冷静に見つめることができる人こそが、未来を正確に見通す知恵を持つことができる。今の時代はそれがより大切だと考えている」