Kang Je-kyu
1962年12月22日 生まれ
映画監督「シュリ」(1999年)監督・脚本「ブラザーフッド」(2004年)監督・脚本「マイウェイ 12,000キロの真実」(2011年)監督「チャンス商会〜初恋を探して〜」(2015年)監督
改めて強調するが、日本における映画産業の発展は、他国とは全く異なるプロセスを経て今日に至る。国策による政府の豊かな助成金や財閥に象徴される大資本の果敢な投資ではない。いや、むしろプロパガンダに悪用される可能性を極力避ける体質によって、いわゆる「お役所」のちょっとした協力にもあらゆる検証手続きがかかる。要するに、良い意味でも悪い意味でも外部的な要因がないということである。 ガラパゴス的に発展してきた日本映画界に現れた韓国映画「シュリ」 それでは、何が映画産業を支えてきたのだろうか。それは世界的なハイエンドカスタマー(high-end customers)、すなわち大衆の力だった。クリエー...
洪相鉉
2024.9.11
朝鮮半島出身の選手と指導者が、1947年、アメリカのボストン・マラソンに苦難を乗り越えて挑んだ実話を基にした「ボストン1947」。胸が熱くなる感動的なスポーツ映画であり、政治や歴史に翻弄(ほんろう)された人々の物語でもある。監督は「シュリ」「ブラザーフッド」のカン・ジェギュ。作品への思いやエンターテインメントとしてどう見せようとしたかを聞いた。 36年のベルリン・オリンピックのマラソン競技。当時、日本の支配下だった朝鮮出身のソン・ギジョンとナム・スンニョンは、金メダルと銅メダルを獲得し日本代表(日本名)の孫基禎、南昇竜として表彰された。第二次世界大戦終結後、祖国は日本から解放された...
鈴木隆
2024.9.07
グッと掘り下げられる 思い返せば、パリ・オリンピックにとても勇気づけられた夏だった。国を背負ってたたかう選手たちを見て、アスリートはすごいな、やっぱりスポーツは熱いな、といった素直な気持ちだけで応援していた私の価値観は、この作品「ボストン1947」によってグッと掘り下げられることになる。 ボストンへの挑戦 1936年、ベルリン・オリンピックで金メダルに輝いたソン・ギジョン。当時、朝鮮が日本の統治下にあったことから、日本代表の孫基禎(そん・きてい)として出場した彼は、表彰台で胸元の日本国旗を隠したことで制圧を受け、競技からの引退を強いられてしまう。45年、祖国が日本から解放されて...
波多野菜央
2024.9.05
1936年、ベルリンオリンピックのマラソン。当時日本統治下だった朝鮮半島出身のソン・ギジョン(ハ・ジョンウ)とナム・スンニョン(ペ・ソンウ)は、日本代表として参加し金、銅メダルを獲得した。第二次世界大戦終結とともに朝鮮半島は解放されたが、記録は日本のまま。荒れた生活を送っていたソンに、ナムは「ボストンマラソンに韓国代表として若い選手を出場させよう」と持ち掛ける。 朝鮮半島南部が米軍の支配下にあった47年、太極旗を付けて国際大会で走ることを望んだ、ソンや選手たちの物語だ。「シュリ」「ブラザーフッド」のカン・ジェギュ監督は実話に基づきながらも政治的なメッセージを前面に打ち出さず、混迷の時代を生き...
2024.8.30
南北朝鮮の対立を背景に、圧巻のスパイアクションと切ないラブストーリーを描いた本作は、1999年2月13日に韓国で公開されると、「タイタニック」(97年)を超える621万人を動員。翌年、日本でも公開されると興行収入18億円を突破する大ヒットを記録し、〝韓流の始祖〟と呼ばれる記念碑的作品となった。南北に横たわる悲しみと平穏な日常の愛のコントラスト、そして壮大なクライマックスの衝撃が社会現象となった本作は、その後上映権が宙に浮き、劇場公開やデジタル配信ができない事態となっていたが、韓国公開から25年を迎えた2024年、4Kデジタルリマスター版が公開される。 相次ぐ要人暗殺事件を捜査中の韓国情報部員...
1936年、ベルリンオリンピックのマラソンで、日本は世界新記録を樹立し、金メダルと銅メダルを獲得した。表彰台に立ったのは、日本名の孫基禎と南昇竜として出場したソン・ギジョンとナム・スンニョンだった。第2次世界大戦の終結と共に、祖国は日本から解放されたが、メダルの記録は日本のままだった。1947年、その2人がチームを組み、〝祖国の記録〟を取り戻すため、才能あふれる若きマラソン選手を歴史あるボストンマラソンに出場させる。 監督は、「シュリ」(1999年)、「ブラザーフッド」(04年)のカン・ジェギュ。伝説の人となった金メダル選手ソン・ギジョンを演じるのは、「チェイサー」(08年)や「1987、あ...