誰になんと言われようと、好きなものは好き。作品、俳優、監督、スタッフ……。ファン、オタクを自認する執筆陣が、映画にまつわる「わたしの推し」と「ワタシのこと」を、熱量高くつづります。
2024.9.05
私の推しシワンは体脂肪6%!「ボストン1947」自問自答をさせてくれる作品だった
グッと掘り下げられる
思い返せば、パリ・オリンピックにとても勇気づけられた夏だった。国を背負ってたたかう選手たちを見て、アスリートはすごいな、やっぱりスポーツは熱いな、といった素直な気持ちだけで応援していた私の価値観は、この作品「ボストン1947」によってグッと掘り下げられることになる。
ボストンへの挑戦
1936年、ベルリン・オリンピックで金メダルに輝いたソン・ギジョン。当時、朝鮮が日本の統治下にあったことから、日本代表の孫基禎(そん・きてい)として出場した彼は、表彰台で胸元の日本国旗を隠したことで制圧を受け、競技からの引退を強いられてしまう。45年、祖国が日本から解放されてもなお米ソによる軍政で混乱が続くなか、酒に溺れ荒れた生活を送っていたソン・ギジョン。ある時、ベルリン・オリンピックで時を同じくして走った銅メダリスト、ナム・スンニョンからの声がけに心が動き、彼は監督という立場で47年のボストン・マラソンを目指すことになる。戦後の混乱の中、自身が受けた屈辱や無念を晴らすために望んだのは、チームが祖国の国旗を身につけ、選手が本名で走ること。才能ある若き選手、ソ・ユンボクとともに再び走り出した彼らを待ち受ける数々の困難。一筋縄ではいかないボストンへの挑戦が行き着くゴールとは……。
一個人の存在を証明しよう
表彰時に胸の日の丸を隠したソン・ギジョン。当時のオリンピック新記録で金メダルという、素晴らしい結果とは裏腹な暗い表情に胸を締め付けられた。祖国の国旗を付けられず、名前を変えなければ走ることが許されなかったなかで、プライドやアイデンティティーを守ろうとした彼の最大限の抵抗だったのだろう。愛国心や祖国への忠誠心だけではない、ランナー一個人の存在を証明しようとし続けたその静かな行動と信念に、人間としての計り知れない強さを感じた。
多角的な面から関心を持つ
冒頭にあげた今年のパリ・オリンピックでも、選手が祖国の国旗を掲げる光景をよく目にした。これまでは、その様子から喜びや誇りだけを感じ取っていた私だが、この作品を通して、その奥にはソン・ギジョンたちのように競技を通して大きな力に命懸けであらがった人々がいたことを知った。そうすると、単にかっこいい!すごい!だけでは片付けてはいけないスポーツの奥深さや国際大会の意義を考えさせられ、歴史やそれぞれのパーソナリティーなど、より多角的な面から関心を持つことができる。五輪の熱が冷めない今このタイミングで公開されたことに心から感謝したい。
推しの話をする時がきた
さあ、ついにこのひとシネマで私の推しの話をする時がきた。貧しい家庭に生まれ、体が弱い母と懸命に暮らすマラソン界の逸材ソ・ユンボクを演じたイム・シワン。彼こそ、私が青春時代をささげた推しである。かつてボーイズグループ「ZE:A」の一員として歌やダンスのパフォーマンスをしていた彼は役者として着実にキャリアを重ね、今では名監督や名俳優に囲まれながら期待の若手俳優として注目されている。実際のマラソンランナーと遜色ない体作りと走りが必須であった今作では、厳しいトレーニングや徹底した食事管理のもと、体脂肪を6%まで落としたという。昔から彼のストイックさは群を抜いていたが、重要な役を演じるプレッシャーの中、準備期間も含めて1年以上もその体形を維持し続けたというから驚きだ。細胞レベルでソ・ユンボクに向き合った彼の根性と忍耐力が、この作品のリアリティーと説得力を増幅させている。
推し続けることを静かに心に誓った
その追い込んだ肉体をもって挑んだマラソンの場面はもちろん見応え十分なのだが、劇中、彼がセリフもなく涙を流すシーンは、間違いなくこの映画の名シーンのひとつだと思う。込み上げる悲しみやふがいなさを極限まで引き上げた表情は、きっと多くの人の心に焼き付くだろう。かつて私が応援していたシワンは今、役者イム・シワンとして実力派俳優への道をひたむきに突き進んでいる。そのまぶしい姿に、彼を推し続けることを静かに心に誓ったのだった。
マラソンを通じて展開するこの物語は、歴史や時代に翻弄(ほんろう)された人物たちがプライドをかけて高い壁に立ち向かう、史実をもとにしたヒューマンドラマである。コミカルなシーンも織り込まれているので重くなりすぎず、スポーツ映画としても熱くなれるバランスの良さは、「シュリ」などを手がけた名監督カン・ジェギュのさすがの手腕だ。混迷の時代を走り抜いた彼らに勇気をもらうとともに、ひとりの尊厳を主張する人間として、私のアイデンティティーはどこにあるのか、何に誇りを持ち、何をもって私というのか、そんな自問自答をさせてくれる作品だった。