「リッチランド」のアイリーン・ルスティック監督=下元優子撮影

「リッチランド」のアイリーン・ルスティック監督=下元優子撮影

2024.7.21

「リッチランド」〝原爆の町〟の多様な声「他者と対話する場を作りたい」 アイリーン・ルスティック監督

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鈴木隆

鈴木隆

「リッチランド」は、アメリカの核兵器生産を担い続けてきた町の過去と今に迫ったドキュメンタリー映画である。地元の高校や町のいたるところにトレードマークのキノコ雲が掲げられ、「原爆は戦争の早期終結を促した」と誇りを持って語る人がいる一方で、多くの人を殺戮(さつりく)したと否定的な意見もある。町に通い、さまざまな声を集めて映画にしたアイリーン・ルスティック監督に聞いた。


核燃料生産拠点のお膝元

リッチランドはワシントン州南部にあり、元々は先住民が住んでいた土地。1942年に始まったマンハッタン計画の核燃料生産拠点「ハンフォード・サイト」で働く人々とその家族が生活するために作られたベッドタウンだ。長崎に落とされた原爆「ファットマン」のプルトニウムはハンフォード・サイトで精製された。冷戦時に数多く作られた核兵器の原料も生産。稼働終了後の現在はマンハッタン計画の研究施設群として国立歴史公園に指定され、多くの観光客が訪れている。現在も住民の多くは放射能で汚染された、ハンフォード・サイトの浄化関連の仕事に従事しているという

ルスティック監督がリッチランドを初めて訪れたのは2015年。「原爆のイメージが建物や学校などあちこちにあり、人々がその中で日常生活を送っていることに驚いた。しかも、原爆をヘリテージであり文化だと思っている。繰り返し訪れる中で、ここには攻撃的な愛国主義みたいなものが台頭していると感じた」。トランプ大統領が誕生した前後で「愛国主義の内面化とはどういうことか、少し大きな問題もリッチランドを通じて考えたいと思った」と話す。


「リッチランド」© 2023 KOMSOMOL FILMS LLC

多様な意見を聞く姿勢を貫いた

映画は、町の多様な立場や主義主張の人々の話をつなげていく。「最初からさまざまな意見を取り込む考えだった。町に誇りを持っている保守的な人たち、農地を汚染され健康被害を受けたコミュニティーの人たち、沈黙させられている人たちにも声を与える必要があった。先住民や原爆サバイバー3世の日本人、川野ゆきよさんや若者たちも」

とはいえ、発言に積極的な人も、ためらう人もいたはずだ。ルスティック監督はどんなスタンス、方法で声を集めたのだろうか。「自分の政治的な考え方を隠そうとはしなかった。インタビューというより、彼らと対面し対話した」。素性を明かし、政治的な考え方でうそはつかなかった。「自分はアクティビストではないし、反核運動の一部やあるメッセージをもって映画を作ろうとしているのではないと伝えた。過去にいたであろう、ここがいかにひどい町かと訴えるジャーナリストではないことも」。そして「必ず言ったのは、いろいろな考えがあるが、みんなの声が聞きたい」ということだった。「だから、協力してくれたと思っている」。本心を明かして話を聞く姿勢を貫いた。


ファシリテーターとして場を作る

町の外から来た自分はいったい何者なのか、どういう立場でここにいるのか、製作中に何度も自問した。その中で、自身の役割をファシリテーター(意見を引き出す司会者)だと考えた。「彼らが自由に話せる場を作るのが役割」

町の人々は、多様な意見があることをどう受け止めていたのか。「それ以前に、いろんな考えが共存していると認識していない人が多かった」。例えば、健康被害が多くの人に及んでいることを知らない人もいる。「この町は両極に分断していて、ほかの人の意見を耳にする場が作れていない。映画の製作、上映を通して互いの声を聞く空間を作れると思った」。終盤、リッチランド高校の生徒が芝生に座り話し合う場面がある。「『この町はコミュニケーションに問題がある』という発言があるが、それこそがポイントだと確信した」

若い人の声は必ず入れたいと思っていた。「インターネットなどを通じてたくさんの情報に接していて、歴史に対する考え方も多様だし、上の世代よりオープン。リッチランドの住民は白人の労働者階級、保守的な高齢者だけではなく、新しい発想を持った若者がいることも描きたかった」とはっきりした口調で話した。


地元上映後に討論会

リッチランドでの最初の上映は地元の映画祭で、数百人が集まった。上映後にはたくさんの人が残り、活発なディスカッションが行われ、考えや感情を共有する場が生まれた。「人は論争に入り込んでしまうと、自分が脅かされる感覚に陥りやすく、守りに入って相手の話を聞かなくなってしまいがちだ。しかしこの映画は誰の声をも聞いているので、ほかの人の意見も聞いてみようと考えてくれたのではないか」と話した。1回目の上映が話題になり、その後、映画館で3週間の興行が行われた。日本でも好意的に受け止められることが「自分の喜びであり希望だ」と付け加えた。

それぞれの意見をジャッジせずに並べてはいるが、一方で「批評的な分析」があることも明らかだ。「原子炉国定歴史建造物の中でのコンサート、川野ゆきよさんの髪と彼女の祖母の布で作られた原子爆弾の形をしたインスタレーションなどで批評性は伝わった」と語った。

故郷が脅かされる恐怖心が保守化を招く

ルスティック監督はリッチランドに十数回足を運び、1回に1~3週間かけて人に会った。町の根底にある愛国心と保守への誘惑について、製作中に考えたことを二つ語ってくれた。「多くの住人が、生業を持ち良い人生を送ることができたのはプルトニウムのおかげだと考え、ある種の誇りを持っている。自分や家族に健康被害を及ぼす可能性があっても、自尊心やいきがいを見いだしている。そこに保守的な政治家が目をつけ、取り込もうとしてきた」

もう一つは「故郷という観念が大きな力を持つ」ということだ。「人は安全で居心地の良い場所へのこだわりが強い。故郷のアイデンティティーが脅かされると恐怖感をかきたてられ、保守的な考えが根付くのではないか」と考えた。

最後に映画監督としての立ち位置を改めて聞いた。「映画によって社会の変化を促したり、影響を与えようとしたりするタイプではない。人々が話し合う場所を作れるのが映画だ。その空間の中で、異なる意見が交わされる豊かさを信じているし、対話が人の意識を徐々に変えると思っている」と言う。(取材についても)「今まさに対話をしているわけで、これも映画のインパクトといえるかも」と頰を緩めた。

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ライター
鈴木隆

鈴木隆

すずき・たかし 元毎日新聞記者。1957年神奈川県生まれ。書店勤務、雑誌記者、経済紙記者を経て毎日新聞入社。千葉支局、中部本社経済部などの後、学芸部で映画を担当。著書に俳優、原田美枝子さんの聞き書き「俳優 原田美枝子ー映画に生きて生かされて」。

カメラマン
下元優子

下元優子

1981年生まれ。写真家。東京都出身。公益社団法人日本広告写真家協会APA正会員。写真家HASEO氏に師事

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