誰になんと言われようと、好きなものは好き。作品、俳優、監督、スタッフ……。ファン、オタクを自認する執筆陣が、映画にまつわる「わたしの推し」と「ワタシのこと」を、熱量高くつづります。
2024.7.05
広島育ちの記者が感じた〝モヤモヤ〟「リッチランド」 原爆を誇る町にも刻まれた核の傷
例えば、広島か長崎の市井を生きる人々の日常を淡々と追った映画を撮ってみたら、いまのアメリカでどんな受け止めをされるだろうか。「平和」「ピース」を冠した施設やイベントがまちにあふれ、幼い子が当たり前のように千羽鶴を折り、まちかどでは核兵器廃絶の署名への協力を高校生たちが呼びかけている。一方で病院に行けば、被爆者健康手帳を示して治療を受けるお年寄りがいる――。「原爆投下正当化論」に凝り固まった人にはパラレルワールドのように見えるのかもしれない。
トレードマークはきのこ雲
ドキュメンタリー映画「リッチランド」を見ながら、そんなことを想像してみた。原爆を使った側と落とされた側のギャップは取材でもたびたび経験してきた。広島に生まれ育ち、故郷を足場に原爆報道を長く続けてきた私にとっては、不謹慎では済まされない場面が幾つもあった。
きのこ雲を「わが町の誇り」とトレードマークとしてあちこちに使い、高校のフットボールチームは「ボマーズ」が愛称。「ニュークリア」という名称の通り、大勢の市民が和気あいあいと笑顔で集う「核開拓デー」のイベント……。
それが一見のどかな町の光景であり、登場する人々がいかにも穏やかな庶民なので、今風の言葉を使えばモヤモヤが収まらない。
「リッチランド」© 2023 KOMSOMOL FILMS LLC
長崎原爆に使われたプルトニウムを精製
第二次世界大戦時の核開発計画「マンハッタン計画」で、プルトニウムの生産拠点が置かれたハンフォード・サイト。ここで作られたプルトニウムを使って、人類史上初の核実験「トリニティ実験」の原爆、長崎に投下された原爆「ファットマン」が製造された。核開発競争が激化した冷戦下でも核燃料の生産が続き、役目を終えた今はアメリカの国立歴史公園になっている。映画はハンフォード・サイトで働く人たちのために建設されたベッドタウン・リッチランドに生きる人たちを追う。
果たしてこの町の住民は、広島と長崎で何が起きたのか知らないから、アメリカの核開発を担った栄光の歴史を疑うことなく誇れるのか。それとも自己否定につながるのを恐れて核の恐ろしさから目を背けているのだろうか。しかし丹念に住民の暮らしぶりに目を向けた映画は、実はこの町にも核の傷が深く刻まれていることを浮き彫りにしていく。
放射線起因としか思えない病気でかけがえのない家族を失った人の涙。かつて乳児や新生児の死亡が相次いだ事実を伝える墓石群。ハンフォード・サイトの広大な土地は核に汚染され、いつ終わるかも分からぬ除染や核廃棄物の処理が続いている。長崎との和解を試みる人たちもいれば、きのこ雲のトレードマークに異を唱えた教師もいた。
核兵器禁止条約に加わらない米、日
現実にあることでも、見ようとしなければ目に映らない。生まれ育った故郷の町を愛する気持ちは一緒であっても、それぞれが抱えている感情は複雑だ。交錯する住民の声に耳を傾けるストーリーからは映画製作者の誠実さがくみ取れるし、核大国が抱える矛盾を可視化している。人類が核兵器を生み出したことで一変した世界に真摯(しんし)に向き合う意図が伝わってくる。
ならばこの先、どうすれば良いのだろうかと考えさせられる。2017年に国連で成立した核兵器禁止条約は、兵器の使用や所有だけでなく開発や製造、実験に至る全ての過程を国際法上「違法」とし、締約国には被害者の救済や汚染された環境の回復を義務づけた。しかし、この条約に核大国のアメリカは参加せず、アメリカの「核の傘」に安全保障を頼る日本も背を向けたままだ。しかし、世界で最初の核開発国で自らの国土を傷つけ、住民の犠牲を強いている現状を見れば、進むべき道は明らかだろう。
土地は子どもたち、孫たちのものだ
映画の後半で、ハンフォード・サイトの建設を理由に土地を奪われたワナパム族の家族が登場する。核開発の広大な用地は砂漠の乾燥地帯だが、もともとは先住民族の居住地だった。核に汚染された大地で再び人が暮らせることはありえないだろう。映画はアメリカが栄光として語ってきた歴史の暗部をしっかりと伝えている。
建設当時「補償してやる」と言ってきたアメリカ軍に先住民族の指導者は受け取りを拒否し、こう返したという。「この土地の所有者は、私ではなく子どもたち、そして孫たちだ」。そう、核兵器は未来を奪う兵器なのだ。その異常さを世界が共通認識とし、核を捨て去る日が来るのはいつなのだろうか。