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「あの歌を憶えている」の(左から)ピーター・サースガード、ミシェル・フランコ監督、ジェシカ・チャステイン=提供写真
2025.2.26
「よりよく生きるために愛を選ぶべきだ」ミシェル・フランコ監督 「あの歌を憶えている」
「或る終焉」(2015年)、「ニューオーダー」(20年)など、カンヌやベネチア国際映画祭などでの受賞が続く、メキシコのミシェル・フランコ監督。新作の「あの歌を憶えている」はラブストーリーだ。といっても、はじけるような若い男女のラブではなく、葛藤と失敗を繰り返す中年男女のたどたどしい愛に目を向けた。フランコ監督は「社会の隙間(すきま)に落ち、しがらみを抱えた人たちの生き生きとした愛の物語を作りたかった」と話した。
依存症の女と若年性認知症の男
ソーシャルワーカーのシルビア(ジェシカ・チャステイン)は、かつてアルコール依存症だったが断酒会に通いほぼ克服。ニューヨークで13歳の娘アナと2人で暮らしていた。シルビアが妹のオリビアに誘われ高校の同窓会に渋々参加すると、隣に座ってほほ笑む男ソール(ピーター・サースガード)が帰宅時にあとをついてきて翌朝もアパートの前にうずくまっていた。シルビアはソールの携帯で連絡を取り、ソールの弟アイザックが迎えに来る。ソールは近い記憶ほど危うい若年性認知症だった。アイザックとその娘サラは、シルビアにソールの世話を依頼する。
シルビアはアルコール依存症の過去や性被害の記憶があり、ソールは記憶を失いしばしば生活に支障をきたす。2人の抱える困難を物語のベースに置いた。「断酒会に出ている知人がたくさんいて、禁酒何年目という記念会に何度も出席して共感した。多くの人は認知症や精神障害を恥ずかしがって隠そうとするし、依存症や性被害を受けた人も、自分を見せたがらない。社会全体にそうした問題を表にしない風潮がある。何十年か前はこうした話はタブーだったが、最近は少しずつだがそうした傾向は薄れつつある」
「あの歌を憶えている」© DONDE QUEMA EL SOL S.A.P.I. DE C.V. 2023
共感していないから傷つけてしまう
映画は社会的に弱い立場にいる人にスポットを当てた。「脚本を書いていく中で、それぞれの事情や出来事に直面した。例えば、認知症では正気を失うことへの恐れがあり、そうした状況の難しさを探っていきたいと考えた」という。ただ、それだけでは映画にならない。彼らのどこに引かれ何を描くべきだと考えたのか。
「厳しい状況に置かれた時にどんな選択をすれば一番いいのか。主人公の2人だけなく、周囲の人たちも同じだ。シルビアの妹や娘、ソールの弟やめいは、彼らなりの意図を持って行動している。相手のためになると思ってしていることが、相手を傷つけてしまうこともある。では何が正しいのか」。誰もが2人やシルビアの妹、ソールの弟になることもありうる。フランコ監督が出した答えはシンプル。「このケースは愛を選択すること。リスクもトラブルも多いだろうが、より良く生きるためにあえて愛を選ぶべきだと考えた」
私たちが暮らす社会は「往々にして、こうした状況にある人の背景など知らずに厳しく非難しがち」と話す。「元々彼らに共感していないから、さらに傷つけ、状況を悪化させてしまうことさえある」。では、どうしたらいいのか。「ナイーブに聞こえるかもしれないが、共感することであり、親切心を持つことが唯一の方法だ」
ブルックリンに住み構想を練った
一方で、個人を徹底的に攻撃し傷つける状況がSNSなどで見られる。ある種の個人主義がはびこっているのが現実社会というのだ。「ソーシャルメディアは、最初はいい意図で始めたとしても、結局相手を傷つけることになりがち。短絡的な結論になったり、トレンドになった誰かを非難したりする。ソーシャルメディアが出てきたことで、社会はより冷たく人工的になってしまった。だから私は参加しない」と話した。
街並みや公園、地下鉄などブルックリンの風景に生活感があり、多様な人がすれ違っている感覚がスクリーンにあふれている。「舞台はロンドンかアメリカの他の大都市も想定したが、ジェシカはニューヨークがベースなのでそこで撮ろうと考えた。ニューヨークなら素晴らしい女優が小さな役でも出てくれるし、私自身大好きな街。ただ、マンハッタンはたくさんの映画が撮られていて、新しいアングルで撮るのは大変と、ブルックリンにした」
撮影したエリアはメキシコ移民が大勢住んでいて、アットホームで低所得者層もたくさん暮らしていた。「シルビアのキャラクターにぴったりの地区で、私は1年くらいそこに住んでこの映画の構想をねり開発した」と街を知り尽くして脚本、演出にあたった。メキシコから20人ぐらいのスタッフらを呼んで撮影に臨んだ。
ジェシカは最高の同盟者だった
これまでフランコ監督が高い評価を受けてきた「父の秘密」(12年)、「或る終焉」、「母という女」(17年)、「ニューオーダー」などとは、異なるテイストの作品になった。「今までは何か問題があって、それがさらに悪化していく物語が多かったが、この映画は純粋なラブストーリーだった」。新たなチャレンジでもあるが、キャスティングが大きな手助けになったと明かした。
「今までの映画作りで最も知名度の高いキャストと仕事をした。『オスカー受賞直後のジェシカと撮るなんて悪夢のようだろう?』と周りから言われたが、ジェシカはベストな仲間だった。ジェシカもサースガードも私の前作をよく知ってくれていて、スタイルも分かっていた。妙なトリックを使わないとか、アングルを決めたらそこからずっと撮り、音楽も使わないなど求めるものを理解していた。最高の同盟者だった」
フランコ監督はさらに言葉を続けた。「小さな作品でサラリーは良くなかったけど、一緒に仕事をしてくれたのはお金のためではなく、この作品を作りたいという強い思いがみんなにあったから」と表情を和らげた。どの映画作りもそうだが、俳優たちと話をするときにみんなが同じ映画を頭に思い描いていることを確認するのだという。作品自体は脚本もプロダクションも大変だったが「いい大人が10代の子どものように恋に落ちる。口で言うのは簡単だが、それを伝えるのは作品に流れるトーンも含め本当に難しかった」と満足げに話した。