「ヨーロッパ新世紀」の クリスティアン・ムンジウ監督=提供写真

「ヨーロッパ新世紀」の クリスティアン・ムンジウ監督=提供写真

2023.10.22

グローバル化が招く矛盾とポリコレの偽善 「ヨーロッパ新世紀」クリスティアン・ムンジウ監督インタビュー

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鈴木隆

鈴木隆

クリスティアン・ムンジウ監督の「ヨーロッパ新世紀」は、グローバル化に伴って広がる不寛容と差別、分断された世界の縮図を描き出す。「4ヶ月、3週と2日」でカンヌ国際映画祭で最高賞パルムドールを受賞するなど、世界の第一線で活躍するムンジウ監督にオンラインで話を聞いた。
 


 

トランシルバニアで起きた事件が題材

ルーマニア・トランシルバニア地方の一小村に、出稼ぎ先のドイツで暴力沙汰を起こした男マティアスが戻ってきた。妻との関係は冷め切り、息子は森で遭遇したあることから口がきけなくなり、元恋人のシーラに安らぎを求める。一方、シーラが責任者を務める地元のパン工場に、スリランカからの労働者を迎えたことで村人たちから不満が続出。不穏な空気は村を揺るがす事件、対立へと発展する。
 
2020年、トランシルバニア地方のディトラウという町で実際に起こった事件に基づいて作られた。パン工場にスリランカから3人の労働者が来たことで、住民による移民排斥運動がおこり、外国人労働者を雇用しないよう求める1800人の署名が集まったという。
 

表現を変えるだけ、本音は同じ

「ポリティカルコレクトネス(政治的妥当性)は、新しいコンセプトだ」。政治的、社会的に不適切な用語や態度を避けようとする風潮だが、ムンジウ監督は「今の世の中は偽善者が多い印象だ」という。
 
「本当に思っていることをなかなか口にしない、あるいはできない。一方で、言うべきでないと歯止めをかけて表現を変えたとしても、意見は変わっていない状況もある」。映画の発端と物語のポイントを尋ねたら、一気に切り出した。「実際の事件に基づいて、人々が議論したこと、率直に語ったこと、みんなが思っていることを素のままで表現した。提示することで、より対話を促すことができるのではないか。居心地はよくないかもしれないが、本当の気持ちを言うことから生まれてくるものがある」


 

熊は人間より優先されるべきか

登場人物が本音を話す場面のインパクトは強い。「彼らに外国人排斥の感情が特別にあるわけではない。ただ、ネットなどで表沙汰になるとどうなるか、考えていない。ディトラウの事件では、それでニュースになった。西側諸国で人気のある政治家や政党に、外国人問題について似たような考え方を持っている人はたくさんいる。表現を変え、巧妙に隠しているだけだ」
 
作品の元となったことが、もう一つある。ディトラウの事件の1年ほど後に、トランシルバニア地方のコミュニティーに熊が頻繁に出没した話だという。「地元の人たちは、動物に権利があるとか人間より動物が尊重されるべきだという意見は、偽善的だと思うだろう。一般論としては自然も動物も尊重されるべきだが、私のコミュニティーではそうあってほしくないという考え方。それら二つから物語を導き出した」


 

忍耐力の欠如が招く不寛容

そう考えると、マティアスやシーラ、外国人を排斥する村人たちは、記号化されているように見える。「そうだ。マティアスは伝統的な社会を尊重する存在で、シーラは進歩的な人といえるかもしれない。世の中のトレンドや意見を象徴した部分はある」。だが、と続けた。「一つの思想を体現するキャラクターとは思っていない。理にかなった意見も理不尽なことも口にする。人間がいかに複雑か投影しようと試みた」。実際にいる人物に近づけている。「これはストーリー。社会性のあるコメントを語らせるのではない。人は答えの出ない状況を生きているし、だれかに操られているケースもある。批判的な意見も後ろ盾がなかったり、フェイクニュースの影響が見てとれたりする。いつも理路整然と行動するというわけではない」
 
「奇妙なのは、二つのトレンド、発想が、互いを不寛容な目で見て、理解しようとしないことだ。忍耐力を持って相手を分かろうとすればいいのだが、なかなかそうはいかない。(集会のような)公共のディスカッションも、感情に流されたり間違った発想から行われたりすることも多い。何が正しく、何が間違っているかの識別は難しくなっている。聞く耳を持たないと変わっていくことはできないと思う」


 

観客を目撃者に「それが私のシネマ」

政治的、社会的なドラマというだけでなく、スリリングな展開も魅力だ。「映画の始まりから、ミステリアスな展開にし、アクションも加えた。というのは、現代人は忍耐がないから。遠いどこかの国の知らない人のことを知りたいという好奇心があまりないので、そういう人にも見てもらえるようにストーリーを伝える。〝フレンドリーな社会派〟で、出来事を追っかけながら、そこに深いテーマがあると気づいてくれたら私にとってはボーナスのようなものだ」と表情をやわらげた。
 
「一つの意見に肩入れするとか、全面的に押しだすのは安直すぎる。意見を誘導するようなことはしない。むしろ、見た人の批判精神を奨励する」。本作でもそうした演出は明らかだ。「作り手の私の役割は、正しいか間違っているかを断定するのではなく、正直にキャラクターを提示することだ。個人の話であれば一市民として意見を言わせる。映画は人生と同じで、注釈や解釈が出しゃばるものではない」
 
クライマックスの緊急集会での、17分間の長回し場面にも反映されている。外国人労働者受け入れについての議論は、怒号が飛び交い賛否は錯綜(さくそう)し、次々と焦点を移していく。「本当にあったことを、目撃者として皆さんに見てもらい、そこから何かを感じとってほしい。それが、私のシネマだ」


 

コロナ禍で分かった人間の変貌ぶり

映画の舞台は小さなコミュニティーだが、その構図は言うまでもなく、多くの国の内情や国同士の関係を映し出す。言葉を変えながら意見を押し付けてくる人や権力者は、今後も増え続けるのだろうか。
 
「過去を振り返ると明るいことはあまりなかった。政治家や権力者の決断は、人間がいかに理不尽になれるかを示してきた。人間にはエンパシーがあり、寛容なはずだと言ったところで、歴史はそうでなかったことを示している」。ムンジウ監督は例を挙げて話を続ける。「人は24時間あれば、殺人鬼にもレイピストにもなれる。隣人だった人に対しても、言い訳できる状況やきっかけがあれば、敵対し醜い側面を出すことだってある」
 
「私たちは進化を遂げているようで、大きな矛盾を抱えたままだ。個人主義が浸透し、競争社会が激化すれば、寛容ではいられなくなる。新型コロナ禍がいい例だ。本来ならみんなで助け合うべきなのに、新しい治療法や薬をほかの国に先んじて手に入れようとした。人間がいかに変貌するか、こうした危機的状況下で実に分かりやすく表れる」


 

リベラルでいられないという葛藤

世界のあちらこちらで分断が広がり、イライラした人が増えている。なすすべはないのだろうか。「答えを知っていたら詳しく話したい。だが、昨今起きていることは、グローバリゼーションの結果ということは言える」
 
「私たちは自由に動けるし、メディアにも好きにアクセスできる。どこにでも行けるし移住も可能だ」。だが便利さの一方で、情報量は膨大でとても手に負えない。「自分が決して手に入れられないものまで目に入ってくる。世界は予測不可能になった。500年前なら丘の向こうから馬に乗って来た人が、今なら飛行機でやって来る。やって来る人たちの目的も分からない。受け入れる側は、来るのは自由だと思いながら、自分たちのルールを尊重するよう押しつける。リベラルでありたいと思っても実際にはそうはいかず、葛藤が生まれる。もはや矛盾と言うより、個々の理想論がまん延してしまった。それが現代ではないか」

ライター
鈴木隆

鈴木隆

すずき・たかし 元毎日新聞記者。1957年神奈川県生まれ。書店勤務、雑誌記者、経済紙記者を経て毎日新聞入社。千葉支局、中部本社経済部などの後、学芸部で映画を担当。著書に俳優、原田美枝子さんの聞き書き「俳優 原田美枝子ー映画に生きて生かされて」。

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  • 2022年のカンヌ国際映画祭で「ヨーロッパ新世紀」上映時のレッドカーペットに立つクリスティアン・ムンジウ監督(左から3人目)
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