若松孝二監督の遺影を挟んで立つ「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」の 杉田雷麟(右)と芋生悠=©若松プロダクション

若松孝二監督の遺影を挟んで立つ「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」の 杉田雷麟(右)と芋生悠=©若松プロダクション

2024.3.22

熱気あふれる80年代撮影現場 「けっこう好きかも」芋生悠、杉田雷麟 「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」

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鈴木隆

鈴木隆

「青春」という言葉が表舞台から消えつつある。映画のタイトルでもめったに見ることがなくなった。どこか懐かしい葛藤と悔恨、鬱屈した空気が漂う。「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」(井上淳一監督)は1980年代を舞台に、当時青年だった井上監督と師匠である若松孝二監督を軸にした、実話に基づいた物語である。40年前の「青春時代」を再現した世界に飛び込んだのは、若手有望株の芋生悠と杉田雷麟。当時の若者と映画への熱量をどうとらえ、挑んだのか。


「シネマスコーレ」開館とその熱気 実名で再現

名古屋市の映画館「シネマスコーレ」は若松監督が83年に作ったミニシアター。開館以来の支配人、木全純治が、現在もインディペンデント映画などを上映して存在感を放っている。この映画館開館前後のいきさつを、井上監督が実体験を元に映画化。自身をはじめ、若松監督や木全らの実名を交えて描いた青春群像劇だ。「青春ジャック」は、「止められるか、俺たちを」(2018年、白石和彌監督)の製作初期の仮題である。

若松(井浦新)は自身の監督作を上映するために「シネマスコーレ」を開館、東京の文芸坐を辞めて郷里の名古屋でビデオカメラのセールスマンをしていた木全(東出昌大)を、支配人に指名する。ビデオブームなどで映画館の経営は常に厳しく、ピンク映画の上映でしのいでいた。そんな中、若松に心酔する青年、井上(杉田雷麟)は弟子入りを申し出、学生映画に関わってきた金本(芋生悠)もスコーレで働き始める。井上は東京の大学に入学後、監督のチャンスを得るが、現場では若松に怒鳴られっぱなしだ。井上や金本ら、映画にしがみつく人々の熱く苦い日々を、笑いを交えて映し出す。


「青春ジャック 止められるか俺たちを2」©若松プロダクション

なんでハチマキなのか……

「青春」という言葉について芋生は「あまり聞かないし、青春そのものが今あるのかっていう感じ」と素直な感想を口にし、杉田も「いいタイトルだが、若松監督や木全さん、それぞれの青春ということ」と話す。「僕らの世代には聞きなじみはないけれど、違和感はさほどない。かえって新鮮かも」と好意的だが、中高年世代ととらえ方が根本的に異なる。当時の若者を演じた杉田がまず気になったのは「どうして頭にハチマキを巻いているのか」だったという。

ただ、映画の中で再現された撮影現場の熱くて濃い空気は、〝コンプラ〟〝働き方改革〟の今とは勝手が違うが、共感する部分もあったようだ。杉田は語る。「人との距離が近くて、まさに映画を作っているという感じ。井上は怒られっぱなしでも楽しそうだし、若松監督からねぎらいの電話をもらうなど、愛があった。声が飛び交って、その熱量が役者たちにも伝わる。今は熱量はあってもあまり表に出さない。人との距離は空いているが、その分めちゃくちゃ気を使う。どっちがいい悪いではないけど」

芋生の見方も具体的だ。「若松監督が『赤塚(不二夫)さん、良かったですよ』と声を張って明るく話すシーンなど、勢いに圧倒された。今の現場は淡々としていて、冷静というか皆さんおとなしい。怒鳴ったりしたら、白い目で見られるかも」。そんな当時の現場の空気を「部活みたい。私は部活をしていたから結構好き」。


撮影楽しむプロフェッショナルに刺激され

実際の撮影も、物語の中に負けない熱気があったようだ。「スタッフが驚くほどプロフェッショナルだった」と杉田。「俳優たちが食事している間に屋上や隣のビルにまでライトなどをセットしていた。カメラマンさんも『何も気にしないで自由にやっていいよ』と言ってくれて、準備が完璧だった」と感心すると、芋生も「どしっと構えてくれていて本当にうれしかった」。

「時にそういう現場もあるが、今回は群を抜いてすごかった。それが、作品の熱量として出ていると感じた」と杉田が振り返る。スタッフへの感謝の言葉は途切れない。芋生も身ぶり手ぶりで話すほど。「映画界の大先輩たちが、劇中の若松監督の現場みたいに映画作りを楽しんでいた。皆さんが道標になって、私も負けずに楽しむことにした」と芋生の声が弾みだす。「こっち(役者)もいっそう火がついた」と杉田も応じる。


本人の前で本人を演じるとは……

杉田が演じたのは、井上監督本人の若いころ。「井上監督は全部さらけ出している。しっかり演じないといけない」と思いを受け止めた。とはいえ、本人を目の前に演じるのはどんな気分か。「脚本を読んだ時からプレッシャーを感じた。『僕じゃない』と言われたら、とも考えた」。ただ、「青春ジャック」撮影の前に井上監督が脚本に参加した「福田村事件」に出演し、「信頼関係ができていた」という。井上監督からも「意識しないで自由にやってください」と言われ、安心して現場に臨めた。

金本は映画の中で唯一、実在しない人物。映画監督を熱望しながら一歩が踏み出せない。在日朝鮮人という設定だ。芋生は「これまでインディーズ映画にお世話になってきたし、映画館と映画愛の話なので恩返しも込めて演じたいと思った。葛藤を抱えながら、(映画を)あきらめきれない金本に共感した」と脚本段階からのめりこんだ。

役者として役として「負けられなかった」

浪人生の井上は、経験もないのに無謀なまでに猪突(ちょとつ)猛進、チャンスをつかんでいく。一方大学の映画サークルで映画を撮り続ける金本は、自分の才能を信じられず映画の世界に飛び込むことに二の足を踏んでいる。互いを意識する2人が、シネマスコーレの屋上で対峙(たいじ)するシーンがいい。

「(映画に関わる)ライバルとして絶対負けられない。役としても役者としても」と芋生が言葉に力を込めると、杉田も「現場で話す機会もなく、キャラクター的にもバチバチ」。「屋上ではお互い燃えていた」と2人が声をそろえた。2人とも若松監督役の井浦新から「燃料を投下」されていたという。「『屋上のシーンはとても大事』『2人にかかっている、お互い負けるなよ』と別々に言われていたことを後で知った」と芋生。


井浦新と東出昌大 若手を後押し

井浦は前作「止められるか、俺たちを」に続いて2度目の若松監督役だ。芋生は「井浦さんには撮影の最初から、若松監督が憑依(ひょうい)していた」。井上が若松監督に「弟子にしてください」と懇願するシーン。「しっくりいかなくて、井上監督が『もう1回テストやります』と言ったら、井浦さんが『本番でやってみては』と。それが結果的にOKになった」。テストをあまりしなかった若松監督を思わせるアイデアだった。

木全役の東出も若手をサポートした。芋生が話し始める。「屋上のシーンではリハーサルでもテストでも体がうまく動かず、感情とシンクロせず悩んでいたら、東出さんが『セリフは入っているだろうから、1回全部忘れて好きなように動いてみたら』と言ってくれた。看板の鉄骨に乗ったり降りたり、サビを手で払ったりしたら、こうするべきと思っていたことが取り払われて景色が変わった。それを上の方から撮ってもらったら井上監督のOKが出た」


「青春ジャック 止められるか俺たちを2」について語る 杉田雷麟(左)と芋生悠=©若松プロダクション

「笑いと熱と涙」「映画館で体験共有を」

最後に本作の率直な感想を聞いてみた。芋生は「劇場で声を出して笑っても恥ずかしくないくらい面白い。体が緩む映画。そこに、ガツーンと熱さが入ってきて、気づいたら泣いてしまう。幸せになれるというか勇気をもらえる。自分が出ている作品でもあまり言わないんですが、大好きです」。

杉田が「映画館で他の人と一緒に、同じ体験をしながら笑って見るのが一番いい」と話すと、芋生が言葉を重ねた。「終わってもなかなか帰らない人が多いらしい。分かります、余韻を味わいたい映画だから」

ライター
鈴木隆

鈴木隆

すずき・たかし 元毎日新聞記者。1957年神奈川県生まれ。書店勤務、雑誌記者、経済紙記者を経て毎日新聞入社。千葉支局、中部本社経済部などの後、学芸部で映画を担当。著書に俳優、原田美枝子さんの聞き書き「俳優 原田美枝子ー映画に生きて生かされて」。

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