「関心領域」© Two Wolves Films Limited, Extreme Emotions BIS Limited, Soft Money LLC and Channel Four Television Corporation 2023. All Rights Reserved

「関心領域」© Two Wolves Films Limited, Extreme Emotions BIS Limited, Soft Money LLC and Channel Four Television Corporation 2023. All Rights Reserved

2024.6.03

ナチスを支えたのは私たちではなかったか 現代と響き合う「関心領域」:藤原帰一のいつでもシネマ

藤原帰一・千葉大学特任教授が、新作や古今の名作の見方を豊富な知識を交えて軟らかく紹介します。

藤原帰一

藤原帰一

この悲劇から現代が始まった。忘れてはならない悲劇だ。忘れたら、またこの悲劇が繰り返されてしまう。この言葉を読んで、どんな悲劇、事件のことをお考えになったでしょうか? 

現代史の起点としてのホロコースト

第二次世界大戦を想起する人が多いのではないかと思います。それでも、戦争の記憶には地域による違い、地域文脈性がつきまとうだけに、誰もがみな一致してこれだけはいけない、これは繰り返してはならない悲劇だと共通して訴える事件を選ぶことは容易ではありません。日本では広島と長崎への原爆投下を第一に挙げる方が多いと思いますが、その戦争への認識が決して世界どこでも共有されていないことは、前回取り上げた映画「オッペンハイマー」に対する日本国外と日本でのリアクションの違いに表れておりました。

それでも、地域を超えて現代史の起点として共有することのできる悲劇としてホロコースト、第二次世界大戦のさなかに展開されたユダヤ人の大量殺害を挙げることはできるのではないかと思います。ホロコースト認識についても地域文脈性があると私は考えますが、ヨーロッパ世界だけで悲劇だと思われているとはとても言えませんし、そうであってはなりません。


ユダヤ人への差別と迫害

まず、ホロコースト(ショア)とは何か、おさらいをしておきましょう。いうまでもなくユダヤ人に対する差別と迫害はロシア帝国を筆頭としてヨーロッパ地域各国で繰り返され、続いてきました。ただ1933年にヒトラー内閣が成立すると、ドイツでユダヤ人を対象とする迫害と暴力行使がそれまでに見られなかったものに変わります。なかでも38年11月のクリスタル・ナハト(「水晶の夜」、ドイツ全土で起きた反ユダヤ暴動)はユダヤ人に対する組織的武力行使として類例のないものでした。

39年にドイツがポーランドを侵略し、第二次世界大戦が勃発すると、ユダヤ人、さらにロマ人や同性愛者をドイツだけでなくドイツが占領した地域から排除すべく、財産を奪い、強制連行し、収容所に送り、強制労働に就かせ、大量に殺害する計画が組織的かつ大規模に展開します。数多い収容所の中でももっとも犠牲者が多かったのが、ドイツ占領下のポーランドにつくられたアウシュビッツ強制収容所でした。

無数の映画化 相対化される悲劇

ホロコーストは現代史の起点とも呼ぶべき事件でした。ナチスのユダヤ人迫害・強制連行・大量殺害を表現する映画もおびただしい数にのぼります。劇映画に限っても、「シンドラーのリスト」(93年)や「ライフ・イズ・ビューティフル」(97年)、「縞模様のパジャマの少年」(2008年)、それに私のお薦め、「サウルの息子」(15年)など、すぐに思い浮かびます。

これだけたくさんの映画がつくられると、どれほど忘れてはならない悲劇であったとしても、新しい切り口を見つけることが難しくなってしまいます。新しい映画なのに、あ、これ見たことがあるという既視感に襲われてしまい、映画表現から力を奪ってしまうんですね。

さらに悲劇から時間がたてばたつほど、ホロコーストが起こったことを否定する歴史修正主義が広がります。ホロコーストを現代世界の起点として見る立場に対して、植民地支配で展開した暴力はどうなるんだ、欧米地域の外の暴力に目を向けることなくホロコーストを語り続けるのはおかしいではないかなどという声も生まれてきます。別に現代の起点を一つの事件に限らなければいけない理由なんてないわけですが、時間の経過によって悲劇の認識が相対化されることは避けられません。



大量殺人を映さない「関心領域」

今日ご紹介する「関心領域」もホロコーストを描く映画の一つ。ただ、方法が独特です。映画の主人公はアウシュビッツ強制収容所の責任者を務めたルドルフ・ヘスと妻のヘートビヒ、映画の舞台もアウシュビッツなんですが、大量殺人はスクリーンに映されません。

映画の最初は真っ黒な画面。何か機械の故障じゃないかと心配するくらい黒い画面が続いた後、ピクニックをする家族の光景が映し出されます。子どもたちが楽しそうに遊んでいて、大量殺人などとは別世界です。その後に映し出されるのも、立派なお屋敷と花の咲き乱れる庭。平和で幸せな家族の暮らしとしか思えない光景です。

ただ、お屋敷の向こうには高い塀があって、何かありそう。それに、画面は平和でも、そこにつけられた音や音楽は、神経を逆なでするようなもの。声や音が聞こえるし、塀の向こうからは、ときおり煙が立ち上るのも見えてきます。子どもがボート遊びをしている川に灰が流れてくると、子どもたちはすぐ家に戻され、徹底して体を洗われます。

塀のこちら側の日常

画面には映されなくても、音響や灰などちいさな手がかりから、塀の向こうで何が起こっているのか、観客にはわかるでしょう。むしろ、画面には出てこないからこそ、組織的収奪と収容と殺人を観客は想像せざるを得ない。音によって観客のイマジネーションを引き起こすという工夫ですね。米アカデミー賞で国際長編映画賞に加えて音響賞を受賞したのも納得です。

冷めた映画です。登場人物の視点から見ることを避けるかのように、クローズアップを使わず、カメラが人に寄っていかず、距離を保っています。遠くから見てる感じでして、感情移入を拒んでるんです。自然光による撮影に徹しており、そのために人の顔が暗く見えることもいとわない。おかげでドキュメンタリーのような臨場感、いや、劇映画はもちろんのこと、普通のドキュメンタリー映画でも見られないような日常生活の手触りを感じさせます。

そして、映画ではナチが出てくるといかにも悪い人として描かれるのがむしろ普通なんですが、それを一切していない。収容所長のヘスも、ヘスの妻ヘートビヒも、ごく普通の人、という表現です。とはいえヘートビヒは、どれにしようかなどとベッドに並んだ衣類を吟味して、ぜいたくなコートを身につけて鏡を見たりしますが、このコート、どうやって手に入れたのか、考えるまでもない。ヘスが転勤を命じられると、移るのはいやだ、ここにもっといたいと反発する。そう、アウシュビッツ収容所長だけでなく、その妻も大量殺人に責任を負うものとして描かれています。普通の人が同時におぞましい殺人の共犯者なんです。


見ないふりをした人々への厳しい視線

私が「関心領域」で最もひかれた点は、ホロコーストのことを見ないふりをしながら知っていて、それによって利益を得ている人々に対する厳しい視線でした。監督のジョナサン・グレイザーは、「アンダー・ザ・スキン 種の捕食」で、スカーレット・ヨハンソンに地球に襲いかかる異星人の役をさせました。「アンダー・ザ・スキン」は人間そっくりの異星人が人間を食べちゃうという映画でしたが、この「関心領域」のヘスもヘートビヒも、まさに異星人のように、収容者を食い物にしているということができると思います。

戦争犯罪の裁判では、上官の命令に従っただけだという被告の答弁が繰り返されてきました。上官命令の抗弁というんですが、その抗弁が認められた場合、ごく一部の責任者以外に対して戦争責任を問うことはできません。そして、日本でもドイツでも、軍人ではない一般国民は、自分たちは戦争の犠牲者だ、加害者ではないという考え方が一般的でした。

では、命令に従っただけだとか、国民は犠牲者だという議論は本当なのか。「関心領域」のヘスは命令にいやいや従うどころか、より効率的な収容と殺人の方法を考案し、実行しました。妻のヘートビヒも大量殺人によって利益を得ている明確な共犯者です。誰が戦争犯罪者なのか、命令を下した一部の人たちだけではなく、その命令を拒むことのなかった者、そして戦争犯罪を見ることができるにもかかわらず見ようとしなかった者も戦争責任を負っているのではないか。殺人現場から屛を隔てた楽園にいる者を描くことによって、「関心領域」は戦争責任の意味を捉え直しています。


「夜と霧」の一場面を思い出す

映画製作の背景には現在の国際政治があります。ドイツでは右派政党ドイツのための選択肢(AfD)が6月の欧州議会選挙で大幅に議席を増やすと見込まれていますが、そのAfD党の欧州議会議員マキシミリアン・クラーは、ナチス親衛隊の制服を着ていた人なら誰でも犯罪者だとは言えないと発言しました。オランダでは選挙で勝利を収めたヘルト・ビルダースの率いる右派政党自由党が連立政権に加わる見込みです。どの右派政党も、移民排除とナショナリズムの鼓舞を共有しています。ナチスは誰が支えたのか。ナチスの台頭を許したのは私たちではなかったのか。さらに、ウクライナで、ガザで、そしてミャンマーで続く大量殺人から目を背けてはいないのか。ホロコーストの表現が不気味なほど現在と響き合う作品です。

映画によってナチスドイツの犯罪を表現することは決して容易ではありません。現実があまりにすさまじいために、それを映像によって再現すると、観客が受け入れやすいドラマに現実を変えてしまい、そこにウソがうまれるからです。あえて申し上げれば、私は劇映画よりも、アラン・レネ監督の「夜と霧」やクロード・ランズマン監督の「SHOAショア」などのドキュメンタリーによってホロコーストのことを学んできたと思います。

なかでも高校生の時に見たアラン・レネの「夜と霧」は忘れることのできない作品です。大量殺人現場の映像を現在、といっても56年ですが、その映像と対比してゆくなかで、収容所司令官の住んだ家が、ほんのちょっと出てきます。大量殺人と、司令官の家の静かなたたずまいとのコントラストに受けた衝撃を今でも覚えています。

「関連領域」は「夜と霧」のこの場面を映画一本に広げたような作品です。見て楽しいとはとても言えませんが、これまでのホロコーストのイメージを揺さぶる力を持った作品としてお薦めします。

関連記事

ライター
藤原帰一

藤原帰一

ふじわら・きいち 順天堂大国際教養学研究科特任教授、映画ライター。1956年生まれ。専攻は国際政治。著書に「戦争の条件」(集英社)、「これは映画だ!」(朝日新聞出版)など。「映画を見る合間に政治学を勉強しています」と語るほどの映画通。公開予定の新作や古今の名作の見方を豊富な知識を交えて軟らかく紹介します。

新着記事