「帰ってきたあぶない刑事」イベントで歓声に応える舘ひろし(右)と柴田恭兵=勝田友巳撮影

「帰ってきたあぶない刑事」イベントで歓声に応える舘ひろし(右)と柴田恭兵=勝田友巳撮影

2024.6.15

昭和の〝あぶない記者〟も共感「帰ってきた あぶない刑事」 タカ&ユージは〝正しく〟ルールを破ってくれた

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ひとしねま

川崎浩

映画はないものねだりのメディアである。胸ときめく美男美女のロマンスも、荒唐無稽(むけい)のスパイアクションも、想像もできないVFX映像満載のSFも、人は現実には存在しない何かを映画に求め、感じ、追体験するのだと思う。その「ないもの」が本当に切実に欲しいものであるならば、映画は多くに受け入れられる。大ヒット中の「帰ってきた あぶない刑事 ABUDEKA IS BACK」を見て、自分が立てたこの仮説があながち間違っていないと思えた。「あぶ刑事」には、現代人が心底欲する「ムチャクチャ」いやもとい「本当の正しさ」が存在する。


ハリウッドとの比較 ナンセンス

物語はこうだ。タカ(舘ひろし/1950年生まれ)とユージ(柴田恭兵/51年生まれ)という元刑事2人が、ニュージーランドから8年ぶりに戻った横浜で探偵事務所を開設した。そこに24歳の彩夏(土屋太鳳)が母を探してくれとやって来る。母親は、タカとユージの元恋人ではないか?という展開になる。だが、母親を探すうち、3人はカジノ開発にからむ大事件に巻き込まれることに。しかも、悪人グループの中に彩夏の母親、つまりタカ&ユージの元恋人らしき女性を見かけてしまう。悪人グループは、利権のために横浜で爆破テロを計画。タカ&ユージは、爆破阻止と母親奪還のために命を張って立ち向かっていく……。

本作と、資金物量をつぎ込んだこの手のハリウッド製アクション映画とを、直接的に比べるのはナンセンスである。迫力やスピード感、VFX映像が全く違う。見るべきところはそこではない。「このオジさん2人が、格好良すぎる。この面白さは一体何なんだ!?」に尽きるのである。


ドラマ「あぶない刑事」

爆走、拳銃、ダジャレまで

言うまでもないが、昭和末期の1986年にスタートしたテレビドラマ「あぶない刑事」(日本テレビ系)の派生映画で、2016年1月公開の「さらば あぶない刑事」以来8年ぶりの映画版である。映画の時間経過でも「さらば」から8年後の設定なので、タカ&ユージはともに60代後半の設定になろうか。そのオジさんが、昭和の価値観のまんま、現代の横浜の街を疾走爆走暴走し、拳銃もショットガンも撃ちまくり、殴る蹴るの末、ダジャレを飛ばすという、暴挙を繰り広げるのだ。あ、たばこだけはなかった。あとは、知らなくても構わない過去の引用とパロディーがてんこ盛り。シリーズ初見のほとんどの人は、突然挿入される中条静夫の「大バカ者!」にドン引きするだろう。この手法からして昭和である。

つまり、すべてが懐メロ。だが、懐メロはそのまま流しても誰も聴かない。時代に合わせたアップデートが必須である。本作はそれが図に当たったのだ。70年前の「ゴジラ」を「山崎ゴジラ」がアップデートできたように、38年前の「あぶ刑事」を現代の環境にフィットできたのだ。監督の原廣利は父親がテレビ版を監督していた2代目である。どこかに「勘」があるのだ。脚本の大川俊道、岡芳郎も60代のベテランで、締めるところ緩めるところのツボを心得た展開を書き記した。今のデジタルジャングルに、2匹のアナクロな野獣を置いても違和感のない、説得力のある台本を書いたのは脱帽である。


映画「またまたあぶない刑事」

オジさんたちの問題提起だ

とはいえ、ヘタをうてば、時代錯誤の絵空事映画で評価は終わる。そうならなかったのは、2人が持ち続けている「自分が正しいと思えば、それを1人でもやる」という、今となればプリミティブで素朴な価値観が「ないものねだり」で求められていたのだ。そう、「政治的正しさ」や「SNS的他人見合い」や「ネットポリスの恐怖」に日々おびえて生きる現代人の不安感を、この2人のオジさんが胸のすくように払拭(ふっしょく)してくれるのだ。

「GODZILLA×KONG 新たなる帝国」にも言えることだが、ゴジラとキングコングという古いキャラクターを登場させて、現代人の支持を受けるためには「今の時代ではできないムチャをやらせる」ことに尽きる。みんな「整合性のないルールは守りたくない」ということだ。

車の1台も見えぬ赤信号でも止まって青信号を待てが「正しい」ルール。だが、向かい側で目の不自由な老人が転んだらどうする? 渡って助けたら悪人か? それをユーモラスで痛快無比な刑事ものとして問題提起しているのが、このオジさんたちと思っていいのではないか。


「帰ってきたあぶない刑事」

わがまま者が組織を活性化する

ちょっと映画から外れる話をしよう。人間、年の取り方はむずかしい。サラリーマンは、大抵それを、30、40、50、60という年齢の節目で実感する。体力の低下もそのあたりで階段の踊り場に着いたように痛感する。会社での居場所も、そのあたりで変化する。課長、部長、局長、役員てな感じ。それを「知ったことか」と我が道を行くのは確かに組織人ではない。

ところが、そんなわがまま者がいないと組織が活性化しない。分かりやすい例で言えば、映画「無責任男シリーズ」の植木等演じるキレたサラリーマンである。周囲は植木の言動に「いいかげんにしてくれ」とあきれつつ、植木がいてこその所属組織であることを認識している。「男はつらいよ」シリーズの「車寅次郎」と「本家くるま菓子舗」でもいい。

もっと生物的な「共生」で説明すれば、映画「平成ガメラシリーズ」の2作目「ガメラ2 レギオン襲来」に登場したレギオンと草体の関係のようなものだ。派手で目立ち過ぎの花を咲かせる草体と、せっせとその開花準備を整える黒ずくめの働きアリのようなレギオン。一見無関係に見えるこの2種類の生物は、お互いの生存によって種が維持される。だが、現代は「派手な遊び人は要らない、言うことをきく労働者だけが欲しい」と身も蓋(ふた)もない。レギオンだけが社会に有用とみなしている。この視点に社会全体の生命連関を見通す力は備わっていない。

タカ&ユージは「サラリーマン植木」や「寅さん」であり、舘と柴田は現代社会に「開花した草体」なのだ。年を重ねると力尽きる働きアリには、派手で自由で若々しいタカ&ユージが必要なのだ。でなければレギオンでいることすら許されないではないか。



「帰ってきたあぶない刑事」

共演陣、ファッションも〇、カタルシス満載

蛇足であるが、映画的に高く評価できる箇所を書く。音楽がBGMも含めてレベルが高い。舘、柴田、土屋が軽くリズムを取るシーンがあるが、人物の内面まで表している。ナイトクラブのジャズもしみる。ピアノの安部潤が〇。登場人物のファッションも、相変わらず気が配られている。シリアスシーンを担う岸谷五朗、吉瀬美智子、深水元基が、主役の「ムチャ」に引きずられることなく映画を引き締めている。

さらにプログラムピクチャーには「これがなきゃ」というカタルシスシーンが必ずある。「007」の「ボンド、マイ・ネーム・イズ・ジェームズ・ボンド」とか「水戸黄門」の「助さん角さん、もういいでしょう」とか「寅さん」の「それを言っちゃおしめえよ」のシーンである。本作は全編端から端まで「それ」で埋め尽くされている。好きな人には、たまらない! 存分に昭和を満喫していただきたい。

場面写真は東映提供。

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ライター
ひとしねま

川崎浩

かわさき・ひろし 毎日新聞客員編集委員。1955年生まれ。音楽記者歴30年。映像コラム30年執筆。レコード大賞審査委員長歴10回以上。「キングコング対ゴジラ」から封切りでゴジラ体験。

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