2021年に生誕90周年を迎えた高倉健は、昭和・平成にわたり205本の映画に出演しました。毎日新聞社は、3回忌の2016年から約2年全国10か所で追悼特別展「高倉健」を開催しました。その縁からひとシネマでは高倉健を次世代に語り継ぐ企画を随時掲載します。
Ken Takakura for the future generations.
神格化された高倉健より、健さんと慕われたあの姿を次世代に伝えられればと思っています。
2022.12.31
「映画館のあった風景」第7回 石垣編 石垣島の発展と台湾交流
沖縄県は、沖縄本島を含めた沖縄諸島、宮古諸島、そして八重山諸島に分けられていて、宮古と八重山諸島のふたつを合わせて先島(さきしま)諸島とも呼ばれています。
八重山(やえやま)の八つの山は、石垣、西表(いりおもて)、小浜、竹富、新城(あらぐすく)、波照間(はてるま)、鳩間(はとま)、黒島(くろしま)という説があります。
石垣島から沖縄本島までの距離は約410キロメートル。東京―大阪間の約400キロメートルに相当しますが、台湾までの距離は約280メートル。沖縄本島より、台湾は、はるかに近い距離に位置しているのです。
石垣島がにぎわったのは、明治40(1907~)年代に、大阪商船の神戸と台湾北部の港湾都市基隆(キールン)を結ぶルートの寄港地となったことによります。
現在の石垣港
大正時代にカツオ漁の好景気に支えられ商業活動が盛んになり、船舶の修理のため造船所や鉄工業が生まれました。
酒屋、しょうゆ屋など、石垣の市街地にこれまでなかった商店が増えていったのです。
中心地は、四ヶ字(しかあざ)と呼ばれる大川(おおかわ)、石垣(いしがき)、登野城(とのしろ)、新川(あらかわ)。
今やリゾート地としても有名な石垣島ですが、主な農産品は、サトウキビとパイナップル、そして黒毛和牛です。
かつて缶詰が主流だったパイナップル産業は、流通システムが整ったお陰で、本土でも生果を手にすることが容易になりました。
日本のパイナップル産業は、石垣島が発祥の地。
入植してきた際、水牛耕作と技術革新がもたらされ、八重山の基幹産業として大きく発展したのです。
2017年に公開されたドキュメント映画「海の彼方(原題:海的彼端)」監督:黄胤毓(こう・いんいく)は、当時、石垣島に移住した台湾人家族玉木家のファミリーヒストリー。
松田良孝の書籍「八重山の台湾人」が足掛かりになったもの。
当時を再現したイラストや、エンディングで紹介されるセピアカラーの家族の肖像写真に、島に刻まれた確かな歴史の1ページを見る思いがしました。
沖縄・八重山・石垣島の歴史
1429年 琉球王国成立
1879年 明治政府の廃藩置県による沖縄県誕生
1945~72年 アメリカ統治下におかれ、沖縄と本土との移動にはパスポートと渡航証明書が必要となる
1962年 マラリアの撲滅
1964年 石垣島が一島一市となる
1972年5月15日 沖縄返還
1976年 石垣島出身 具志堅用高が (世界ボクシング協会) WBAライトフライ級 (当時国内ではジュニアフライ級)世界チャンピオンとなる
2006年 国立石垣島天文台完成
2013年 新石垣空港・南ぬ島石垣空港開港
ぱいーぐる
「ぱいーぐる」は、沖縄県石垣市に13年(3月7日)に開港した、南ぬ島(ぱいぬしま)・新石垣空港のマスコットキャラクター。
沖縄県石垣島・八重山諸島に生息する特別天然記念物「カンムリワシ」がモチーフです。
第6回 石垣編 心を休めに八重山へ
https://hitocinema.mainichi.jp/article/8ulnhhh6bp6
第8回 石垣編 カンムリワシ、具志堅用高
https://hitocinema.mainichi.jp/article/8k3sj7b-l4
第9回 石垣編 エピローグ
https://hitocinema.mainichi.jp/article/ilmyiadr-2