新潟県上越市 高田世界館 イラスト:梅田正則

新潟県上越市 高田世界館 イラスト:梅田正則

2022.12.31

「映画館のあった風景」第9回 石垣編 エピローグ

2021年に生誕90周年を迎えた高倉健は、昭和・平成にわたり205本の映画に出演しました。毎日新聞社は、3回忌の2016年から約2年全国10か所で追悼特別展「高倉健」を開催しました。その縁からひとシネマでは高倉健を次世代に語り継ぐ企画を随時掲載します。
Ken Takakura for the future generations.
神格化された高倉健より、健さんと慕われたあの姿を次世代に伝えられればと思っています。

ひとしねま

小田貴月


山丹花(さんたんか / さんだんか)
花言葉は、神様の贈り物。
梯梧(デイゴ)、黄胡蝶(オオゴチョウ)とともに沖縄3大花の一つです。
 
「自分の名前でお客さんに足を運んでもらえるようになったのは、よかったんだけど、今度は、同じようなストーリーのものばかり。シリーズものが増えて、疲れ切ってた。
ある日、撮影が終わってからこっそり映画館に行ってみると、立ち見客がいっぱいですごい熱気。わあ、わあ、言いながら。楽しんでるっていうか、とにかくあの雰囲気に圧倒された。こんなに喜んで見ていただけるんだから、しっかりやらなきゃと、改めて気合が入った。
あの時、自分がやってる映画の手応えを、映画館で直接感じられたのはいい経験だった」
と、話してくれた高倉は、映画が人々を鼓舞する力を目の当たりにしていたのです。
娯楽は映画。
映画館でしか見ることのできなかった昭和の時代の話でした。
 
その後、映画はテレビ放送されるようになり、ビデオが発売され、時代とともにソフトも形を変え、今は、いつでもどこでも見られるオンデマンド配信も日常の一部です。
 
「今、この島には、(常設の)映画館が一館もありません」というお話がきっかけで始まった「映画館のあった風景」は、高倉の故郷である福岡県に始まり、「鉄道員(ぽっぽや)」のロケ地、北海道南富良野町を訪ね、最後は企画のきっかけとなった沖縄県の石垣島を巡りました。
 
各地で伺ったお話は、映画館が造られた背景に人々の渇望があったということ。
沖縄本島で國映館を作られた国場幸太郎(こくば・こうたろう)氏は、映画館を造った背景をこのように語っています。
「多くの人々が、たとえ僅かでの時間でも、日々の労苦を忘れて世界の文明に陶酔する。そして私共も世界中の人々と歩みを共にしたい。私はロードショウ劇場として、広く世界の優秀作品を封切りして現代人の生活の一部とも云うべき映画を、良い環境のもとにあまねく人々に鑑賞願い度い」(沖縄商工名鑑1956年版)
 
また、昭和1桁の時代、鉄格子ではなく、緑の牢獄(ろうごく)や海の牢獄とされた西表島の炭鉱にできた映画館をめぐる物語「波の上のキネマ」(増山実著 集英社)の、
「人間は、苦しい現実に耐えるために、夢をみることが必要な時がある。夢が、幻が、辛(つら)い現実を乗り越える力をくれる時がある」は、印象的な言葉でした。
 
私自身はゆいロードシアター映画業務担当だった竹内真弓さんが、
「私は、新潟県上越市の出身で、そこに、日本最古レベルの高田世界館があったんです。私がいたころは、ピンク映画を流していたところなので、みんなが目をそらしてたんですね。
そのころは、地元の魅力がわからなくて、一刻も早く都会にでたいという気持ちでした」と話されていた高田世界館を、機会を見つけて訪ねたいと思いました。
 
1911(明治44)年に芝居小屋高田座として開業し、その5年後、16(大正5)年に芝居小屋から常設映画館世界館へと転身し、白亜の大劇場と呼ばれた建物でした。
その後、高田東宝映画劇場、高田セントラルシネマ、松竹館などに名称を変えながら老朽化に耐え、2009年に映画館をなくしたくないという、NPO法人「街なか映画館再生委員会」に譲渡され、14年若き支配人・上野迪音(うえの・みちなり)さんが、映画のセレクト、ブッキング、もぎり、イベント企画などのあらゆる業務を担っていらっしゃるとのこと。
まさに、竹内さんが目指す “もぎりのおばあ” の男性版モデルではないかと思えました。

新潟県上越市・高田世界館

街を知ってもらいながら、映画館で映画を見てもらう。
上野さんが提唱されている“シネマツーリズム”は、個性的な映画館を存続させる一条の光のように感じました。

雨の日、石垣島で

亜熱帯気候の石垣島は年間を通して暖かですが、雨が降らないわけではありません。
そんな日は、ユーグレナ離島ターミナルにあるプラネタリウムも悪くないけれど、2017年に新川にオープンした古書カフェ“うさぎ堂” もお薦めです。
 
衣・食・住と同格で「読」があるような憩いの場を目指したという店主の千葉茂之さん(57)に、この島でしか手に入らないかもしれないという、貴重な八重山関連本を教えていただくこともできました。

うさぎ堂 千葉茂之さん





みなさまのインタビューをさせていただいたTHE MIYARA GARDEN

石垣島の映画館の資料集めやご証言者を紹介していただきました、德誠司・小百合ご夫妻。貴重な写真を提供していただいた平田観光株式会社副社長、奥平崇史さん。ザ・ミヤラ・ガーデンの塚田光義さん、宮城トモ子さん。作り立てのサーターアンダギーのおいしさは格別でした。生前、高倉がお世話になった、築70年の古民家で八重山の郷土料理を味わえるレストラン舟蔵の里・元村賢・雅子夫妻。
皆様方の笑顔のおかげで、高倉が好きだった石垣島の風、夜空の美しさを追体験できました。

わずかに残された写真や、ご証言を手掛かりに、ぬくもりあふれるイラストでこのコラムを彩っていただきました梅田正則さん。
伴走していただきまして、どうもありがとうございました。
 
「映画館のあった風景」は、高倉健追悼特別展をプロデュースしてくださった毎日新聞社営業本部の宮脇祐介さんが名付けてくれました。

これからは、私にも、こんな思い出がある!と、お話しを聞かせていただくことができましたら、続編として改めてご紹介させていただくことがあるかもしれません。
情報をお待ちしております。
 
*トピックス
今回石垣島の記事で取り上げた09年1月に閉館していた万世館が、13年ぶりに、その扉を開いたというニュースがありました。
BIGINの比嘉栄昇(ひが・えいしょう)さんをはじめとする八重山で活躍する5人のアーティストが、22年9月に結成したバンド「ヤファイアン・アッチャーズ・バンド(Y.A.B)」のワンマンライブが22年12月29・30日に行われたとのこと。
今後は、音楽や映画、お芝居などのイベント実施が期待されます。
心が躍動する万世館の復活が楽しみになりました。
 
最後は、田盛敦子さんに教えていただいた八重山の方言で締めくくりたいと思います。
 
しかいとう みーふぁいゆー (どうもありがとうございました)
 
米子焼工房のシーサー

第6回 石垣編 心を休めに八重山へ
https://hitocinema.mainichi.jp/article/8ulnhhh6bp6
第7回 石垣編 石垣島の発展と台湾交流
https://hitocinema.mainichi.jp/article/llk1idto6vs
第8回 石垣編 カンムリワシ、具志堅用高
https://hitocinema.mainichi.jp/article/8k3sj7b-l4

*イラスト 梅田正則プロフィル

1948年新潟生まれ。テレビ・映画美術監督。
テレビドラマ「北の国から」「踊る大捜査線」「ロングバケーション」「これから~海辺の旅人たち~」(主演:高倉健)、「若者たち2014」ほか数多くの作品の美術監督をつとめる。2022年、実写世界からアニメに挑戦。69~74歳まで6年かけて「ケンタのしあわせ」(3分55秒)を、梅田正則監督作品としてついに完成させた。

ライター
ひとしねま

小田貴月

おだ・たか 株式会社高倉プロモーション代表取締役
東京生まれ。女優を経て、海外のホテルを紹介する番組のディレクター、プロデューサーに。96年、香港で高倉健と出会う。13年、高倉健の養女に。
著書に、「高倉健、その愛。」、「高倉健の美学」、「高倉健の想いがつないだ人々の証言~私の八月十五日」。

カメラマン
ひとしねま

小田貴月

おだ・たか 株式会社高倉プロモーション代表取締役
東京生まれ。女優を経て、海外のホテルを紹介する番組のディレクター、プロデューサーに。96年、香港で高倉健と出会う。13年、高倉健の養女に。
著書に、「高倉健、その愛。」、「高倉健の美学」、「高倉健の想いがつないだ人々の証言~私の八月十五日」。