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2023.12.13
私たちは「生きているんだ」という実感がないまま、あまりにもフワフワと生きている。大学生が見た「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」
愛する人のために自分を犠牲にするのか。愛する人のために自分を守るのか。己の価値観を問い直させられる映画「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」
父親を亡くし、母と二人きりの貧しい生活に不満を抱く女子高生・百合。ある日、進路をめぐって母親とぶつかり家出をし、近所の防空壕(ごう)跡で眠ってしまう。目を覚ますと、なんとそこは1945年6月、戦時中の日本だった。そこで百合は彰と出会い、しだいに二人はひかれ合っていく。しかし、彰は程なく命がけで戦地に飛ぶ特攻隊員だった。
正義を「植え付けた」のは当時の社会
愛する人が自らの意思でもうすぐ死んでしまう。現代ではありえない状況だが、戦時中の日本はそれが正義になる価値観の時代だ。溺れている子供を助けたことが原因で父が亡くなってしまった百合は、残された家族の苦しみを何よりも知っているからこそ、「愛する国のため」という大義名分で愛する人を残して自ら死を選ぶ特攻隊員が理解できなかった。もちろん現代に生きる私たちは百合の気持ちに共感するが、特攻隊員たちが揺るぎない正義を持っていること、そしてその正義を「植え付けた」のは当時の社会だということが私たちをなんとも言えない気持ちにさせる。
私は、正しさとは多方面に存在すると思っている。何が善で何が悪なのかは個々の主観でしかない。しかし、戦時中の日本、いや世界は、戦争に勝つことが一番の正義だと「植え付けられて」いた。社会が正しさの主観を押し付けた結果、正義が戦争相手への憎しみに変わってしまったことの残酷さを忘れてはいけないと、この作品を通して何度もそう思った。
昔話として人ごとと見るか、我がごととして見るか
戦争を描いた映画はこの世にたくさんある。そして、今後も戦争を描いた映画を絶やしてはいけないと思う。現に、戦争は過去のものではなく今も世界で起こっているからこそ、これ以上の惨事を繰り返さないために後世に伝えていく必要がある。幸い、日本は今争いのない日々を送っているが、それは過去の歴史から学んで平和を誓っているからだ。若い世代へ語り継ぐためにも戦争を描いた映画を見ることは大事だが、それを昔話として人ごとと見るか、我がごととして見るか、それは作品の見せ方にかかっている部分も大きいと思う。
ただ今日一日を「生きる」
「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」は、現代の女子高生が現代の価値観と戦時中の価値観のギャップに苦悩するのがとてもリアルだ。戦争から学んだことは、同じ惨事を繰り返さないということだけではなく、ただの日常を生きる私たちにとって「生きる」とはどういうことなのか教えてくれる。物や情報が多くなった現代で、いとも簡単に「生きる」ことができてしまうからこそ、生きがいが見つけられない今の私たちに、ただ今日一日を「生きる」ことにどれだけの価値があるのか自分のこととして考えさせてくれる映画だ。
あまりにもフワフワと生きている
哲学者のアーレントは「現代人には余暇が増えすぎた」と言った。「生きる」に直結することが減って、私たちは私たちは「生きているんだ」という実感がないまま、あまりにもフワフワと生きている。自分が生きているという一番大切なことに気づかず、どうにでも生きていけることに頭を悩ませる余暇が増えた。百合が出会った人たちは、食べ物に感謝して、大切な人が今日生きていることに感謝していた。あー、それだけでいいんだ。それさえ満たされていれば、生きることに苦悩する余暇はないのかもって思った。戦時中は死と隣り合わせだから「生きる」ことに特別感を抱くのはもちろんあるけど、今の状況がどんなにつらくても「生きられていること」を直視して大切にしている彼らの姿を尊敬した。
温かいものもきっと伝えてほしい
現代の女子高生・百合の視点から描かれる戦時中の日本は、当時の苦しみだけでなく、お互いに助け合う人の温かみや、この状況でも懸命に生きる人の強さがあった。戦争映画って、とっても苦しいし、重いし、泣きまくる。けれど、その時代を生きた人たちは、正義とか愛とか生きる活力とか、そういう温かいものもきっと伝えてほしいと思っているはず。「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」、ぜひ、劇場で戦時中を生きる人々の人生を見届けてください。