「ドライブ・マイ・カー」の山本晃久プロデューサー

「ドライブ・マイ・カー」の山本晃久プロデューサー

2022.3.24

プロデューサーが明かす「ドライブ・マイ・カー」誕生秘話 「難産でしたねえ」

94回目を迎える米国アカデミー賞のゆくえや結果を特集します。濱口竜介監督「ドライブ・マイ・カー」が作品賞など4部門にノミネートされ、がぜん注目をあびる今年の賞レースを、ひとシネマ流にお伝えします。

勝田友巳

勝田友巳

第94回アカデミー賞で作品賞など4部門で候補となった「ドライブ・マイ・カー」。濱口竜介監督と二人三脚で映画を製作したのが、山本晃久プロデューサーだ。授賞式を前にロサンゼルス入りしている山本プロデューサーに、オンラインで話を聞いた。

村上春樹と濱口竜介 「物語る巧みさ」が共通している



©「ドライブ・マイ・カー」製作委員会

「美しいものを見た」米国でも普遍的な物語に共感 

――現地の反応はいかがですか。
 
こんなにいろんな方に褒められ、面白いと言っていただけたのは驚きです。「美しいものを見た」と言う人が多く、濱口さんが紡いだショットや俳優の演技が、映画的な調和を生み出していたのだと思う。3時間の長さをまったく感じないくらい、世界観に浸ることができたと。普遍的な物語がそこにあるからでしょう。
 
村上春樹さんの原作の根っこには、喪失と再生がある。それを、映画にも感じてくれたのではないでしょうか。そしてその過程で、相手の言葉、心からの声を聞くためには、まず自分の心をのぞいて、自分の声を聞くしかないという、シンプルな真実に共鳴、共感してくれた気がします。字幕というハンディは、全くないようでした。
 
――コロナ禍の状況や、アカデミー賞を取り巻く変化の影響はありましたか。
 
コロナ禍で、ある種の分断が人々の間にもたらされたとは思います。アメリカの社会もさまざまな分断を抱えているし、世界中で、環境への思いとか戦争という形で多くの分断が現れていると思います。外からの大きな力によって切り離されてしまった関係の回復を、みんなが望んでいるということはあるのでしょう。
 
アカデミー賞で言えば、ポン・ジュノ監督の「パラサイト 半地下の家族」とクロエ・ジャオ監督の「ノマドランド」が連続して作品賞を受賞して道を開き、オスカーの歴史、アメリカ映画史を更新してくれた。アカデミー賞が価値観の改革に取り組んでいること自体が意義深いと思いますし、「ドライブ・マイ・カー」もその運動の中に加えていただいたのかなと。
 


――濱口監督とは「寝ても覚めても」(2018年)から組んでいますね。カンヌ国際映画祭のコンペティションに出品されました。
 
2012年ごろ、わたしの師匠であり、所属していたC&Iエンタテインメントの上司でもある久保田修プロデューサーに「同世代の監督を見つけなさい」とアドバイスを受けて、作品をたくさん見ました。その中で濱口さんの映画を見て、この人に話を聞きたいと思ったのがきっかけでした。東京芸大大学院の修了作品の「PASSION」や、東日本大震災のドキュメンタリー「なみのおと」の頃でしょうか。一緒にやりたいですねと話をしました。
 
ぼくは、「ドライブ・マイ・カー」ではなかったですが、村上春樹さんの作品を映像化したいと提案していました。その時は、村上作品を映画にするには〝大発明〟が必要だということで、寝かしていたんです。案を出し合っているときに、濱口さんから出てきたのが「寝ても覚めても」でした。
 
濱口さんの映画を見て、この人はジャンルにとらわれないで何でもできると思ったんです。プロデューサーとしては、戦略的に大衆性を持ちやすいこともあって、まずは恋愛映画を作りませんかと言った気がします。

――なぜ村上春樹さんの小説が合うと思ったのでしょう。
 
2人の創作の姿勢に、共通項があると感じました。「物語る巧みさ」ですかね。濱口さんには映画の妙がある、映像で表現する技術が卓越している。村上さんの場合は、それが文章だと思います。たとえば濱口さんの「PASSION」では、恋愛を軸に人々が交差していく中で、個のありようを描いていた。村上さんも、恋愛を軸にしながら個を描くという点では共通するのではないかと。


カンヌ監督、世界的作家、人気俳優 自信満々だったのに……

 ――「ドライブ・マイ・カー」は3時間の長尺の会話劇、加えてコロナ禍と、製作には苦労したのでは。
 
大変でした! ぼくは最初、「寝ても覚めても」でカンヌの門をたたいた気鋭の濱口監督と、世界的ベストセラー作家の村上さんの組み合わせに、主演の西島秀俊さんも決まっていたので、「いいんじゃないか」と思っていました。尺が3時間になるとは予想もしていなかったですし。わりと自信満々で、出資先でプロットの魅力を語ったわけです。ところが1社目で断られて、内心ほんとうに焦りました。「そんなことあるんだ」みたいな。村上さんの小説の映画化の話をしたのが12年、具体的になったのは18年でしたから、撮影開始まで2年近くかかりました。
 
撮影は20年3~4月で撮り切る計画でした。当初は韓国が舞台で、8割方韓国で撮影するはずだったのが、コロナで行けなくなり、東京編を撮り切ったところでいったん中止になります。春、夏と越えて待ちましたが、コロナの終息が全く見えない。設定を広島に変え、10月末にようやく再開しました。その間は、家福が妻を亡くしてから演劇祭に参加するまで時間がたった脚本通りの、長い期間が空きました。濱口さんにとっては、結果的にはよかったと思います。
 
――しかしプロデューサーとしては気が気じゃありませんね。
 
本当にやきもきしていました。当たり前ですけど、撮り終わらないと映画は終わらないですから。その間、冷や汗をかきながらいろんな問題解決に奔走していました。後で濱口さんが「問題があったはずなのに、いつの間にか解決されていて、本当に問題だったのかなと思うくらいでした」と。「いや、めちゃくちゃ大変でしたから」と言い返しました。映画はいつも大変ですけど、本当に難産でしたねえ。

腹に決めていた「北海道を切る」 

――長さに関しては、問題なかったのですか。
 
最初の監督ラッシュは3時間20分だったんです。その前に濱口さんからの電話で「昨日の夜まで作業して、その後も眠れなかったんですが、3時間20分になってしまいました」と告白されたんです。現場では、2時間40分を超えちゃうからどうしようかな、という話をしていましたが、まさかそこから40分も上積みになるとは。「そんなことあり得ます?」と驚きましたよね。他の製作者や出資者に顔向けできないという焦りは、濱口さんにも伝わったと思います。
 
そこから、これがベストと現状に近い形で、製作幹事のビターズ・エンドの定井勇二プロデューサーや、久保田さんに見てもらいました。もし「これでは興行にならん」と言われた時の策も、濱口さんと腹に決めていました。たとえば北海道編の大部分を切るとか。今となってはそんなことありえないですが。定井さんが「切る必要ないですよ」と言ってくれて、救われました。
 
――苦労してできあがった作品を見て、どう思いましたか。21年7月のカンヌ国際映画祭に出品されて、脚本賞を受賞しました。
 
すごく不思議な映画を作ったな、新しい映画体験をしたなという感覚でした。受け入れられるかどうかは難しいかもしれないが、ある評価はいただけると思ったんです。見た人たちに深く深く刺されば、それだけで作ったかいがあると。
 
カンヌ入選は「また選んでもらった」とうれしかったですが、濱口さんには個人的には監督賞をとってもらいたかった。でもこの時の監督賞は「アネット」のレオス・カラックス監督で、これはしょうがないと納得しました。


館数激増「涙が出るほどうれしかった」 

――21年8月に公開されますが、興行もはじめは順調とは言えませんでした。それが年末の米国での受賞ラッシュが、爆発的なヒットに結びつきます。
 
カンヌの脚本賞で話題にはなりましたが、コロナで映画館の客席が半分に制限されたり、尺の関係から1日3回しか上映できなかったりと、公開当初は本当にきつくて、申し訳ない気持ちでした。
 
興行への影響は、アカデミー賞の候補発表が大きかったと思いますね。米国でも英国でも、これほどの評価は想像していなかったので「やったー」という気持ちはあるんですけど、興行に結びついたことが涙が出るくらいうれしかったです。賞よりも館数が増えたことに、ものすごく喜びを感じました。映画は見てもらってナンボ、仕事を続けていく上でも重要だと思っていますから。
 
――「ドライブ・マイ・カー」の成功が、日本映画の作品的、興行的な多様化につながるといいですね。
 
そうなってほしいと思います。「ドライブ・マイ・カー」をきっかけに、濱口さんを知らなかった人たちが、こういう映画も面白いと思ってくれたらとてもうれしい。自分でも、より魅力的な作品を届けたい。メジャーのシーンでも多様性を持っていただきたい、持ち込みたいと思っています。日本映画界は内需に頼るマーケットで、停滞している面がある。ガラパゴス化している部分が、今後崩れていってくれればいいなと思います。
 

日本映画界は外の考え方を取り入れるべきだ

――日本映画の海外展開も、業界の大きな課題です。
 
ぼく自身は以前から、フランスや韓国の監督と話をしています。今後はいろいろと組みやすくなったという気がします。業界全体で、外の考え方を取り入れるべきだと思うんです。脚本家、監督、クリエーティブを支える技術スタッフが、もっともっと交流するべきだと思います。
 
日本では物語の語り方が内向きです。国際的に訴えかける物語の作り方を、日本以外では多くの人が考えている。たとえば韓国映画の人気は、自国だけではなく外に向けて作るというモチベーションがエンジンになっている。志向性そのものが、日本とは大きく異なっていると思うんです。
 
その点で、濱口さんは内需にとらわれていない。彼自身はそんなに意識していないし、彼には自然なことだろうが、面白い映画とは何かという命題のスタート地点、創作の基盤が国際的だと思う。濱口さんだけでなく、新しい世代も生まれている感じがしています。三宅唱さんや深田晃司さんといった監督のように、映画を通して得たものを、原点に立ち返って考える世代が現れて、その考えもどんどん深まっているという印象です。
 
 
――さて間もなく授賞式ですが、「ドライブ・マイ・カー」の作品賞受賞はありますか。
 
いやあまったく想像してなかったことだから、本当に分からないですね。


山本晃久 やまもと・てるひさ 1981年生まれ。兵庫県出身。プロデュース作品に、映画「彼女がその名を知らない鳥たち」(2017年)、「スパイの妻 劇場版」(20年)、Netflixシリーズ「全裸監督 シーズン2」(21年)など。

ライター
勝田友巳

勝田友巳

かつた・ともみ ひとシネマ編集長、毎日新聞学芸部専門記者。1965年生まれ。90年毎日新聞入社。学芸部で映画を担当し、毎日新聞で「シネマの週末」「映画のミカタ」、週刊エコノミストで「アートな時間」などを執筆。