誰になんと言われようと、好きなものは好き。作品、俳優、監督、スタッフ……。ファン、オタクを自認する執筆陣が、映画にまつわる「わたしの推し」と「ワタシのこと」を、熱量高くつづります。
2024.7.26
恋する乙女に勇気を与えるバイブル「時々、私は考える」人生に対する私たちの若干の恐れを粛々と肯定してくれた
〝映画みたいな人生〟 波瀾(はらん)万丈な人生をこのように揶揄(やゆ)したりする。でも、私は時々、〝映画とは人生〟という言葉の方がしっくりくる。なにも波瀾万丈なものだけが映画ではないし、人生でもない。ずっと平坦(へいたん)に続く長い時間を、少しずつ少しずつ試行錯誤しながら愛(いと)おしいものにしていく。それこそ人生だと感じさせてくれた映画「時々、私は考える」。
孤独を飼い慣らしながら淡々と生きていた
主人公のフランは、空想が好きな平凡な女性。友達も恋人もいなく、仕事場での人間関係が苦手な彼女は、孤独を飼い慣らしながら淡々と生きていた。そんなある日、新しい同僚・ロバートと出会うことで、彼女の日々が少しずつ変化していく。
映画を自分の人生に投影し
以前、映画「PERFECT DAYS」の記事でも述べたように、主人公の日々を訥々(とつとつ)と描いた、いわゆる〝日常系〟の映画が個人的に大好きだ。なぜなら、そんな作品こそ〝映画とは人生〟であり、〝人生とは映画〟だなと思わせてくれるから。映画を自分の人生に投影しながら見てしまうのだ。この作品も、主人公・フランの何気ない静かな日常の中で起こる変化を丁寧に描かれた作品。
若干の恐れを粛々と肯定してくれた
作中に登場するせりふで「ちゃんと生きるって難しい」という言葉がある。物語のように試練だらけの人生ってわけでもないのに、なんでこんな普通に生きることが難しいのか。このせりふを聞いた時に、そう思ってるのは私だけじゃないんだって心がちょっと軽くなった。私も不器用な人間だから、〝普通 〟の範疇(はんちゅう)に収まれなくて苦しくなる時がある。でも、その〝普通〟って、結局自分が勝手に作り上げた〝理想〟なんじゃないか。思ったよりも他の人から見たら私って普通に生きられているし、私から見て普通に悠然に生きているように見えるあの人だって実はちゃんと生きることに精いっぱいかもしれない。山あり谷ありってほどでもないけど、大小さまざまな困難がみんなの人生に平等に待ち構えている。この映画は、そんな人生に対する私たちの若干の恐れを粛々と肯定してくれた。
恋する乙女に勇気を与えるバイブル
そして、私は勝手にこの映画は恋する乙女に勇気を与えるバイブルだと思っている。ロバートとの恋愛模様に苦戦するフランの姿は、昨今の恋愛に悩む現代女性を体現したような姿だと思った。今はやりの言葉「蛙(かえる)化現象」。よく、男性のささいな言動で萎えてしまう女性を表す意味だといわれることもあるが、本来の意味は好きな人に振り向かれると、自分に自信が無さすぎて「なんでこんな私を好きなんだろう」と冷めてしまうことを表す。まさにフランは後者のタイプで、自分に自信が無いが故に恋愛で悩まされる女性。誰もが最初から「私は愛されて当然の女性だ。それだけの価値が私にある」と思えたら最高なのだけれど、自分にも相手にも半信半疑になってしまうのが恋愛というもの。それでもやっぱり、自信が無いなりに一歩を踏み出す勇気をフランと一緒に出してみる。等身大で共に歩んでくれるフランに時にイライラしたり共感したりしながら、フランと一緒に成長させてくれた。
この映画のイントロダクションに添えられた「生きることの愛おしさを知っていく」という言葉。私たちの人生は商業映画のようにハッピーエンドでもなければ、大々的なバッドエンドでも無いけれど、何十年と続くこの先の人生をある程度飼い慣らしながらちょっとずつ幸せをかみ締めたい。ふとそんなふうに考えさせられた映画だ。あなたも鑑賞後には、仕事も恋愛も生活も、ちょっと頑張ろうと思えるくらいには愛おしくなることだろう。