「時々、私は考える」

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2024.7.26

この1本:「時々、私は考える」 美的な死の心象風景

毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。

劇的な出来事はほぼ皆無、地味で無口で、これほど主人公らしくない主人公も珍しい。それでも、彼女の息づかいが伝わるような場面の数々と端正な画面に引きつけられて見入ってしまう。原題を直訳すれば、「私」が考えるのは「死について」。フランは死にたいわけではないけれど、自分が死んでいる姿を想像する。その光景が恐ろしくもおぞましくもないところが、現代の心象なのかもしれない。

米オレゴン州の港町アストリアの会社に勤めるフラン(デイジー・リドリー)は、地味で引っ込み思案、いつもひとりぼっち。職場と家を往復する単調な日々を送っている。定年退職した同僚の後任、ロバート(デイブ・メルヘジ)とデートをするようになって、日常が変わり始める。

映画の序盤、フランにはセリフらしいセリフがない。黙々とパソコンに向かって仕事をし、同僚の退職記念パーティーでも壁の花。家では質素な食事をして、寝るだけ。それが不満でもないらしい。寒色系の色調で整った構図の画面は寂しげでも、居心地は悪くなさそうだ。

時折不意に、彼女が遺体となって横たわっている映像が挿入される。うっそうとした緑の森のこけむした岩の上で、あるいは静かな浜辺の流木の囲みの中で、フランが静かに横たわっている。その色彩や音楽は、現実の場面より豊かで、美しい。

さて、ロバートとの恋はぎこちなく進んでいく。自分をさらけ出すのをためらって、距離はなかなか縮まらない。どうということのないエピソードが丹念に構築されて、2人の心境を繊細に映し出す。

この映画には〝映画のような〟恋はない。不格好で何も起きない現実なのだが、レイチェル・ランバート監督はそこにささやかな美を見いだしている。そこはほんのりと温かい。

「スター・ウォーズ」新シリーズでは新たな主役としてたくましいアクションを披露したデイジー・リドリーが、打って変わって寡黙でおとなしい会社員を好演。1時間33分。東京・新宿シネマカリテ、大阪・テアトル梅田ほか。全国でも順次公開。(勝)

ここに注目

〝死の空想〟にふける女性が主人公と聞けば、誰もがサイコスリラーやダークファンタジーを連想するが、いわば本作はつつましいロマンチシズムに彩られた人間ドラマ。アストリアの寂れた街並み、古風な映画館やレストランをカメラに収め、孤独な人々の物語に親密なぬくもりをもたらしている。ぎこちなく距離を縮めるフランとロバートが、音楽や映画について語り合う場面が実にリアル。2人の初めてのキスシーンの背景に流れるジュリー・クルーズの歌声など、作り手のセンスのよさが随所に。(諭)

技あり

吟味されたアストリアの情景が見どころ。孤独感の化身フランをロバートが映画に誘う。白熱電球がたくさんついた映画館の天蓋(てんがい)の下でロバートが待っていると、フランが来て館内へ。映画を見ている描写はなく、ダスティン・レーン撮影監督が丹念に撮った情景でつなぐ。夕景のアストリア・メグラー橋、暗い水面に反射した木立、船が憩う漁港。手洗いで髪を直すフランに続いて夜の街路を3カット入れ、俯瞰(ふかん)の映画館から出てきて腕組みする彼女をロングで見せるまで。時間経過の情景カットは秀抜だった。(渡)

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