パリ13区©PAGE 114 - France 2 Cinéma

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2022.5.09

藤原帰一のいつでもシネマ:「パリ13区」 モノクロの画面で描く女性2人の性と生

藤原帰一・千葉大学特任教授が、新作や古今の名作の見方を豊富な知識を交えて軟らかく紹介します。

藤原帰一

藤原帰一

名手・オディアール、生々しさ抑え人間に焦点



カラー化で一度は過去のものに

モノクローム、白黒の映画がたくさん公開されています。最近の作品に限っても、ケネス・ブラナー監督の「ベルファスト」、マイク・ミルズ監督の「カモン カモン」、アンドレイ・コンチャロフスキー監督の「親愛なる同志たちへ」、今回ご紹介するジャック・オディアール監督の新作「パリ13区」も、みんな、モノクロです。
 
プロのカメラマンがモノクロで撮影することはむしろ一般的なくらいですから映画を白黒にしても不思議はない。でも、こと映画については、トーキー後に無声映画が消え去ったように、カラーが誕生すると白黒映画は減っていった。ウディ・アレンが「マンハッタン」を発表したのが1979年、マーチン・スコセッシの「レイジング・ブル」は80年公開ですが、どうしてモノクロを選んだのか、当時議論になったのを覚えています。それくらい白黒映画が過去のものになっていたんですね。
 
今ではそれが変わりました。カラー作品が多いのはいうまでもありませんが、あえてモノクロームを選ぶ監督も少なくありません。
 

流血シーンの衝撃抑えた「サイコ」

ではなぜモノクロにするのか。一番単純な理由は、美しいから、ですね。「レイジング・ブル」を見た人は誰でも、「カバレリア・ルスティカーナ」間奏曲の流れるなかに映し出されたリング上のロバート・デニーロを忘れられないでしょう。映画史に残る美しい場面ですが、ここがカラーだったら美しさは伝わらない。「マンハッタン」に出てくるニューヨークももちろん美しいんですが、カラーにしたら絵はがきになってしまいます。いまのレンズは昔よりずっと精細に画像を捉えることができるので、それだけでモノクロにする意味が出て来ます。
 
もう一つの理由は、描かれた時代が昔のことだと強調するためですね。ほら、昔こういうことがあったんだなんて回想シーンになるとカラーが白黒になっちゃうことよくあるでしょう? 少年時代を振り返るようなノスタルジーのなかでアイルランド紛争を描いた「ベルファスト」もその例にあたるでしょう。
 
色彩の与える衝撃を弱めることもできます。ヒッチコックが「サイコ」を白黒で撮った理由は劇場映画のなかにテレビの「ヒッチコック劇場」と似たタッチを持ち込むためだったと私は思うんですが、それに加えてこの「サイコ」、流血シーンが赤だったらインパクトが強すぎるでしょう。同じように、デモ隊への発砲事件を題材とした「親愛なる同志たちへ」がカラーだったら、ただでさえ酷(ひど)い暴力が、見るに堪えないほど酷く映ったことでしょう。
 

人を遠ざけてしまうエミリー

でも、「パリ13区」は過去の話じゃないし、血も流れません。パリの風景は確かに美しいんですが、それだけでこの映画を褒めるのは失礼というものでしょう。ではなぜモノクロなんでしょうか。
 
あ、映画の紹介、まだしてませんでしたね。一口で言えば、高層住宅の並ぶパリの一角に住む若い男女の暮らしを描いた作品なんですが、これ、男女関係というんでしょうか、もう映画の冒頭から終わりまでベッドシーンでいっぱいです。
 
映画の焦点は2人の女性です。台湾系のフランス人エミリーは、すぐとがったことを口にして、人から好かれるよりも人を遠ざけてしまう性格で、セックスから得られる刹那(せつな)的な快楽に溺れている。ほんとうはお互いの愛情が支える喜びを求めているんですが、素直になれないんですね。

 

自分を受け入れられないノラ

もう1人の女性は、勤めを辞めて大学で学び始めたノラ。こちらは安定した性格のように見えますが、叔父との関係によって傷ついた過去を抱え、そのままの自分を受け入れることができない。自分の顔立ちがインターネットの性的なサイトに出てくる女性と似ているため、たまたま参加したパーティーの写真がインターネットに流され、いたたまれなくなったノラはせっかく戻った大学に行くことができなくなってしまいます。
 
ベッドシーンがいっぱい出てきますけど、それは観客を興奮させたり嫌がらせたりすることが目的ではありません。エミリーにとってもノラにとっても、セックスは人と人の間のコミュニケーションの手段であり、しかもコミュニケーションを妨げ、さらに自分の心を傷つける可能性のある行為。エミリーとノラという対照的な2人の女性の姿が、性行為を通して表現されているんです。


カラーではインパクト強すぎる

でも、映画で性行為を描くのは、簡単に見えて、実はとても難しいことです。というのも、セックスという行為そのものがいかにも生々しいので、その行為の方に目が集中してしまい、行為を行う人間の心から観客の関心がそれてしまうんですね。他方、昔の映画のように行為をベールに包んでしまうと、今度はセックスがその人に与える影響を表現することができません。
 
では、どうすればよいのか。そこにこの映画をモノクロームにした意味を見いだすことができると思います。
 
私たちは現実を色つきで経験していますから、その画像をモノクロームに置き換えることによって、現実が抽象化されます。色彩を落とすことによってイメージに加工が加えられ、監督が表現したい現実のなかのポイントをクリアに示すことができるんです。
 
この映画、セックスのシーンがいかにも露骨なので、見ていてたじろいでしまうほど。これがカラーだったらインパクトが強すぎるでしょうが、画面がモノクロなので、生々しい印象にオブラートがかけられて、人間の表現に焦点を合わせて見ることが可能になる。そう、この映画をモノクロームで撮影したのは、ちょうど血の赤に観客の関心が集まりすぎるのを避けるのと同じように、セックスという行為ばかりに観客が関心を持たないようにするための工夫と言っていいでしょう。
 

際立つ監督の工夫と力量

この作品をつくったジャック・オディアールは、「ディーパンの闘い」でカンヌ国際映画祭のパルムドールを受賞したフランス映画でも代表的な監督です。これまでの作品に比べると小さくまとまったように見えるんですが、いえいえ、あえてモノクロでこの映画を撮るなんて、やっぱり、さすが、です。
 
そして、俳優を生かすことのできる監督です。これまでにも「君と歩く世界」でマリオン・コティヤールから思いがけないほど繊細な演技を引き出していましたが、今回はノラを演じたノエミ・メルランがすばらしい。「燃ゆる女の肖像」に続く、この名女優の演技を味わってください。2人の女性に比べると、男、カミーユの存在は、ちょっと薄いんですが、弱点ではないでしょう。むしろ女性に焦点を合わせてセクシュアリティーを描写したことがこの映画の強みじゃないかと思います。
 
映画は白黒に限るとは思いませんが、白黒にすることによって初めて獲得することのできる表現はある。いい勉強をさせていただきました。

「シネマの週末 この1本:パリ13区 求めて揺らぐ今の青春」はこちらから。 

東京・ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国で公開中。

ライター
藤原帰一

藤原帰一

ふじわら・きいち 千葉大学特任教授、映画ライター。1956年生まれ。専攻は国際政治。著書に「戦争の条件」(集英社)、「これは映画だ!」(朝日新聞出版)など。「映画を見る合間に政治学を勉強しています」と語るほどの映画通。公開予定の新作や古今の名作の見方を豊富な知識を交えて軟らかく紹介します。

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