〝原爆の父〟と称される天才物理学者の半生を描いた「オッペンハイマー」。第二次世界大戦末期、広島、長崎に投下された原爆開発の舞台裏と天才科学者の葛藤を、壮大なスケールで映像化。日本公開までに曲折を経た一方、アカデミー賞では作品賞、監督賞、主演男優賞など7部門を制覇。賛否渦巻く問題作を、ひとシネマが独自の視点で徹底解剖します。
2024.3.27
祖母、父が被爆した記者の涙 「オッペンハイマー」に描かれなかった〝その後〟に思いはせ
人類史上初の核爆発実験から原爆投下へとストーリーが進むに連れて、私は涙が止まらなくなっていた。こみ上げてきた感情が何であったか、うまく説明する言葉をいまだに持てない。巨大な火炎が砂漠を赤く照らしたトリニティ実験の成功に科学者たちが歓喜し、アメリカが原爆投下目標を選んでいた頃、私の祖母と父(ともに故人)は広島で戦時下の日常を生きていた。
赤子だった父背負い焦土歩いた祖母
1945年8月6日の朝、祖母は青い空を見上げていたという。閃光(せんこう)と爆音、黒い雨――。生前の祖母は、まだ赤子だった父を背負い、遺体を焼く煙がゆらめくばかりの焦土を歩いた記憶を語ってくれた。
苦しくなるほどに感情を揺さぶられたのは、映画で描かれなかった「その後」を知っているからだと気付いた。きのこ雲の下では頑丈なビルまで吹き飛ばされ、分厚い鉄も溶かされ、幾万もの命が一瞬で失われた。幾つかの偶然が重なって祖母と父の命はつながり、私はこの世界に存在している。
「オッペンハイマー」© Universal Pictures. All Rights Reserved.
原爆報道20年 耳傾けた証言
長じて新聞記者となり、原爆報道に関わるようになって20年以上になる。その歳月の多くを広島に足場を置き、何十人、何百人の証言に耳を傾け、微力ながらも被爆の実相なるものに向き合ってきたつもりだ。
原爆を落とされた側と投下した側のギャップには何度も直面した。とはいえ、近年はアメリカの若い世代には原爆正当化論への疑問も生じていると聞く。映画は「原爆の父」と称賛されたオッペンハイマー博士がその後に苦悩する姿を丁寧に描いており、79年という時間は核を巡るアメリカの言説をわずかずつでも変えつつあるのだと受け止めた。
だからといって免罪する気には到底なれない。原爆投下がもたらした結果の重大さを知れば知るほど、科学者は研究しただけ、開発に関わっただけ、というのは弁明にもならないと思っている。この映画の見どころの一つは「科学と倫理」「科学と政治」という普遍的な課題を突きつけていることだろう。
広島原爆・爆心地の産業奨励館付近=1945年9月
世界うならす原爆映画を日本から
今作に対して、広島と長崎の被害が伝わってこないという批判も聞くが、そもそもオッペンハイマーの視点で展開するストーリーであり、被爆の惨状を描いた場面を挟み込んだところでどれほどの意味があるだろうか。ならば、オッペンハイマーと対峙(たいじ)するような日本人をもう一方の主役に据えた脚本だったらどうか? 硫黄島の戦いを日米双方の視点から描いた別の作品にしたように、2本立てにしてみたら?
そんな想像もしてみるが、それはアメリカ側に求めるべきではなく、日本の映画界がなすべきことだ。きのこ雲の下で起きた事実を描き出し、世界をうならせる原爆映画を作り出してほしいと思う。
感情を整理したくなり、広島の平和記念公園を歩いた。原爆慰霊碑に刻まれた碑文「過ちは繰(くり)返しませぬから」。あえて主語のない一文が、人類全体の戒めであることを改めて心に刻んだ。
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