「福田村事件」©「福田村事件」プロジェクト2023

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2023.10.25

「福田村事件」は新聞と国民が扇動し合って起きたのでは……歴史学科生が抱いた疑問

誰になんと言われようと、好きなものは好き。作品、俳優、監督、スタッフ……。ファン、オタクを自認する執筆陣が、映画にまつわる「わたしの推し」と「ワタシのこと」を、熱量高くつづります。

安藤紗羽

安藤紗羽

日本史の中のタブーを真正面から描いた「福田村事件」が公開され、2カ月。多くの劇場で上映が延長されている。私は大学で大正期の歴史を中心に学んでいるため、関東大震災後の悲劇が描かれるこの作品が公開されると知ったとき、なんとなく見に行かなければならないと劇場に足を運んだ。歴史学科生として冷静に見るはずだったのに、映画が進むにつれて動揺を抑えきれなくなっていた。


 

関東大震災後、自警団に惨殺された行商団

この映画は、関東大震災直後の千葉県福田村で、香川県から来ていた行商団15人のうち子供、妊婦を含む9人が自警団に惨殺された「福田村事件」を群像劇に描いた作品である。震災後に流れた朝鮮人にまつわるウワサに惑わされ、恐れた人々が集団にのみ込まれ何が正しいのか分からなくなり、最終的に多数の朝鮮人のみならず、聞きなれない方言を話す日本人ですら敵とみなし混乱のまま虐殺した。殺害された行商団が被差別部落出身だったこともあり、この事件は長いこと明るみに出なかった。
 
映画を見た後で、歴史学科の学生や先生と福田村事件の話をしたのだが、話題に上がったのが、この映画は作品の内容やメッセージ性以外にも、製作陣の大きな挑戦が見られるということだった。舞台である大正時代は、海外の文化を積極的に取り入れる欧化政策が行われ、日本は文化的、政治的に大きな転換期を迎えた。日本と西洋の文化が混ざり合い、大正デモクラシーが流行する傍ら、軍国主義的な風潮は強まり、暗雲を漂わせながら激動の時代、昭和へと向かっていく。


 

見たことがなかった大正時代の農村部 

レンガ造りの建築やレトロな装い、災害、事件、思想の交錯。大正時代はビジュアルも含め、描きがいのある題材を多く持っているに違いない。最近では日露戦争後の日本を舞台にした「ゴールデンカムイ」や、明治・大正期を彷彿(ほうふつ)とさせる世界観を持った「わたしの幸せな結婚」などの漫画が、続々と人気俳優たちによって実写映画化されている。しかし、こうした魅力があるのは帝都東京に限った話であろう。「福田村事件」には、当時の知識層で流行した大正デモクラシーや政府の欧化政策とかけ離れた、農村部の姿がリアルに感じられた。
 
田中麗奈が演じた良家の子女、静子は、朝鮮で教師をしていた夫(井浦新)の帰郷に付いて福田村にやって来る。彼女は現代風の洋装で、つぎはぎの着物を着た村民の中でチグハグに映し出される。軍服を着た村民たちは私の目にはダサく見えるが、きっとこれも、当時の文化が流入していない田舎の農村の日常なのだろう。大正期の片田舎がここまで力を入れて映像化されたのを、見たことがなかった。


国、メディア、国民の相互補完関係

またこの映画は、国、メディア、国民の相互補完関係がよく描かれていると感じた。あの時代、新聞を中心としたメディアが、日本の全体主義に大きく加担していたのは事実だ。映画内での千葉日日新聞も、国にとって都合の良い報道をするだけの傀儡(かいらい)機関に成り下がっていたと描かれるが、時代の空気を作ったのはメディアだけだろうか。国から言われたことを新聞がそのまま国民に知らせ、国民がまんまと乗せられる。当時の日本は、そんな単純な構造で成り立っていたわけではなかったのではないか。
 
そう思ったのも、この映画の視点の多さが故だ。日ごろからつらい目に遭わされていた朝鮮人が、震災をきっかけに仕返しをしてくるのではないかという思い込みが、村の中で広まっていく描写がある。村の人間は自警団を組織し、村を、家族を、朝鮮人から守るのだと奮起する。その心理の中では、朝鮮人が襲ってくるという報道を、それが虚偽であっても、どこかで求めていたのではないだろうか。国民がそのような報道を求めているから新聞社もそれに寄せた論調になる。
 
もちろんこの映画に登場する女性記者、楓(木竜麻生)のような、真実を伝えようとした報道人はいただろう。だが果てしなく強大な権力と国全体を覆う空気をはね返すことは、不可能に近かったのではないか。震災時の朝鮮人に関する報道に限らず、メディアと国民が互いに扇動し合うという不気味な構造は、これ以降の時代でも見られることだと思った。


怒らせにきているのか

この映画の山場である終盤30分、村民の混乱と狂気を描いたシーンは、わざとこちらを怒らせにきているのかと感じてしまうほどの執拗(しつよう)さだった。上映中に思わず腰を浮かせて、「ふざけるな」と声が出そうになった。怒りで涙が出そうだった。大学では、歴史事象を第三者的に見る訓練をしてきた。だから泣いてはいけない、冷静に見届けなくてはと眉間(みけん)にシワを寄せながらぐっと感情を押し殺した。
 
当時、本当にこのような空気感でこの事件が起こったのか、どこまでが事実でどこからが演出なのか。映画をうのみにしていいのか。細かいことは、もはや分からない。しかしこれが、100年前に私と同じ人間が起こした実際の事件であるということは、揺るぎない事実だ。こんなに複雑なことをぐるぐると考えながら見た映画は初めてであった。

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ライター
安藤紗羽

安藤紗羽

あんどう・さわ 2002年埼玉県生まれ、日本女子大学文学部史学科在学中。20年2月より毎日新聞「キャンパる」編集部学生記者。

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