「めくらやなぎと眠る女」

「めくらやなぎと眠る女」© 2022 Cinéma Defacto – Miyu Prodcutions – Doghouse Films – 9402-9238 Québec inc. (micro_scope – Prodcutions l’unité centrale) – An Origianl Pictures – Studio Ma – Arte France Cinéma – Auvergne-Rhône-Alpes Cinéma

2024.7.24

幻想と現実の往還、性を通した自己探求……村上春樹の世界観に忠実 文学部教授がうなったアニメ「めくらやなぎと眠る女」 

誰になんと言われようと、好きなものは好き。作品、俳優、監督、スタッフ……。ファン、オタクを自認する執筆陣が、映画にまつわる「わたしの推し」と「ワタシのこと」を、熱量高くつづります。

重里徹也

重里徹也

ピエール・フォルデス監督のアニメ映画「めくらやなぎと眠る女」を見て、村上春樹の作品世界が深く解釈され、映像化されているのを感じた。不安を抱えている現代日本人はどうやって生き続ければいいのか。その問いに対する懐の深い答えを全編で表現しているように思ったのだ。


六つの短編を有機的に結合

この映画の原作に選ばれたのは「かえるくん、東京を救う」「UFOが釧路に降りる」「めくらやなぎと、眠る女」「ねじまき鳥と火曜日の女たち」「バースデイ・ガール」「かいつぶり」の六つの短編小説。

それぞれ独立した作品なのだが、映画では登場人物や設定を共通にするなどして、有機的なつながりを持たせていた。まとまりがよく、映画製作者は村上作品をかなり読み込んでいるのをうかがわせる。

映画の舞台は東日本大震災の数日後の東京という設定だ。主要な登場人物は3人。いずれも空虚感と不安を心に抱え、どう生きていけばいいか、わからなくなっている。それが震災を経験することで一挙にあらわになり、決断を迫られているようすだ。


3人の悩める主人公

「小村」は信用金庫の社員。文学部出身でピアノが演奏できる。勤め先が合理化を進めていて、勤め続けることができるかどうか、危うい。震災後、妻は一言も話さず、ずっとソファにいて、震災を報道するテレビを見続ける。やがて、家を出ていく。「あなたは優しくて親切だけれど、あなたとの生活は空気の塊と暮らすみたい」という言葉を小村に残して。
 
「キョウコ」は小村の妻。実は小村とは10代の頃から知り合いだった。小村は恋人の親友だったので、3人できょうだいみたいに仲がよかった。恋人がオートバイ事故で死んでしまい、その後に上京した。やはり上京した小村と結婚することになった。子どもはいない。最近はセックスレス。彼女も自身の人生をしっかりと生きていないような空虚感を抱えている。

「片桐」は小村と同じ信用金庫に勤めている。40代で独身の1人暮らし。まじめだが、口下手で人見知りの彼は「どうしようもない人生」を生きていると考えている。借金を取り立てる仕事がうまくいかずに苦しんでいる。


生き方をまさぐる姿に村上小説の感触

この3人がそれぞれ自分の生き方をまさぐることで、物語は動いていく。小村は故郷に帰って、おいっ子が病院に行くのに付き合い、10代の頃のキョウコの姿を思い浮かべる。また、ひょんなことから北海道に行くことになり、そこで地元の女性とラブホテルで過ごすことにもなる。

キョウコは20歳の誕生日の不思議な体験を思い出す。アルバイトをしていたレストランのオーナーから、願いごとを一つだけかなえてあげよう、と言われる。それで彼女は願いごとを一つだけ話した。その内容については作品の中では明らかにされない。しかし、彼女はこのことがあってほどなく、何かの予感がして、アルバイトを辞めた。そこには、神秘的なものに近づき過ぎるのはよくないという彼女の生活態度がうかがえるように思える。仕事に疲れ切っている片桐はある日、人間より少し大きいカエルが自分の部屋で待っているのに出会う。そして、このカエルに誘われて大きな仕事に挑戦することになる。
 
ここまで紹介すれば、原作にかなり忠実に映画化されているのがわかるだろう。村上作品の愛読者である私は、村上の小説を読んでいる時の感触をしばしば思い出した。つまり、夢や幻想と、現実の間を往還する感覚。さまざまなメタファー(隠喩)に満ちていて、謎があちこちに仕掛けられ、それについて考えることを楽しむうちに物語が終わってしまう展開。


現代人が求める人とのつながり

あるいは、人々の心の奥底に潜っていくような感じ。自分自身といや応なく向き合って、生き方を決めなければならないという焦り。どこか他人の人生を生きているような感覚から、なんとか抜け出したいという思い。そして、日々の日常を大切にしなければならないという姿勢。あるいは、答えはごく身近にころがっているのではないかという思想。性が重要なカギを握るものの一つとして出てくるのも特徴的だ。人間は性を通して、自分自身と向き合うのだという考えが流れているようにうかがえる。

そして何よりも印象的なのは、登場する主要人物たち3人が、いずれも三者三様に心の底では、他者とのコミュニケーションを求めていることだ。空虚な毎日を生きていて、時に投げやりになっているのに、その一方で、他者と交流して新しい生活をしようという思いも消えていない。映画を見ながら、現代日本人の静かな本音に、耳を傾けているのではないか、そんな感触を持った。

アニメの造形は魅力的だ。美男美女は登場しないが、人物たちの表情は豊かで、しぐさは意味ありげだ。うつろな目つきも、大げさな身ぶりも、どこか憎めない。そして、液体の描写。雨が降るシーンや、登場人物たちが紅茶やビールを飲むようすに妙に心がひかれた。形を持たないで流れ続ける水の姿は一体、何を示しているのだろうか。

ライター
重里徹也

重里徹也

しげさと・てつや 文芸評論家・聖徳大特任教授。1957年、大阪市生まれ。毎日新聞で東京本社学芸部長、論説委員などを務めた。2015年から聖徳大教授。23年から特任教授。著書に「文学館への旅」、共著に「教養としての芥川賞」「村上春樹で世界を読む」「平成の文学とはなんだったのか」(はるかぜ書房)など、聞き書きに吉本隆明「日本近代文学の名作」「詩の力」。
 

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