ベイビー・ブローカー© 2022 ZIP CINEMA & CJ ENM Co., Ltd., ALL RIGHTS RESERVED

ベイビー・ブローカー© 2022 ZIP CINEMA & CJ ENM Co., Ltd., ALL RIGHTS RESERVED

2022.6.20

いつでもシネマ:「ベイビー・ブローカー」生まれない方がいい人はいない 

藤原帰一・千葉大学特任教授が、新作や古今の名作の見方を豊富な知識を交えて軟らかく紹介します。

藤原帰一

藤原帰一

 
是枝裕和の新作。いま世界で一番いい仕事をしている映画監督の一人ですから、映画を見る前にいろいろな情報が入ってくることは避けられません。でもここでは評釈を加える前に、映画の冒頭からお話ししましょう。言葉による予告編ですね。


 

救われる人が必ずいる 生を問うメッセージ

最初画面に映るのは、夜の街角。街路をたたきつけるように雨が降るなかを女性が歩いているんですが、この人、傘をさしていない。こんな雨のなかでどうしてと思っていると、病院みたいなところの入り口にやって来て、その入り口の前のところに何か大きなものを置いて、去って行きます。
 
施設入り口の横にはボックスのようなものが設けられているので、観客の多くは、これは赤ちゃんポストだと察しがつくでしょう。子どもを産んだけど育てる力や意思のない親が、いい人に育ててもらえることを願ってなのか、身の上を明かさないまま赤ちゃんを手放すところですね。でもこの人は赤ちゃんをポストに入れず地面に置いた。それがなぜかはわからないまま、また別の人がそこに現れる。で、赤ちゃんをきっちり毛布でくるみ直し、横になった赤ちゃんが入れるほどの大きさのボックスに丁寧に入れます。助けるんじゃなくて、ポストに入れて、そのまままた車内に戻る。犯行現場を押さえるための張り込みなんです。
 
じゃ何の犯行現場なのか。映画は施設の中の部屋にいる、赤ちゃんを引き取る側の2人の男に焦点を移します。この2人がどうも怪しい。若い方は施設で働いているようですが、中年男の方は、赤ちゃんを引き取ることは引き取るけれど、施設のビデオ記録を抹消してしまう。そう、この2人は赤ちゃんポストに入れられた子どもを、高額を支払う養父母に横流ししてるんです。まさに闇仕事、ベイビーブローカーです。
 
ベイビー・ブローカー© 2022 ZIP CINEMA & CJ ENM Co., Ltd., ALL RIGHTS RESERVED

家族から生きる意味を問う作品群

映画の出だしを言葉にすれば、まずこんな具合。映画冒頭で赤ちゃんを連れてきた人、車で張り込んでいる2人の警官、赤ちゃんを横流しする2人の男と三つのグループが登場しましたから、普通なら警官とブローカーを主体として追いかけっこのように話が進むはずですが、そこは是枝監督ですから一筋縄ではいかないわけで、赤ちゃんを連れてきた女の人が戻ってきちゃうんですね。で、この人も、ブローカーの2人と一緒に子どもを引き取る相手を探す旅に出ることになります。
 
是枝裕和監督はこれまで家族のつながり、それも血はつながっていても出会うのは初めてなんて「海街diary」の姉妹とか、「万引き家族」のように血はつながっていない疑似家族とか、ちょっとひねった設定の「家族」を捉え、そこから生きる意味を探るような映画を得意としてきました。「万引き家族」における父ではないのに父だと言い放ち、自分でもそう思い込むことのできる男性と、母になりたくても母ではないことを忘れることのできない女性との対比は、一度見たら忘れることのできない見事な表現でした。 

ベイビー・ブローカー© 2022 ZIP CINEMA & CJ ENM Co., Ltd., ALL RIGHTS RESERVED
 

韓国の街の表情を繊細に

この「ベイビー・ブローカー」も疑似家族を描く作品の流れのなかに位置づけることができるでしょう。設定だけを見るとモノのように赤ちゃんを取引する人身売買、ヒューマントラフィッキングのお話ですが、そのなかに生まれてきた命を大切にするというストーリーを盛り込み、人身売買を告発する警官までもがそのストーリーの担い手になっていく。こんなお話、是枝裕和監督じゃなければ映画にできないと思います。
 
そして「三度目の殺人」の横浜、「海街diary」の鎌倉を思い出せばおわかりのように、是枝映画はいつも街の表現が繊細です。屋内場面でも、そう、「万引き家族」のように、部屋にあるもののひとつひとつがその部屋で暮らす人の姿と結びついている。この「ベイビー・ブローカー」は舞台が韓国でして、釜山に始まって韓国各地を動き、ソウルに向かうというロードムービー仕立てなんですが、美しすぎる画面はあえて避け、ひとりひとりの目線の高さに合わせて構図をつくっているので観光写真のような韓国ではなく、是枝映画の空間としての韓国になっています。
 
冒頭の雨の街は「パラサイト 半地下の家族」とちょっとかぶって見えるんですね。これは偶然ではなく、カメラを担当したホン・ギョンピョが「パラサイト」を撮った人だから。カメラだけでなく、韓国の名だたる俳優が勢ぞろいしました。

ベイビー・ブローカー© 2022 ZIP CINEMA & CJ ENM Co., Ltd., ALL RIGHTS RESERVED
 

ソン・ガンホの笑顔とペ・ドゥナのしかめ面

中年男のブローカー、ハ・サンヒョンを演じるのは、「殺人の追憶」や「パラサイト」で有名なソン・ガンホ。芸域の広い俳優なので、悪人のはずなのに善人で、善人だと思ったらやっぱり悪人というように、型にはめてみることのできない人間の幅をうまく出しています。
 
自分自身も施設出身の若いブローカーというユン・ドンスを演じるカン・ドンウォンも「MASTER/マスター」以来大好きな俳優ですし、追いかける警官は不機嫌な顔をしたらこの人以上の俳優はいないといいたいペ・ドゥナ。どの俳優も演技力に恵まれているうえに顔、表情の組み合わせがいいんですね。ソン・ガンホの怪しげな笑顔とペ・ドゥナのしかめ面を見るだけで映画が動くのを感じます。
 
映画の中心は、赤ちゃんを置き去りにしたムン・ソヨンを演じるシンガー・ソングライターのイ・ジウン(IU)です。最初は何だか捉えどころのない不機嫌な人ですが、映画が進んでいくと、上辺の薄い皮を一枚一枚剝いでいくように、閉ざされた心のなかにあるものがのぞいてくる。この世に生まれてこないほうがいい人もいるという無残なところから始まるこの映画が、生まれてこない方がいい人間なんていないという救いに向かって進んでいくうえで、自分の産んだ子どもを手放すムン・ソユンの姿がカナメになっているんです。


 

大切な一作になる可能性

イ・ジウンはそれぞれの場面を力演しているのでその場その場では説得力がありますが、いろいろな表情、言葉が、同じ人の姿としては必ずしも収れんしてこない。これは俳優の力の限界というよりも、一人のキャラクターに多くを求めすぎた脚本のためなのかなとも思います。画面だけで映画が成り立っているところに音楽がかぶさってくるので、ちょっと厚塗りかな、そこまでしなくても映画になっているのにと感じる場面があったこともご報告しておきましょう。
 
ですから、是枝裕和作品としては一番の出来とはいえません。でも、どれがもっといいかとか悪いかといった評釈から離れてみるべき映画だという気もします。見る人にとって大切な映画になる可能性があるからです。
 
私はどうして生まれてきたんだろう、私なんて生まれてこなければよかったんだ、そんな暗い思いにとらわれたジェルソミーナに向かって、道端の石ころを拾った道化師が、こんな石でも、神様はお考えがあってここに置いたんだよと話す。それを聞いたジェルソミーナの顔が輝くところはフェデリコ・フェリーニの「道」の名場面ですね。生まれてこない方がいい人間なんていないという「ベイビー・ブローカー」のメッセージに救われる人は必ずいる。映画批評を超えた映画の力でしょう。
 
6月24日公開。

インタビュー:是枝裕和監督前編「ベイビー・ブローカー」産んでも母になれない人もいる 血縁だけが家族ではない

シネマの週末:この1本「ベイビー・ブローカー」この幸せ願い、未来を

ライター
藤原帰一

藤原帰一

ふじわら・きいち 千葉大学特任教授、映画ライター。1956年生まれ。専攻は国際政治。著書に「戦争の条件」(集英社)、「これは映画だ!」(朝日新聞出版)など。「映画を見る合間に政治学を勉強しています」と語るほどの映画通。公開予定の新作や古今の名作の見方を豊富な知識を交えて軟らかく紹介します。