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2023.5.01
格差社会に斬り込むタイ映画「ハンガー:飽くなき食への道」:オンラインの森
Netflixオリジナルのタイ映画「ハンガー: 飽くなき食への道」に食指が動かされた理由は、主人公のオエイをチュティモン・ジョンジャルーンスックジン(通称オークベープ・チュティモン)が演じていることだった。
もともとファッションモデルとして活動していた彼女の映画デビュー作は、2017年に本国で劇場公開されたタイ映画「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」。中国で実際に起きたカンニング事件をタイに置き換えたこのクライム・エンターテインメントで、当時20歳だったオークベープは、主人公にあたる天才的な頭脳を持つ高校生を演じている。
浮世絵の美人画を彷彿(ほうふつ)とさせる、派手ではないのにインパクトのあるジェンダーレスな美貌と、モデルならではのプロポーションを併せ持つ彼女は、カメラが寄っても引いても画(え)が持つ、非常にムービージェニックな逸材だ。引き続きモデルとしても活躍しつつ、テレビシリーズや映画にも出演。20年に日本で公開された映画「ハッピー・オールド・イヤー」では、断捨離することで人生を見つめ直す主人公を演じている。「ハンガー: 飽くなき食への道」はオークベープにとって3本目の主演映画だ。
要注目のチュティモン・ジョンジャルーンスックジンが、有名シェフに見いだされる料理人を演じる
彼女が演じるオエイは、親の代から街角にある庶民向けの大衆食堂で、日々中華鍋を振っている20代の料理人。「長女には選択肢がなかった」というせりふから現状に対する彼女の本音がうかがえるが、その腕前は優秀で、店にはひっきりなしに客が訪れる。しかし、油と汗にまみれて懸命に働いても、暮らしは一向に楽にならない。ある日、そんなオエイに転機が訪れる。その腕前を見込まれてスカウトされ、超有名シェフ・ポール(ノパチャイ・チャイヤナーム)の下で働き始めることになったのだ。
本作は、いくつかの主題やジャンルで構成されている。まずは、貧困層に属する粗削りだが才能のある料理人が、一代で成功したスーパーシェフと出会い、自分が人生に何を求めているのかを探索する成長もの。ほぼすっぴん、ボロボロのスニーカーを履いていた彼女が、職場で出会った料理人と恋に落ちていくが、彼女の才能がその行く手を阻む恋愛ストーリーも描かれる。
師匠と決別したオエイが独り立ちし、とあるパーティーでポールと対決する料理バトルが本作のクライマックスだ。ポールがオエイをしごくシーンで思い出されるのが「セッション」(14年)のドラムの鬼教官。己の信念のために、使えないスタッフを容赦なく切り捨て、時に暴力を振るい、追い詰めていく。本作の最大の主題は、ポールという飢えたモンスターが生まれた背景にある、タイの格差社会だ。
タイ社会の格差、問題点を食事とヒロインからの目線を通して提示
オエイの食堂に集まった同世代の友人たちが愚痴をこぼすシーンが、現在のタイ社会を説明する。その装いから、それなりの企業に勤めていると推測できる彼女たちでさえ、「企画を上司が理解しない」「コネ採用の子に仕事を奪われた」「私たちは身を粉にして、先も見えないままに働いている」「この国じゃ大物の家か金持ちに生まれないとムリよ」「私たち庶民は幸せになる権利がない」と嘆く。停滞、いや後退する日本経済に比べて成長著しく見えるタイでも、庶民は我々と同じように行き詰まりを感じているようだ。
その対比として登場するのが、ポールの顧客である超富裕層だ。ポールはレストランを構えるのではなく、呼ばれた場所にチームで出向く出張料理人。将軍の誕生日パーティーでは、豪邸に政財界の人々が集い、利権を得るための人脈づくりにいそしむ姿が描かれる。
暗号通貨で一山を当てた若者たちのプールパーティーに出向くこともあれば、軍の幹部の狩猟に同行し、山の中で獲物を調理することも。狭いアパートに暮らす夫婦と幼い少女のために、その部屋にそぐわないコース料理もサーブした。視聴者はオエイを通して、タイのクレージー・リッチな層を目の当たりにする。
超富裕層の食事のシーンから伝わるのは、監督の彼らに対する批判的なスタンスだ。まず、ポールが高級食材を使って作る豪勢な料理がグロテスクで、まったくおいしそうに見えない。それを食べる人々の表情もマナーもあえて下品に撮っている。カトラリーと皿が奏でる不快なノイズは、思わず耳を塞ぐほどだ。
彼らは、ポールが作る料理の味などには興味がない。タイで最も有名で、予約が1年先まで埋まっている人気シェフを呼べる〝特別な存在〟になることが何よりも重要なのだ。つまりは彼らにとってポールはアクセサリー。彼らは「ザ・メニュー」(22年)で孤島のレストランに集められたゲストの多くと同類だろう。
一方で、オエイが実家の食堂で作る「パッシーユー」のおいしそうなこと! 見た目は茶色くて地味な太麺焼きそばだが、食べる人たちの表情がその味を物語っている。この対比だけで、監督のメッセージは明らかだ。だからといって、「貧しくてもいい」なんてことは言っていない。ポールが食材の仕入れ先の農民や漁師にきちんと対価を払うことで彼らの生活が良くなったことを肯定的に描いているし、エンディングで映し出される路上の人々の点描で問題点を念押しする。
タイ映画が日本で劇場公開されるまでには、どうしてもタイムラグがあった(「バッド・ジーニアス〜」は6ヵ月後、「ハッピー・オールド・イヤー」は12ヵ月後)。この「ハンガー」は、注目の女優チュティモン・ジョンジャルーンスックジンの主演映画というだけでなく、世界各国で現在進行形で問題になっている、行き過ぎた格差社会に斬り込む社会派という側面から、世界中の人が配信というプラットフォームを通じて同時期に共有するのにふさわしい作品だといえる。
Netflix映画「ハンガー: 飽くなき食への道」は独占配信中
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