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2024.2.21

いまだに世界では闘争や戦争が続いている!ジミー・クリフは虹の戦士、ボンゴマンの歌声に耳を澄ませ!

音楽映画は魂の音楽祭である。そう定義してどしどし音楽映画取りあげていきます。夏だけでない、年中無休の音楽祭、シネマ・ソニックが始まります。

北澤杏里

北澤杏里

旅には音楽が必要だ。今はスマホ一つあれば、世界中どこでもお気に入りの音楽を聞けるけれど、昔はヘッドホンステレオとカセットテープを持って旅をした。お気に入りのロックに加えて必ず持参したのは、レゲエのテープ。凍える真冬のミラノではカリブ海の陽気なサウンドが心を温めてくれたし、コートダジュールの海岸線を走るバスの中でもレゲエが気分をごキゲンにしてくれた。一人旅の間、過酷な状況に陥ったときも、力強いレゲエのメッセージを聞くだけで、元気が出たものだ。
 

サウンドジャンキーを卒業

あるとき、1カ月間、西アフリカを巡る旅に出た。世界各国から集まった人たちと共にベトナム戦争で使用したフォード社の改造トラックに乗り込み、毎日、キャンプをしながらオーバーランドするという究極のアウトドアの旅。プロデュースしているのは、元ヒッピーたちが立ち上げた英国企業。この旅では、トラックの座席の下に自分の荷物を置くしかないため、荷物を極力少なくする必要があった。「よし、この際サウンドジャンキーを卒業して、アフリカの大地の音を聞こう!」と決心して、このときだけはヘッドホンステレオもカセットテープも持たずに旅に出た。

アフリカの大地をトラックに揺られながら移動する。村があれば買い物をし、川に出合えば、飛び込んで水浴びをする。夕方までにはキャンプ地を見つけて、そこでキャンプをはる。みんなでたき火を囲んで村で調達した野菜やお肉で料理を作り、食事を済ませる。見上げる空は満天の星。太陽が肌を焦がす昼と打って変わって、夜は過ごしやすい。夜風を受けながら、ゆったりくつろいでいると、トラックの運転席から聞き慣れた音楽が流れてくる。それが、ボブ・マーリーやジミー・クリフだった。

結局、自分は世界の果てまで行っても音楽とは切り離せないな、と苦笑いしながら、イギリス人ドライバーが持参したカセットテープから流れるレゲエをアフリカでよく聞いた。レゲエミュージシャンの祖先はアフリカ人。まるで、彼らの魂が故郷のアフリカに帰ってきたかのような、そんな思いがしたものだ。
 

串刺しにされたメザシのように

この旅の終着地、ガーナで奴隷船が出航した港に立ち寄った。港は博物館になっており、両足におもりを付けられ奴隷となった人の写真と名前、体重などが記された生々しいポスターが展示されていた。奴隷船内図の船底には、横たわる人型の絵がぎっしりと描き込まれていた。動ける隙間(すきま)もなく、おびただしく、串刺しにされたメザシのように。

白人に捕らえられ、無理やり足かせをはめられ、荷物のように船底に積まれたアフリカ人が着いた場所がアメリカ大陸とカリブの島々だ。やがてアメリカからゴスペルやブルース、そしてジャマイカからレゲエが生まれていくことになる。
 

山に逃げ込み、自分たちの権利を求めた

先日、ジミー・クリフのドキュメント映画「ボンゴマン ジミー・クリフ」(1981年製作)を見た。ジミー・クリフの絶頂期を捉えたこの映画には、彼がプロデューサーとなって大きなフリーコンサート会場を地元の村に造りあげていく様子や、海外公演のシーン、アフリカ回帰の思想をもつラスタファリアンの歴史や仲間との会話などがちりばめられている。

ジャマイカがスペインの支配下から英国の植民地に変わった17世紀、一握りの奴隷たちは山に逃げ込み、自分たちの権利を求めた。18世紀になると英国が彼らの自由を守ると約束する。ラスタファリアンの誕生である。そして1960年代、スカやカリプソ、ロックを融合したレゲエが生まれた。愛と自由と平等、そしてワンネスを理想とするラスタのメッセージをうねりのあるビートに乗せたレゲエは、ボブ・マーリーやジミー・クリフによって世界へ拡散された。


ソウェト、南アフリカ史上初のコンサート

この映画で、ジミー・クリフが1980年にアパルトヘイト(人種隔離)政策真っただ中の南アフリカへ出向き、黒人居住区のソウェトでフリーコンサートを行ったことを私は初めて知った。彼は南アフリカで苦しむ同胞たちを解放したいという思いでこのフリーコンサートを企画している。南アフリカを取材したことがある身としては、トタン屋根の掘っ立て小屋が並ぶあの貧しいソウェトでコンサートができたこと自体が奇跡に思えて仕方ない。しかも、野外の会場に集まったのは、黒人、白人を合わせて5.5万人。バスも電車もレストランも、黒人と白人の席が分けられていた時代に、両者が肩を並べてレゲエのバイブスに身を委ねて共に踊ったのだ。これをミラクルと言わずして、なんと言おう。

南アフリカ史上初のこのコンサートで、ジミー・クリフは「I Am the Living」を歌い、「君たちは自由だ」と熱唱する。そして、ボブ・マーリーの「No Woman No Cry」を歌うのだ。「全てはうまくいく」というフレーズで大合唱になる。圧政下にある南アフリカの男たちがステージに駆け上がって、ジミーにハグをする。この貴重なシーンは涙なくしては見られない。

 

人々が結ばれる日が来る

彼は1980年にドイツでもコンサートを開いている。このとき、ジミーは69年の反戦歌「ベトナム」を歌った。ジミーは歌う。「アフガニスタン! イラン! 南アフリカ! 誰か戦争を止めてくれ」と。そして、彼は歌う。「抑圧すればするほど、やつらは滅んでいく」と。

ジミー・クリフが人種の壁をぶち破った南アフリカのコンサートから11年後の1991年にアパルトヘイトは廃止されたけれど、いまだに世界では闘争や戦争が続いている。このドキュメント映画で村の長老はジミーにこう語る。「いつの日か、人々が結ばれる日が来る。レゲエでそのことを世界に伝えてくれ」と。
 
この映画を見てほしい。ジミー・クリフやボブ・マーリーがレゲエのサウンドに乗せて伝え続けたことを再確認するために。ジミー・クリフは、虹の戦士。ボンゴマンのまっすぐな瞳と熱い歌声とほとばしる汗が、眠りについた多くの魂をスッキリと目覚めさせるはずだ。

ライター
北澤杏里

北澤杏里

Writer
1982年大島渚監督映画「戦場のメリークリスマス」の撮影地へ取材のため同行。その後、「戦メリ」のムック本「GOUT」「デヴィッド・ボウイ詩集、「デヴィッド・ボウイ鋤田正義写真集 氣」などを編著。音楽、美術、哲学に関する記事のほか、海外旅行記事などを多数執筆。著書に「ダライ・ラマ14世講演集LOVE?」「超訳カント」「超訳デカルト」「ソーシャルディスタンス対応いたしました」などがある。

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