音楽映画は魂の音楽祭である。そう定義してどしどし音楽映画取りあげていきます。夏だけでない、年中無休の音楽祭、シネマ・ソニックが始まります。
2025.1.10
若きデヴィッド・ボウイがバンドメンバーを犠牲に「デヴィッド・ボウイ 幻想と素顔の狭間で」人間的な、あまりに人間的な
映画を見終わり、頰を拭う。熱い思いがほとばしり、感動の涙となって流れ落ちる。そんな映画に出会えたときは充足するのだけれど、映画「デヴィッド・ボウイ 幻想と素顔の狭間で」でにじんだ涙は、感動とはかけ離れた哀れみと悲しみが入り交じった感傷的なものだった。なぜ? それは、ロックの金字塔アルバム「ジギー・スターダスト」のバンドメンバーたちが突如デヴィッド・ボウイに解雇されて、一文なしになったと知ってしまったから。
自分だけ膨大なお金を受け取り、姿を消した
ロックに演劇的要素とアートを取りこんだ革新者。時代を深く考察する哲学者。知的で純粋で、魅力的な優しい紳士。映画監督・大島渚に「彼は天使だ」といわしめ、ベルリンの壁の崩壊に導いたことでドイツの首相から「今のドイツがあるのはあなたのおかげです」とお悔やみの言葉をもらい、世界中のファンを喪に服させたデヴィッド・ボウイ。そんな彼が、自分だけ膨大なお金を受け取り、姿を消したというのだから、いたたまれない。
貴重な証言ドキュメントフィルム
この映画はデヴィッド・ボウイのXワイフ(元妻)のアンジー、そしてアルバム「スペース・オディティ」(1969年)から「ピンナップス」(73年)までに関わった人々が、いかにしてデヴィッド・ボウイがスターダムへ駆け上がり、どのように一つの時代が終焉(しゅうえん)したかを語る貴重な証言ドキュメントフィルムだ。
独特のコードとリズムを斬新なロックに
デヴィッドは60年代、ボブ・ディランに憧れてカーリーヘアにし、アコースティックギターを抱えてフォークを歌っていたが、今ひとつヒットが出なかった。69年、宇宙飛行士をテーマにした「スペース・オディティ」がようやく注目されたものの、フロントマンとして大きなステージに立つには力が弱かった。成功するためにはもっとエネルギッシュでエレクトリックなサウンドが必要だった。そこで、当時マーキュリー・レコードのインターンだったアンジーがプロモーターとなり、アメリカ人のトニー・ビスコンティをプロデューサーに迎え、ロックのバンドメンバーが次々と起用されていく。リードギターに、「俺のジェフ・ベック」とデヴィッドに敬愛されたミック・ロンソン。ベースにトレバー・ボルダー、ドラムにウッディ・ウッドマンゼイ。彼らはブルースミュージシャンやジミヘンやクリームを聞いて育ったフォーク嫌いの才能豊かなミュージシャンたちだ。彼らがやるべきことはただ一つ。デヴィッドが作った独特のコードとリズムを斬新なロックに仕上げていくことだった。彼らはデヴィッドと同じ家に住み、朝起きてコーヒーを飲むとジャムセッションをした。そんなバンド生活を1年ほど続けてできあがったアルバムが世界のキッズや若者たちを熱狂の渦に巻き込んだロックオペラ、究極の名盤「ジギー・スターダスト」だ。
男性的でパワフルなイメージに変身
5年後に滅びようとする地球に異星からやってきたスーパースター「ジギー・スターダスト」にデヴィッド・ボウイがふんし、彼らもまたジギーのバンド「スパイダース・フロム・マーズ」にふんした。それまで中性的なイメージだったデヴィッドは長い髪を切って赤く染め、男性的でパワフルなイメージに変身した。アンジーのアイデアでメンバー全員がシャイニーでタイトなゴールドの衣装に身を包んだ。
突然デヴィッドはバンドの解散を宣言する
ロックスターの成功から没落までをエキセントリックなサウンドで描く「ジギー・スターダスト」の演劇的なステージは英国、アメリカ、日本で大ヒットした。ツアー中は高級ホテルのワンフロアを借り切り皆で泊まり、毎晩パーティーを楽しんだ。そして、ツアーが絶頂を迎えた73年夏。ロンドンのステージで、突然デヴィッドはバンドの解散を宣言する。ところが、解散のことはバンドメンバーに知らされていなかったというのだ。
君たちとは約束してなかった
ベースのトレバーはこう語る。「一文なしで追い出された。俺たちは一緒に始めて、一緒に成長したんだ。デヴィッドはいつも言っていた。最後は全員大富豪だね、みんなでリッチになるんだ、ってね。しかし、お金はデヴィッドだけに支払われ、彼は姿を消した。自分には家族もいる。車も買えると思っていた。なのに、失業手当の生活さ」。当時のマネジャー、元証券マンのトニー・デフリーズがトレバーにこう言ったという。「莫大(ばくだい)な金をデヴィッドに支払った。君たちとは約束してなかっただろう?」と。
悪徳マネジャーがゴロゴロしていた時代
なんてこった!労働基準法違反ではないか!と終映後、すぐさま本を数冊取り出してデフリーズについて調べてみる。彼は50万ドルでデヴィッドの権利を買い取り、利益の半分を受け取る契約を結んでいた。アーティストには不利な内容だけれど、成功を求めていたデヴィッドは野心的なデフリーズの腕を信じた。契約は82年まで続いたとも言われ、デヴィッド本人もこの理不尽な契約に長年悩まされたようだ。
ちなみに、ロックが巨大産業として確立していく50〜70年代は悪徳マネジャーがゴロゴロしていた時代とも言われる。プレスリーもビートルズもストーンズも、マネジャーとのトラブルを抱えながらも、その手腕を借りながらスーパースターの座へと駆け上がっていった。
最初は彼も大衆に埋もれた一人の若者
先鋭的なアーティストとして成功し、偉大なインフルエンサーとなったデヴィッド・ボウイ。最初は彼も大衆に埋もれた一人の若者だった。必死にチャンスをつかもうとし、ようやく手にしたジギーのヒットを足掛かりにして、彼は次々と新たな物語の主人公へと変身していった。そして、並外れた創造力で奇抜な世界を絶え間なく生み出し、多くの協力者を得ながら深遠な美とサウンド、興奮と喜びを私たちに届けてくれた。
人間的な、あまりに人間的な
この映画ではデヴィッドの類いまれな才能と、周囲の人々の貢献が語られる。しかし、映画は同時に、若きデヴィッド・ボウイがバンドメンバーを犠牲にしたことを、これまで語られることがなかった事実を私たちに突きつける。だからといって、彼の輝かしい功績や魅力が損なわれるわけではない。ただ、そこに至るまでの経緯はあまりに人間的だ。この映画によって、天才デヴィッド・ボウイが人間デヴィッド・ボウイだったことに改めて気づかされる。
フリードリヒ・ニーチェは言う。
「才能が一つ多いほうが、才能が一つ少ないよりも、より危険である」と。
「人間的な、あまりに人間的な」より