音楽映画は魂の音楽祭である。そう定義してどしどし音楽映画取りあげていきます。夏だけでない、年中無休の音楽祭、シネマ・ソニックが始まります。
2024.4.20
坂本龍一ラストコンサートフィルム「Opus」 最後のギフトは「悲しみの封印を解く音楽」
教授が旅立たれてから1年がたつ。
先日、教授の長編コンサート映画「Opus」を拝見した。この映画は、教授が旅立つ半年前の22年9月、NHKのスタジオ509で一日数曲のペースで演奏した姿を映画監督の空音央さんとビル・キルスタイン撮影監督が収録したものだ。試写会当日、空監督が登場して、「ピアノ演奏だけの102分の映画です。眠くなったら寝てくださいね」とあっさりおっしゃった。いえいえ、空さん、教授の遺言のような大切な演奏を寝てしまうなんてありえないでしょう、と思ううちに映画の幕が開く。
ただならぬ健康状態
映画はピアノに向かう教授の後ろ姿を捉えた映像から始まる。スタジオは優しい白い光に満ちている。ピアノに向かう教授の肩がかすかに動き始める。ピアノから生まれる旋律と共に、闘病で痩せた教授の肩甲骨が上下に動く。この演奏がただならぬ健康状態で行われていることが伝わってくる。
色のないモノクロームの空間に置かれた黒いグランドピアノ。床に伸びる影。白と黒の鍵盤。無数の名曲を生み出してきた美しい手。渾身(こんしん)の力を込めて一音一音を紡ぎ出していく指と指。銀色に光る豊かな髪。そして、レオナール・フジタを思い起こさせる眼鏡の奥で、瞬きひとつせず楽譜を見つめる真摯(しんし)な瞳。カメラは、「世界のサカモト」から生まれるどんな音でも逃すまいとするかのように、ズームレンズでそれらをアップで映し出していく。
存在した命の証し
この映画のなかで聞こえるのは、ピアノの旋律だけではない。教授の呼吸音。きぬ擦れのささやかな音。爪と鍵盤が触れ合うかすかな音。それらすべてが、そこに確かに存在した命の証しとして、ピアノの旋律と同じ音楽として大切に扱われている。
封印された感情を解く力
今回の演奏が教授のラストコンサートだと知っているからだろうか。あるいは、教授の体力が限界を超えているからだろうか。私の耳には始まりの数曲が途方もなく悲しみの曲に聞こえる。その深く切ない音を全身に浴びるうちに、私は教授があるインタビューで語った言葉を思い出していた。
「音楽には封印された感情を解く力がある」
人は、受け入れがたいほど恐ろしいことが起こると、「恐ろしい」「悲しい」という表現ができない状態になり、その感情にロックをかけて封印してしまう。音楽には、そのロックを解く力がある。教授がそれに気づいたのは、9.11のアメリカ同時多発テロがきっかけだった。あまりの衝撃のため音楽に向き合えない日々が続き、ようやく作曲に取りかかった時、自分の指先から生まれる音楽に初めて慰められたという。
「僕は癒やしという言葉は嫌いだけれど、音楽には確かに慰めの力があることをそのとき知った」さらに教授はこう語る。「喪失感というのは、音楽の根源でもある。音楽の大きなひとつのテーマは、亡くなった者、存在しなくなった者を懐かしみ、悼むことだ」と。
母の手のように
教授はある頃から雨の音や竹林を渡る風の音に耳を傾けながら、繊細な人の心の動きや喪失感を見つめ続けてきたのかもしれない。忙しく動き続ける社会の片隅で埋もれていく人間の孤独感。日々の生活の中でかすかに湧き上がっては消えていくほのかな切なさ。そして、心の奥深くにしまい込んだ悲しみ。教授のピアノの旋律は、そうした心の痛みに触れて震わせ、それを母の手のようにすくい上げる。
思い出を慈しむかのように
コンサートの終盤にはピアノで初めて演奏する「Tong Poo」、さらに「シェルタリングスカイ」「ラストエンペラー」と映画音楽の名曲が続き、感動の頂点がやってくる。私の頰はすっかり涙でぬれている。そして、始まる「戦場のメリークリスマス」。
どれだけ多くの人々がこの曲を愛し、教授は何度この曲を弾いただろう。教授は口角をあげてほほ笑みながら鍵盤に向かう。まるで「戦場のメリークリスマス」にまつわる多くの思い出を慈しむかのように、穏やかなテンポで音が紡がれていく。その音は軽やかで、清らかな水のように澄みきり、きらめきを放った。70歳の教授が弾く「戦場のメリークリスマス」は、これまで聞いたどの演奏よりもたおやかで、美しく、温かく、慈しみに満ちていた。完璧だった。生まれたばかりの透明な音のしずくたちは歓喜の面持ちで大空へ舞い上がり、天上界へと吸い込まれていくようだった。教授は演奏を終えて余韻を味わうと、満足したように両手を合わせた。
最後のギフト
この澄んだ一編のコンサートフィルムは、私たちへの最後のギフト。残された私たちの感情の封印を解く、教授からの美しい贈り物だ。コマーシャリズムに侵されることなく、ひたすらストイックに内面の音源に向かい、教授は最後まで新進気鋭の芸術家として在り続けた。日本の文化をけん引してきた大切な知的財産を失った私たちの喪失感はあまりに大きく、まだ癒えそうにもない。
教授、今年も桜の季節が過ぎていきました。咲き誇り、散り、やがて朽ちていくおおらかな自然のサイクルのなかで、教授のピアノを聞きながら、世界のサカモトが去った1年後の春を過ごしています。封印を解かれた悲しみが、優しい慈愛の光に変わると信じて。