誰になんと言われようと、好きなものは好き。作品、俳優、監督、スタッフ……。ファン、オタクを自認する執筆陣が、映画にまつわる「わたしの推し」と「ワタシのこと」を、熱量高くつづります。
2024.8.14
劇中の彼らの背中に姉を重ね「ブルーピリオド」を見て東京芸大美術学部絵画科油画専攻出身の姉は情熱を武器に戦ってきたひとりだと思った
情熱は、武器だ
原作、アニメファンは心待ちにしていたであろうこの作品に、私は今回の映画化で初めて触れた。美術に詳しくない私でも共感するシーンが多く、フライヤーに刻まれた「情熱は、武器だ。」というフレーズが、観賞後の胸にこだましている。
初めて「好き」なものが見つかった
主人公・矢口八虎は、いわゆる陽キャ・リア充と呼ばれる類の高校2年生。金髪に夜遊びにたばこの所持。一見不良かと思いきや成績も優秀で人望も厚く、空気を読んで器用に生きてきた。どこか張り合いのない日々に物足りなさを感じていた八虎が、美術の授業をきっかけに「絵を描く」ことのよろこびに目覚める。生まれて初めて「好き」なものが見つかった八虎はみるみる美術の世界にのめり込み、国内最難関の美術大学への進学を志す。家族や友達、ライバルとの関係や、大きな壁に立ち向かう彼のすさまじい努力と葛藤がドラマを巻き起こす「芸術スポ根物語」だ。
心の声や苦悩を近くで感じる
序盤の「ちょっと男子〜!」と言いたくなる男子高校生らしさ満載のシーンと、八虎が美術に目覚めてから目標に突き進んでいく様子の緩急に、気付けばくぎ付けになっていた。高校2年生から筆を執った彼が東京芸大を目指すのは、きっと世間的には無謀なこと。しかし八虎はそんな固定概念を情熱で跳ね飛ばし、絵を描くことに没頭する。まさに、情熱は武器。芸大への合格を追いかけるほど突きつけられる厳しい現実についてもしっかり描かれ、劇中に多かったナレーションからは、八虎の胸の高鳴りだけでなく、心の声や苦悩を近くで感じることができた。
努力の天才
芸大への入学を目指す生徒が集まる予備校で、仲間やライバルに出会う八虎。周囲のレベルの高さに圧倒され自分の絵に自信を失うシーンには、胸が締め付けられた。それでも「自分は天才にはなれないから、それと見分けがつかなくなるまでやるしかない。やった分しかうまくならない」と自分を奮い立たせ何枚も描き続ける八虎は、確実に努力の天才であると私は思う。
イメージを目に見える実体へと変えていく
なかでも、まるで自分がその場にいるかのような緊張感のある入学試験のシーンが印象的だった。美術大学、東京芸大ならではの特殊な試験構成に衝撃を受けながら、特に私に刺さったのはキャンバスに向かう彼らの背中だ。描いているものというより、その背中から発せられる孤独のエネルギーにゾクゾクした。きっと創作活動全般にいえることだが、美術の分野は特段、孤独と向き合う力が必要なのではないかと感じている。自分の中に深く潜りながらも、頭の中のイメージを目に見える実体へと変えていく。そのある種の執念のようなものは、私がこれまで目の当たりにしてきた光景と重なった。
劇中の彼らの背中に姉を重ね
というのも実は、私の4歳上の姉は八虎が目指す東京芸大美術学部絵画科油画専攻の出身である。小さい頃から落書きさえ楽しそうに描いていた姉もきっと、情熱を武器に戦ってきたひとりなのだろう。姉が高校生の時、私をモデルに描いた絵が大きな賞に選ばれたことは、ひそかに心の中に宝物としてしまっている。劇中の彼らの背中に姉を重ね、彼女が今まで向き合ってきたであろう苦悩や孤独を考えずにはいられなかった。この映画で芸大受験の厳しさの一部分に触れ、姉の根性には到底かなわないと、改めて思ったのであった。
絵を描くシーンの心を揺さぶるあの躍動感
もうひとつ、美術アドバイザーの川田龍さんの存在も個人的注目ポイントだった。数年前、川田さんの個展で拝見した、人々が持つ影や暗い部分が美しく描かれた作品たちが今も脳裏に焼きついている。確立した世界観を持つアーティストでありながら普段から美術講師も務める川田さんは、その経験やキャリアをもとに原作や脚本から作品に深く携わっており、演者の技術指導や、作品提供、さらには試験官役として出演もされている。絵を描くシーンの心を揺さぶるあの躍動感は、しっかり時間をかけたという技術指導とそれに応える俳優陣の役者魂のたまものであると感じた。
「好き」と思う純粋な気持ちが、未来や人の心を動かす燃料
八虎たちの芸大受験を通して描かれる、好きなものを追求するエネルギーの強さとはかなさ。自分を信じる大切さとその難しさ。115分で駆け抜ける受験までの650日間は、夢を追う人の瞳にカラフルな情熱の炎をともすだろう。対象はなんでもいい、根拠だってなくてもいい。ただ「好き」と思う純粋な気持ちが、未来や人の心を動かす燃料となることを教えてくれた作品だった。