毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。
2022.7.07
この1本:「こちらあみ子」 真っすぐに見る世界は
あみ子は我が道をまっしぐら。「好き」を目指して脇目も振らず突進するから、衝突もするし摩擦も起こす。でもそんなのお構いなしの純度100%。すがすがしいとか痛々しいとか、ありきたりの形容を踏み越える、映画史でも屈指、強烈な主人公だ。今村夏子の同名小説を、森井勇佑監督が映画化した。
小学5年生のあみ子は両親と兄と暮らし、もうすぐ赤ちゃんが生まれてくる。元気で素直、思った通りに話し、感じたまま行動する。それなのにか、それゆえにか、周囲に受け入れてもらえない。お気に入りの同級生、のり君からは無視されるし、書道教室を開く母親も持て余し気味。やがて赤ちゃんが来ないと分かると、兄は不良になってバイクを乗り回し、母親は精神のバランスを崩してしまう。
映画は、あみ子の視点から世界を描く。のり君だけが関心の的、唯一あみ子に話しかける同級生の坊主頭も目に入らない。赤ちゃんを待つ気持ちも一直線。カメラはあみ子をとがめるでも肩入れするでもなく、少し離れたところで共感とともに観察する風情だ。
あみ子が中学に進む頃、家庭は崩壊状態だ。学校で異端視され、服装を構ってくれる人もいない。家のベランダで始まった不気味な音は、あみ子がどこに行っても聞こえるようになり、そのうちお化けが現れる。深刻な状況のようだが、あみ子は不変だ。お化けは大声で歌って追い払い、のり君には相変わらずつきまとう。「べきだ」と「てはならない」がはびこる世の中で、あみ子はきっと生きにくい。しかしあみ子にとって世界は美しく、調子が狂っているのは周囲の方だ。「がんばれあみ子」と応援したくなる。
あみ子を演じた大沢一菜が、圧倒的な存在感。純粋さと強さをたたえたまなざし、真っすぐな声、弾むような体。魅力を引き出した演出の力も大。1時間44分。東京・新宿武蔵野館、大阪・テアトル梅田(15日から)ほか。(勝)
ここに注目
あみ子はもとより周囲の人の思いが交錯して、見終わってもざわざわとした感覚が消えない。ストレートな映像と問いかけにたじろいでしまう。「応答せよ。こちらあみ子」というトランシーバーの声に何と答えていいのか。かわいそうとか、伝わらないとか、わずらわしいといったいわば負の思考も渦巻き、あみ子の純粋な奔放さと同時に、世俗に縛られて生きる自分たちの姿が際立っていく。終盤、波打ち際であみ子に話しかける声に少しだけ救われ、エンドロールの青葉市子の歌にあみ子やその周り、観客も柔らかく包み込まれていく。(鈴)
技あり
あみ子は小学校から帰り、おやつのトウモロコシをかじり、ふすまの隙間(すきま)から母の書道教室をのぞくとのり君もいる。母が「宿題をやりなさい」とり、あみ子の切り返しは真正面に入り、あごを切った大アップ。澄んだ大きい目の威力は敵なしだ。自由に動くあみ子への照明がさえる。終盤の教室の場面。坊主頭にのり君の本名を教えられ、習字を見ながら「わしおよしのり」とつぶやく。「いちずなやつじゃのう」と同情気味の坊主頭の動き回る芝居と、鼻にばんそうこう、裸足で自若なあみ子。岩永洋撮影監督は子供をうまく撮った。(渡)