毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。
2024.10.04
チャートの裏側:表現「縛る」時代への挑戦
米映画のエンタメ大作は、毒々しさをものともしない。「ビートルジュース ビートルジュース」を見て、そう思った。作品にみなぎる毒々しさが、今も明快に息づいているからだ。コンプライアンス重視が、表現の何らかの「縛り」になる時代に、大変な勇気、挑戦である。
35年後を描いた続編だ。死後の世界で、霊媒師と娘、死後の世界の主、主の元妻らが入り乱れる。体を分割された元妻は、自身で肉体の各部をつなぎ合わせる。復活した彼女は、対する相手をぺしゃんこにしてしまう。悪鬼のような表情の主の子どもは、四方に放り投げられる。
このような毒々しい描写の数々を、多くの観客を意識したエンタメ大作で繰り広げていることに驚く。ただ、どの描写も残忍さが極まる一歩手前で、ユーモアの香りをたたえている。視覚をピリッと刺激しつつ、やんわりしたオブラートで包み込んでくる。これが才能である。
表現を縛ることもあるコンプライアンスへの挑戦は、映画のエンタメ分野でも重要な意味をもつ。がんじがらめの「縛り」がはびこる中、いかに自由に飛び立てるか。毒々しさは、万人向けのエンタメ大作といえども、否、だからこそ、ときに存分に織り込むことが求められる。観客の感性もまた、予定調和の一方向に縛られてはなるまい。何とも、楽しい映画を見た。(映画ジャーナリスト・大高宏雄)