「一月の声に歓びを刻め」 © bouquet garni films.

「一月の声に歓びを刻め」 © bouquet garni films.

2024.2.09

この1本:「一月の声に歓びを刻め」 響き合う三つの物語

毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。

場所も登場人物も異なる三つの話を、4章仕立てで構成する。しかし三つを一つにしたというよりも、一つの物語を3様に変奏した趣だ。三島有紀子監督による「Red」(2020年)以来の長編劇映画。これまで以上に強い個性を放ち、監督自身の覚悟と叫びが聞こえてくるような力作である。

北海道・洞爺湖畔に住むマキ(カルーセル麻紀)が、年始に来た娘美砂子(片岡礼子)の一家を迎える。性適合手術を受けて女性として生きるマキは、47年前に死んだ次女れいこのことで苦しんでいる。東京・八丈島で牛を飼う誠(哀川翔)の元に、娘の海(松本妃代)が5年ぶりに帰省した。誠は交通事故に遭った妻の延命治療を中止したことを今も自問する。元恋人の葬儀に参列するために大阪・堂島を訪れたれいこ(前田敦子)は、トトと名乗る男(坂東龍汰)と出会い、幼い頃に性暴力を受けた現場を訪れる。

章ごとに、色彩や雰囲気が変わる。雪に覆われた洞爺湖は白が基調。家族は仲がいいようだが、冷たい空気が流れている。八丈島では緑が目に入り、のどかでコメディーの味付け。モノクロの堂島のパートでは、れいこが雑踏の中を歩き回る。

同時に三つは響き合う。水辺と島が舞台となり、人々は船で運ばれる。2人のれいこは性暴力を受けた。死の影が、父親と娘の間に微妙な距離を作っている。そして主人公は3人とも、取り返しのつかない過去と折り合いがつけられず、喪失感や悔恨、自責や怒りといったさまざまに交錯する感情に苦しんでいる。

映画は、彼らの過去の出来事と思いを、回想場面で見せる手法を取らない。独白として語らせ、観客にその声を聞かせる。彼らは言葉として捉え直すことで痛みを乗り越えようとし、観客も声を通して彼らの苦悩を受け止める。

映画の最後に、れいこは歩きながら奇妙礼太郎の「きになる」を口ずさむ。歌声は次第に力強くなり、救いと希望を感じさせる。映画の出発点は、三島監督が幼い頃に受けた性暴力とその心の傷だという。極めて私的な体験と感情が、普遍的な表現として結晶した。1時間58分。東京・テアトル新宿、大阪・シネ・リーブル梅田ほか。(勝)

ここに注目

6歳の頃に性暴力被害を受けた自身の経験をフィクションとして昇華させるために、どれほどの覚悟が必要だったのか。オムニバスとしてではなく三つの物語を並べた大胆な構成や、音や声にこだわりながらも説明的なセリフに頼らない表現に、映画という媒体への監督の信頼を感じる。その土地に宿るものを映像に刻むエネルギー。暮らしの細部を描写し、そこからこぼれ落ちる感情をすくい上げる手腕。俳優たちの底力を引き出す演出力など、監督の持ち味が濃密に感じられた。(細)

技あり

撮影監督は、山村卓也と米倉伸の2人。三島監督の手法は時に新鮮。終盤、洞爺湖の中島行き遊覧船乗り場に小さな包みを持った白装束のマキが来る。乗船は省略して雪を頂いた山と凍りそうな湖面を見せ、カメラが上手に振られると、がらんとした客席にマキ。次は中島。マキは新雪の中をつえにすがって歩き、湖畔でしゃがみ込み、れいこへの思いを湖に向かって叫び、胸の包みを抱きしめる。額で切った「大写し」の芝居、カルーセル麻紀は監督がメークさせなかったと明かすが、眼はものを言い、訴求力の強いアップになっていた。(渡)

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