「憐れみの3章」

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2024.9.27

この1本:「憐れみの3章」 不条理の毒にしびれる

毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。

前作「哀れなるものたち」で世界の映画賞を総なめにしたヨルゴス・ランティモス監督がさらなる毒を込めて送り出した、3章仕立てのオムニバス奇譚(きたん)集である。

三つの物語は全く独立しているが、ウィレム・デフォー、エマ・ストーン、ジェシー・プレモンスら同じ俳優陣が違う役で登場する。これが三つとも、奇妙きてれつ。

第1章「R.M.F.の死」。ロバート(プレモンス)は勤め先の上司レイモンド(デフォー)の言うなり。起床時間、朝食のメニュー、読む本から妻との性交渉まで、彼の立てた予定に従うように求められ、毎日報告する。ところがある日、車で事故を起こして相手を入院させるという指示を受け、初めて拒絶する。すると妻が消え、レイモンドにもらった贈り物がなくなり、相手にもされなくなる。途方に暮れたロバートはバーでリタ(ストーン)と出会っていい雰囲気になるが、リタの周囲にもレイモンドの影が……。

ロバートはなぜ、レイモンドに服従するのか? 彼の意味不明な指示の目的は? リタは何者? 説明なし。ロバートもレイモンドもリタも、当たり前のように行動する。巨大な「?」を抱えた観客をほっぽり出したまま、とんでもない結末まで一直線。

万事その調子。第2章では行方不明になった妻が無事に帰宅するが、夫は別人だと疑い、妻に無理難題を押しつける。第3章は、死者をよみがえらせる能力を持った人物を探すカルト教団の信者が、教祖に「汚れている」と見捨てられるものの、自力で超能力者を見つけ出すが……。

登場人物の一挙手一投足に至るまで、すべてが不可解で不条理。そして各章は、同じテーマの周りを周回している。すなわち「支配」と「服従」、「信頼」と「疑い」。ただ常識や倫理を度外視するランティモスのこと、その軌道は予測不能。思わぬ角度から切り込まれ、戸惑い混乱するしかない。人を食ったランティモスの毒にあてられること必至。そしてその毒に、しびれるような快感がある。2時間44分。東京・TOHOシネマズ日比谷、大阪・TOHOシネマズ梅田ほか。(勝)

ここに注目

ランティモスの前作「哀れなるものたち」は壮大でゴージャス、見る者をめくるめく映画体験へと誘う冒険劇だったが、今回は一転してミニマルなアンソロジー形式を採用。しかし画面のあちこちに不穏なムードが立ちこめ、登場人物の謎めいた挙動に胸がざわつく映像世界には、唯一無二の奇妙なスリルとユーモアが漂う。ギリシャ時代の出世作「籠の中の乙女」を初めて見たときの衝撃は計り知れなかったが、ハリウッドに進出した今も作風とテーマの両面で鮮度を保つ鬼才の底なしの奇想、恐るべしである。(諭)

ここに注目

頭の中が混乱し、脳内にある世の中の〝常識〟を遠心分離機で分解して放心状態にさせた3話とでも言うべきか。眉間(みけん)にしわを寄せたり、「ウェー」という気分になったりと、見る方の内心は散々揺さぶられるが、登場する人物の葛藤や感性はほとんど見当たらない。グロテスクでストレートな映像は度を越していても、ストーンのダンスシーンなどほほえましく笑ってしまうから不思議だ。リアルのずっと先を行く変な話3本立て。疲労感は底知れないが、知らぬ間に癖になっているかも。(鈴)

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