「墓泥棒と失われた女神」 © 2023 tempesta srl, Ad Vitam Production, Amka Films Productions, Arte France Cinéma

「墓泥棒と失われた女神」 © 2023 tempesta srl, Ad Vitam Production, Amka Films Productions, Arte France Cinéma

2024.7.19

この1本:「墓泥棒と失われた女神」 効率より多面的楽しさ

毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。

タイパ、コスパ優先が日本の当世流なら、「こんなお話」と一言で説明しにくいアリーチェ・ロルバケル監督の映画は敬遠されそう。しかし、それではあまりにもったいない。楽しくておかしくて冗舌でわい雑、ロマンチックでちょっと悲しい。同じイタリアの巨匠フェリーニ監督に通じる一作。見た人それぞれが、「こんな映画」と味わってほしい。

1980年代、イタリア・トスカーナ地方の小さな町が舞台である。英国人の考古学愛好家アーサー(ジョシュ・オコナー)はダウジングで探し物を見つけ出す特殊な能力を持っていて、古代の墓の盗掘団の一員だった。刑務所から出て足を洗おうとしたのに、待ち受けた仲間に再び引き込まれてしまう。一方彼は、元恋人ベニアミーナの面影を追い続け、彼女の母親で元歌手のフローラ(イザベラ・ロッセリーニ)の家で、住み込みの歌の弟子イタリア(カロル・ドゥアルテ)と出会う。

物語は直線的には進まない。フローラの娘や孫娘が集まってはアーサーの周りでおせっかいやワガママを言い合う。イタリアは、2人の子供を隠して一緒に住まわせている。アーサーとイタリアの恋模様あり、盗掘に精を出す一味のドタバタあり、歌と芸能が売り物の芸人でもある盗掘団のお祭り騒ぎもある。

ロルバケル監督は奇抜な映像で遊び、ファンタジー調の場面を挿入し、スクリーンの〝第4の壁〟も軽やかに越えてみせる。画面を祝祭的に彩ったかと思えば、イタリアに引かれながらベニアミーナを思い出すアーサーの心情をしっとりと挿入する。あちらこちらに寄り道する物語はごった煮のようでも、混乱することなくゆるやかに結びつく。やがて未盗掘の古代墓から発見された女神像を巡って一騒動が起き、アーサーとベニアミーナを赤い糸が結ぶ、不思議な円環を描いて幕を閉じる。

人間は一筋縄ではいかないし、人生はままならない。しかし絶望するには及ばない。多幸感にあふれた映像と物語は、観客を心地よく未知の場所へ連れて行く。分かりやすい物語を効率よく楽しむ以上の映画の喜びが、確かにある。2時間11分。東京・シネスイッチ銀座、大阪・テアトル梅田ほか。(勝)

ここに注目

ロルバケル監督は、現代イタリア映画が誇る唯一無二の才能だ。長編デビュー作「天空のからだ」から「夏をゆく人々」「幸福なラザロ」まで、手がけた作品のすべてがマジカルな寓話(ぐうわ)性をはらむ。墓荒らし集団の珍道中を描く冒険コメディーというべき本作でも、白昼夢のようなフラッシュバックや天地逆さまの奇妙なショットを挿入し、現実と幻想、愛と喪失が錯綜(さくそう)する映像世界を紡ぎ上げた。ロマンチックな放浪者に扮(ふん)したオコナーのひょうひょうとした演技、監督の姉アルバのコミカルな助演も楽しい。(諭)

技あり

列車の座席で女の夢を見るアーサーで始まり、差し込む日光の動きで影が微妙に変わっていく画(え)に、フィルムへの愛着を感じた。フレスコ画などは35㍉、他は16㍉フィルムの画作りは、ロルバケル監督とコンビのエレーヌ・ルバール撮影監督の仕事。画面の天地をひっくり返し、不意の黒みを入れ赤い糸も登場させて、映像は仕掛けだらけ。首のない女神像が青空を揺れながらいくカットは、ジュゼッぺ・ロトゥンノ撮影監督が撮ったビスコンティ監督の「若者のすべて」のミラノの空に揺れる聖像を思わせた。(渡)

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