毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。
2023.4.14
この1本:「聖地には蜘蛛が巣を張る」 イスラム社会のスリラー
「ゲット・アウト」「ニューオーダー」など、ジャンル映画にメッセージを託した秀作が続く。本作は「ボーダー 二つの世界」でファンタジー調のホラーに差別を描いたイラン出身のアリ・アッバシ監督による、実話を基にしたスリラー。女性主人公に迫る恐怖と息詰まる緊迫感で物語に引き込みつつ、イスラム社会の男性支配の罪深さを暴く。
イラン・マシュハドで売春婦の連続殺人事件が発生、テヘランから女性記者ラヒミ(ザーラ・アミール・エブラヒミ)が取材に訪れる。犯人はスパイダー・キラーと呼ばれ、犯行ごとに地元男性記者のシャリフィ(アラシュ・アシュティアニ)に電話をかけ、イスラム教の教えに従って町を浄化していると主張していた。ラヒミは地元警察や裁判官、売春婦らに取材し犯人に近づいてゆく。
犯人は早々にサイード(メフディ・バジェスタニ)と明かされるものの、「羊たちの沈黙」のクラリスとレクターのような、知能犯との知恵比べとは別の道をゆく。マシュハドはシーア派の聖地で宗教色が濃い。敬虔(けいけん)なイスラム教徒であるサイードは、良き夫で父親だ。一方ラヒミは原理的男性中心主義に批判的で、男女関係の醜聞のためにテヘランの新聞社を追われたようだ。男性中心社会でラヒミが奮闘し、サイード逮捕に至るサスペンスも上々だが、前半でひとまず決着してしまう。
映画のキモは、サイードが逮捕されてから。ここから、本当のスリラーが始まる。サイードの、売春婦が聖地を汚しているという主張が報じられると、非難よりも支持が広がり、英雄視されていくのだ。男たちばかりでなく、女性の間でも。裁判はサイードが正義を語る奇怪な展開となり、売春の背景には寡婦の困窮があると理解していたはずの裁判官や、検事までが怪しく見えてくる。
サイードの狂信よりも、それを許容する社会の方が恐ろしい。物語はイスラム社会を背景としているが、ネット空間で極論や過激な言論が支持を得る現状を見れば、人ごととばかりは言えないのでは。1時間58分。東京・新宿シネマカリテ、大阪・シネ・リーブル梅田ほか。(勝)
ここに注目
イランでの撮影が許されなかったというのも納得の一本。犯人が抱える戦争の後遺症、宗教、家父長制、ミソジニー。世界を覆ういくつもの分断を明らかにしていくアッバシ監督の視線は、「ボーダー 二つの世界」よりも鋭さを増している。街を〝浄化〟するのだとうそぶく殺人鬼の凶行が、暗闇の中で淡々と描かれる恐ろしさ。彼を追いかける女性ジャーナリストの姿がサスペンスフルに描かれるが、当然ながら犯人が逮捕されて一件落着とはならない。世代を超えて負の連鎖を断ち切ることの難しさを描き出したラストまで、後味の悪い傑作。(細)
技あり
アッバシ監督と「ボーダー 二つの世界」でも組んだナディーム・カールセン撮影監督が撮り、イスラムノワールとでもいえる出来になった。個性的なのは、ボケた画(え)を使った語り口のスピード感。たとえば事件が終わり、ラヒミが長距離バスで帰るところ。バスターミナルでラヒミは、シャリフィの頰に軽くキスして画面から切れる。シャリフィが向きを変える動きで、カメラをターミナルに向けたロングになると、すでに彼女はピンボケの人の中という素早さ。18年の米誌「バラエティー」で、期待の撮影監督10人の中に入っているのがうなずけた。(渡)