「笑いのカイブツ」 ©︎2023「笑いのカイブツ」製作委員会

「笑いのカイブツ」 ©︎2023「笑いのカイブツ」製作委員会

2024.1.05

この1本:「笑いのカイブツ」 才能持ち腐れの悲喜劇

毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。

こんなに共感の入り口が狭い主人公も珍しいが、身につまされることこの上ない。岡山天音の好演(怪演!)と相まって、早くも2024年の屈指である。

ツチヤ(岡山)はお笑い一筋。5秒に一つずつボケを考えつくことを自分に課していて、猛烈な勢いでネタを紙に書き続けている。髪はボサボサ、身なりはかまわず、部屋は荒れ放題。バイト先でもネタ作りに夢中で使いものにならず、すぐにクビ。友達もいない。目指すはテレビの投稿大喜利番組だ。

才能はある。ネタが採用されるやたちまち常連となり、「レジェンド」にまで上り詰める。書きためたネタ帳を劇場に持ち込むと大物芸人の目に留まり、構成作家見習いとして採用される。ところが人付き合いができない。周囲を見下し、会議では先輩の案をこき下ろす。たちまち嫌われる。それでも売れない芸人と組むと、ネタの面白さで注目される。それなのに、今度はネタをパクッたと批判され、結局実家に逃げ帰った。

その繰り返し。追い詰められると酒に逃げる。ネタだけなら抜群に面白いのに、人間としては欠陥品。お笑いもテレビ番組も、1人じゃ作れないから、せっかくの才能も持ち腐れだ。

思いの強さも努力の量も人並み外れ、応援する人が現れる。小言を言いつつ否定しない母親(片岡礼子)、チンピラのピンク(菅田将暉)、恋人のミカコ(松本穂香)。ラジオ番組への投稿に目を留め、東京に呼び寄せて目をかける芸人の西寺(仲野太賀)。ツチヤはせっかくの思いをことごとく無にする。いたたまれない。本人もダメ人間の自覚があって、そこがまた切ない。

これがデビュー作の滝本憲吾監督は、成り行きを説明するよりもツチヤの全速力の空回りの内面に迫る。岡山は、目つきが悪く無愛想で、いささか不気味でもあるツチヤを全身で表現して、イタイけれど目を離せない。笑えない喜劇、笑うしかない悲劇。新年早々、強烈な一作だ。ツチヤタカユキの小説が原作。1時間56分。東京・テアトル新宿、大阪・シネ・リーブル梅田ほか。(勝)

ここに注目

ツチヤは笑わない。愛想笑いもできない。ミカコや西寺の前でほほ笑むのがやっと。ネタと格闘して、一心不乱に突き詰めて、全霊をささげる。多くの若者が上手にコミュニケーションを取り、賢く振る舞うのが普通の時代。世間は彼を受け入れられないし、ツチヤも世間に迎合できない。その生きざまは昭和的なようでいて、極めて現代的だ。孤高と呼んでもいい。それでも、笑いから逃れることはできない。笑いと絶望は紙一重に存在している。熱量の高い映画である。(鈴)

技あり

鎌苅洋一撮影監督が撮った。滝本監督は「自分が見せたい方向と監督が言うことのズレをどう形にするかを考えている」いいカメラマンだと褒める。背景の選び方が抜群。多いのは舞台風、同方向の寄り引きで処理。長い芝居に向いている。例えば打ち合わせが終わり、西寺とツチヤが去った室内。「あのタイプはねえ……」という空気が充満するスタッフ3人を同じ引きで撮る。昼のロケ、買い物をして店を出てきた西寺とツチヤ。上手(かみて)に2人を置いてセリフ。西寺が先に歩き出すと、自然にツチヤが画面の中心にくる寸法、うまい。(渡)