国際交流基金が選んだ世界の映画7人の1人である洪氏。海外で日本映画の普及に精力的に活動している同氏に、「芸術性と商業性が調和した世界中の新しい日本映画」のために、日本の映画界が取り組むべき行動を提案してもらいます。
2024.9.11
誕生25周年「シュリ デジタルリマスター」公開! 日韓の映画界を強く結びつけた原点の作品
改めて強調するが、日本における映画産業の発展は、他国とは全く異なるプロセスを経て今日に至る。国策による政府の豊かな助成金や財閥に象徴される大資本の果敢な投資ではない。いや、むしろプロパガンダに悪用される可能性を極力避ける体質によって、いわゆる「お役所」のちょっとした協力にもあらゆる検証手続きがかかる。要するに、良い意味でも悪い意味でも外部的な要因がないということである。
ガラパゴス的に発展してきた日本映画界に現れた韓国映画「シュリ」
それでは、何が映画産業を支えてきたのだろうか。それは世界的なハイエンドカスタマー(high-end customers)、すなわち大衆の力だった。クリエーターを大事にし、権利を守り、努力には必ず財貨を払うことを当然視する民度の高さは、アジア人初のアメリカアカデミーの監督賞の受賞、アジアンポップの可能性のアピール、配信のなかった時代にテレビドラマを輸出するなどさまざまなコンテンツビジネスの地平を切り開いた。この背景にあるもうひとつは明治期に、宿屋に宿泊する西洋人の旅行者が「忘れてはならない貴重品がある」と強調したところ、女将が金庫ではなく棚に載せておくことで何も起こらなかったというモラーリッシュな環境ではないか。
欧米の全ての文物は日本市場での検証を通じて他のアジアの国々に流入し、逆に日本は世界市場への文物としての役割を果たしてきたのであろう。隣国の韓国の映画産業としてはOSMU/SSMU(one/single source & multi-use)の代表事例として、ハリウッド映画の新しい地平を開いた「スター・ウォーズ」に匹敵する産業的意義を持つ最初の韓国型ブロックバスターの「シュリ」がこれに当たる。韓国国内ですら15.9%(1993年)という低いシェアを記録していた韓国の映画事情を振り返ってみると、同作が日本に輸入され、18億5000万円という異例の興行収益を上げたのは、その後20年以上続く「大繁栄」を予告した青信号だったともいえる。
「シュリ」誕生の背景にあった、韓国経済成長への大きな期待
「シュリ」が触発した社会現象の起源は、「映画『ジュラシック・パーク』の1年間の興行収入が、韓国の自動車150万台の輸出収益に相当する」という伝説的なセンテンスが韓国政府の大統領報告に初めて登場した1990年代にさかのぼる。1997年の通貨危機以後、切歯腐心していた韓国政府は、1999年の「シュリ」の公開(大資本の流入)や映画振興法改正(法律ㆍ制度の整備)、中央大学先端映像大学院(旧ㆍ中央大学大学院演劇映画学科)の特化専門大学院支援事業の選定(優秀人材補充システムの構築)などに象徴される「映画の産業化」のプロセスを経た結果、映画産業をめぐる経済の好循環構造の確立という変化を成し遂げた。経済危機から国を救う新成長動力への国策産業の登場である。このような流れの延長線上でグローバル財閥、サムスングループの一員として、大資本の映画事業投資時代を切り開いたサムスン映像事業団が投資した「シュリ」は、宣伝費を含めて30億ウォンという異例の製作費で興行収入360億ウォンの記録を残した。その上、日本の「学閥」以上の固い人脈を形成し、1959年に創設以来、韓国最高のフィルムスクールとしての位置を維持している中央大学演劇映画学科との位置づけにも大きく寄与することになった(この映画のシナリオを書き演出を担当したカン・ジェギュをはじめ、核心キャストと製作陣は皆、日本映画人の筆者の出身学科である中央大学演劇映画学科の同期および先輩ㆍ後輩なのだ)。
日韓映画人の結び目となり、アジア映画産業の礎となった「シュリ」
ところで興味深いのは、監督のカンㆍジェギュの同じ学科の後輩であり、脚本の共同脚色作家と助監督として「シュリ」の評判を受け継ぎ、ブロックバスター作品を制作したパクㆍチェヒョン(「朝鮮美女三銃士」、製作費60億ウォン)とペクㆍウナク(「TUBE チューブ」、製作費74億ウォン)も、やはりそれぞれの作品の韓国以後の公開地として日本を選んだことである。それだけではない。アクション監督のチョンㆍドゥホンのハリウッド初進出のパートナーが、「CASSHERN」「GOEMON」の紀里谷和明監督。二人はクライブㆍオーウェン、モーガンㆍフリーマン主演で、日本の「忠臣蔵」が原作のハリウッド映画「ラストㆍナイツ」で一緒だった。スペシャルㆍエフェクトを担当したチョンㆍドアンは、その後佐藤信介と出会い、Special Effect Coordinatorとしてブリュッセル国際ファンタスティック映画祭でグランプリに輝く「アイアムアヒーロー」という希代の傑作を作ることになる。「シュリ」の日韓両国での興行成功が懸け橋となり、お互いの認識を高めた両国の映画人が手を握った結果だった。実際に同作を見てみると、ソウル市内を舞台に繰り広げられる銃撃戦のシーンや韓国映画史上最も威力のあるビラン「特殊8軍団」の訓練シーンなどを通じ、 後で「アイアムアヒーロー」をメリエス国際映画祭連盟(MIFF。ポルト国際映画祭、ブリュッセル国際ファンタスティック映画祭、シッチェスㆍカタロニア国際映画祭など、ヨーロッパを中心とした世界有数のジャンル映画祭ネットワーク)に絶賛される作品にすることに一翼を担ったチョンㆍドアンの実感あふれるスペシャルㆍエフェクトが見られる。もちろん、このような技術的なものがすべてではない。「シュリ」が日本で興行できた理由は、ドラマと演技の完成度を評価するのに高い基準を持つ日本の観客を感動させたからである。アクションとメロの組み合わせは、単純な善悪の区分を超えるアジア的スパイ物としての可能性を披露し、5年後土屋ガロン(作)、嶺岸信明(画)による日本の漫画「ルーズ戦記 オールドボーイ」が原作の映画、「オールドㆍボーイ」でカンヌの男として浮上したチェㆍミンシクは、同作を通じて立体的なキャラクター演技に成功したと評価される。さらに、俳優を見る鑑識眼に優れた日本の観客は、ソンㆍガンホという新進気鋭も見つけた。このような映画交流の中で芽を出した新しい時代の種は、技術的完成度の韓国映画とドラマ的完成度の日本映画の長所を共有し、善意の競争者であり、アジア映画産業の仲間として発展の基盤を固めた。「ゴジラ-1.0」の快挙も、このように健全な競争が活性化した環境が生んだ結果だったことは言うまでもない。
公開から25年、今なおアジア映画界の未来を照らし続ける快作
断言するが、日本文化の力は品のある強者特有の包容性から来ており、新しいものを恐れることなく受け入れ、新しい発展の法則として進化させていく日本の文化力量を考えると、「シュリ」という映画はお互いの映画に対する認識を変える一方、映画交流の踏み台として作用することで、新しい次元の映画産業に対する展望を見せたという大切な意味があるはず。ちょうどその「シュリ」が誕生25周年を迎える時点で、日本でリマスタリング版を公開する。むしろ韓国では廃止された平昌南北平和映画祭で2019年に上映されて以来、一般公開の予定は発表されていないため、日本先行公開になるのか。どうか韓国の劇場の危機、映画産業の危機を考えるような最近の状況の中で、リダイレクトリマスタリングされた思い出のある、お互いの同じ温度の心を持った作品を見ることは、アジア映画の成功法則を改めて実感するとともに、未来の希望を確認する機会になることを期待する。